2011年9月16日 (金曜日)

突っ込みどころ満載の暴れん坊将軍に登場する彗星

テレビ朝日で暴れん坊将軍の再放送を見てしまった(1999年に放送されたもので、今回が何度目かの再放送だ)。水戸黄門にせよ銭形平次にせよこの番組にせよ、開始後45分くらいで決め台詞の出る勧善懲悪型の単純な時代劇はほとんど見ないのだが、15日の午前は彗星が登場したのでついつい見てしまった(笑)。

しかしタイトルは「暴れん坊将軍 江戸壊滅の危機!すい星激突の恐怖」なのに、実は登場したのは彗星ではなく巨大?隕石だった。このように突っ込みどころが沢山あるので、ちょいと遊んでみたい。なお、柳田理科雄の「空想科学読本3」で取り上げられているが、まだ見ていない。よって、見る前に自分なりにツッコミを入れてから、暇があれば同書を読んでみようと思っている(笑)。既に見ていろいろと突っ込んだことのある人には退屈だろうが、ご容赦いただきたい。

映像については、次のサイトがキャプチャー画像を貼り付けているので(商売ではないので、著作権の問題はひとまず棚上げして)、こちらを参照していただきたい。

 「暴れん坊将軍」で地球滅亡クラスの隕石が江戸に衝突するという驚愕のシーンが放送される
 「暴れん坊将軍」で地球滅亡クラスの隕石が江戸に衝突


1.彗星なのか隕石なのか小惑星なのか
番組のタイトルには「すい星衝突の恐怖」とあるのだが、画面に出てくるのは巨大な隕石のようなものである。しかも宇宙空間で炎のようなものを発しているのだ。彗星ならば核は岩石だとしても大半は氷のはずである。つまりこれだけ見ればすい星でも隕石でも小惑星でもない謎の物体なのだが、とりあえずは隕石か彗星ということにしておこう(そうでないと話が続かない)。

最初にこの星を吉宗が発見した時は赤色である。三国志演義などでもそうだが、だいたい赤い星は不吉な予兆として扱われるから、脚本上はそれでいいのだろうが、本来赤い彗星というのはおかしいのではないか。実際、地球に接近して来た時には赤くはなく炎上のものは紫色である。

彗星であれば、尾は太陽と反対側に影のように伸びるはずだが、この星は、太陽に照らされた昼間の部分の地球に接近していて、そうすると太陽を背にしているのだから尾は地球側に伸びていないとおかいしい。ところが画像を見ると逆なのである。まあ視覚的には進行方向に尾があるというのは視聴者からのクレーム続出が予想されるので、これもいたしかたないのだろう(笑)

2.驚異的な観測能力と技術
台詞がどうなっていたかはっきり覚えていないのだが、少なくとも最初に吉宗が「赤い星」を発見した時は望遠鏡(恐らくガリレオが発明したタイプの屈折望遠鏡)で見て、大きな点であった。

この星が地球に衝突する不安を感じた吉宗は、長崎から民間の天文学者「西川如見」を呼び寄せている(吉宗が如見を読んだのは史実のようだし、番組の最後でアナウンスされたように息子の正休は幕府の天文方に就任しているのも史実である)。呼びに出したのは早馬だとしても、やってきた如見は娘と従者の3人旅でのんびりと歩いて江戸に向かっている。

つまりどう考えても吉宗が使いを出してから、如見が江戸にやってくるまでに2ヶ月は必要なのである。
彗星の速度を40km/sとすると(ネットで調べて、このあたりがキリがよくて妥当だろうという数字)、吉宗が発見した時は、この彗星は地球から2億kmくらい離れていたのである。地球に一番接近した時の火星の4倍くらい離れている。そうすると望遠鏡の倍率や解像度を考慮しても、火星と同じくらいの大きさがないとおかしいのだ。しかし、実際はそうではない(笑)。江戸時代中期に2億kmも離れた岩の塊を屈折望遠鏡で発見してしまうのだから、これは驚異的である。イトカワから戻ってきたはやぶさもビックリである。

さて、如見先生は江戸の手前で尾張の密命を受けた世直し天狗党に襲撃されるのだが、こいつらも何故か彗星の衝突を予想していたらしく、如見先生を拉致して手先として使い、江戸の混乱に乗じて略奪を働き、倒幕を敢行しようという企みを持っている。まあそれは突っ込みどころとは直接関係ないので、これ以上深入りしないのだが、こいつらは幕末の水戸天狗党の走りなのだろうか(笑)。

この如見先生が襲撃された時が、彗星が衝突されると予想される日の一週間くらい前だと思われるのだが、如見先生は粗末な観測器具で、衝突の日時と軌道は既に予測しており、もの凄い能力である。

そして最終的には江戸近郊の日野の大和田村付近に夜落下し、4里四方が大きな被害を受けるとの結論を出している。軌道だけでなくエネルギーまで算出しているのだから、驚愕に値する。ノーベル物理学賞が当時あれば受賞していたかもしれないが、それよりもノーベル賞よりも世界的に権威のある西川賞が出来ていたかもしれないのだ(笑)。今日でも人工衛星の破片が人間に当たる確率が1/3200という精度なのである。

3.挙動不審で正体不明な彗星
そして、なんのかんのあって、吉宗の設置した観測所に閉じこもって、正確な衝突地点と時刻を予測することになるのだが、残りはあと3日である。

ところがこの時点で既に彗星は地球にかなり接近しており、画面から推測すると、地球の上空1500kmくらいの高度に達していると思われるのである。こうなると地球との相対速度は40km/sよりも大きくなっていくので、最終的に60km/s程度としても、25秒程度しか猶予がないのである(笑)。この彗星は大分遠慮してくれているようだ。尾の方向が逆なのは前述のとおり。

このあたりで炎のようなものを出しているのは、宇宙線と関係があるのか、地球の磁気圏から何らかの影響受けているのか、よくわからないが、いずれにしても不思議である。

また衝突直前まで上空から降りてくるように動いていて、これは納得できるのだが、何故か最後になって斜めに軌道を変えて、地平線と10度くらいの確度で滑るように衝突するのである。そして被害の程度がかなり限定された範囲に留まっているので、これはエンジンとブレーキを積んでいるとしか考えられない。そうなると、これは操縦不能に陥った巨大な宇宙船だったと結論づけるしかないのだ。そんなことは当然ドラマには出てくるはずもない(笑)。

如見先生の予測が正しいとして、め組の人達は大和田村から30kmくらいは離れていたと考えられる。そうでないと全滅ないし被害甚大だからだ。彼らはお産の仕事で大和田村にいた産婆のお凛を救出に行ったのだ。最終的な衝突直前のシーンから推測すると、この彗星(隕石)は直径2kmくらいはあると思われる。しかし多摩地区の山の高さを考慮すると、直径200m程度ではないかとも思われる。そうなると、め組の人達はそれほど衝突地点から離れていなかったとも考えられ、如見先生の被害予測が嘘という都になる。登場するシーンによって大きさが変動しているし、諸々の相対的な位置関係が杜撰なので、確定することは困難なのだ(笑)。うーん、困った。どうしよう。

とりあえず直径1kmくらいとしておきましょうか(笑)。
6500万年前にユカタン半島に衝突して、恐竜を絶滅させ、地球全体の気候を変動させた隕石の直径が10kmとのことなので、その1/10のサイズ。そうするとこの吉宗彗星は、かの彗星と同じ物質構成(つまり同じ密度)で同じ速度だったすると、体積が1/1000なので質量も1/1000で、運動エネルギーも1/1000。とてもじゃあないが、4里四方程度の被害では済むまい。単純に表面積で比較しても、50万平方kmくらいがやられるので、日本は恐らく全滅、朝鮮半島や沿海州あたりも大きな被害を受けるだろう。

とまあこんなところで、お後がよろしいようで。

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2011年2月 6日 (日曜日)

過激派のダブルスタンダード

連合赤軍最高幹部の永田洋子が65歳で死亡した。1971〜72年にかけて起きた「山岳アジト事件」の首謀者である。

事件はもはや歴史的事象と化したが、事件当時私は中学生でどうしてこんなことが起きるのかわからなかったものの、家の近くで起きた凶暴で醜悪な事件とともに永田洋子の名前は心に刻まれた。永田洋子に似た名前の女性は皆過激派に思えたくらいである。誇張ではない。歌手の長山洋子さんなどには申し訳ないが(笑)、考えようによっては彼女がいたので救われたのかもしれない。

リンチの実態を覆い隠した「総括」という言葉は流行語のようになったし、実際冗談混じりに「総括しちゃうぞ」という言い方は自分もしたものだ。反省。

永田は何人もの「仲間」を殺した、あるいは仲間に仲間を殺させた。当時20代半ばだった。若さ故の暴走と言えるだろうが、その一言で片付けてよいとも思えない。

その永田が30代の時に獄中で脳腫瘍を煩い、治療をしてもらい、93年には国と手術した病院に慰謝料を求める訴訟まで起こした。それでも頭痛が続くことから2006年にも弁護士を通じて拘置所に治療を要求している。なんという自分勝手だろうか。怨霊信仰風に言えば、恨みと未練を抱いて殺された「仲間」達の怨念が脳腫瘍を発病させた、ということになろう。

思想の左右を問わず過激な連中は自己の目的達成のためには手段を選ばず、しばしば己のみを可愛がり、命の扱いに際してダブルスタンダードを適用する。「仲間」を虫けら同然に殺戮する一方で、己の生に執着する永田の態度にもそれは明確に現れている。死んでも惜別の気持ちなど起きない人物である。

せいぜいあの世でかつての「仲間」から総括されるがいい。

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2010年12月20日 (月曜日)

航空100年

すっかり更新が滞っているブログであるが(笑)、日常の意見表明をツイッターで行っていると、時間は限られているのでこちらがおろそかになってしまうのは致し方ない。あまりのバカバカしさに政治批判もわざわざブログで行う気になれないこともある。

実は先月、羽田・成田の空港問題についての比較的まとまった記事を作成したのだが、なんというタイミングの悪さか、投稿ボタンをクリックした瞬間、よりによってプロバイダーのサーバメンテ(通告はあったがうっかり失念していた)に引っかかり、記事が消失してしまい、脱力感に見舞われたのである。

その記事の内容は記憶にあるので、復元するつもりだが、その前に同じ航空絡みの記事を作成することにした。先日東大安田講堂で開催されたシンポジウムを聞きに行ったのだが、その案内を受け取り、初めて今年が日本の航空100年の記念の年であることを知った。時には航空機を利用し、また空港問題や航空機、航空ネットワークに関心を持つ身としては不覚であった。もっと早く知っておくべきだった。

1910年12月19日、日野、徳川両陸軍大尉が代々木練兵場(現代々木公園)で我が国発の飛行に成功した。戦前の航空輸送は民間会社がいくつか作られ始まったとのことだが、その後国営会社への移行が画策され、その路線に乗った会社、反発して民間のまま運営する会社があり、大東亜戦争まで紆余曲折を屁ながら発展したようである。軍用機ではあるが名機零式戦闘機も忘れてはならないだろう(子供の頃よくフラモデルを買って作ったものだ)。

敗戦により我が国の空は飛行禁止になったが、戦後復興の中で航空輸送も再開された。日本航空(JAL)は国策会社だが、全日空(ANA)は民間のヘリコプター輸送会社としてスタートした。全日空の航空会社コードは当時の社名の日本ヘリコプター由来のNHである。YS11という一時代を気づいた国産のプロップ機も登場した。また海外渡航も飛行機輸送が主流になり、一般国民の海外旅行が自由化されたのは1964年4月1日であった。

1964年は(私が小学校に入学した年でもある)東京オリンピック開催と東海道新幹線開業という2つの出来事があった年として語られることが多いが、その後の日本の歩みを考えると海外旅行自由化も大きな出来事として記憶されてもよいだろう。

近年は多くが赤字経営の「多く作られすぎた空港」が批判されている。大型機に偏った機材構成で運用されてきた航空輸送も、赤字と不安定な航空輸送ネットワークの原因の一端だろう。新幹線という陸上の高速輸送機関が発達している日本の特徴もある(先進主要国では長距離高速輸送に占める鉄道の比率はせいぜい数%だが日本は約1/4である)。主要空港の着陸料が高額であったり、発着枠に制限があることも、航空会社には負担である。ANAは2010年月期に連結決算で500億円を超える赤字を計上した。ただしJALの経営体質をここで擁護するつもりはない。

こうした課題に対処するための方向性ともいうべき内容が、前述の安田講堂でのシンポジウムで、地域航空輸送のあり方をテーマに議論された。能登空港の搭乗率保証と国産小型ジェット機のMRJ(Mitsubishi Regilonal Jet)の開発が主要事例として紹介され、討論の対象となった。

以下はその概要である。

能登空港は開業時羽田便1往復の枠が割り当てられたが、どうしても二往復を実現したい石川県が全日空に働きかけて搭乗率保証を導入したものだが、目標率を下回った場合に県が全日空に補填金を支払うだけでなく、上回った場合は全日空が県に販売促進協力金を支払う「双方向」の取り決めで、当初三年はこの協力金が支払われ、その後目標率を幅を持たせて設定した結果、どちらも金を払わなくてよい水準の搭乗率を維持しているという。またタクシー会社の協力を得て運行している空港アクセスバスを予約制にすることで、安価かつ安定した輸送手段として定着させているという。リピーターを増やすための地域ぐるみでの取り組みもなされている。

三菱航空機株式会社が開発中のMRJは100人を下回る規模の小型ジェット機であり、省エネを実現した国産機である。全日空は既に初期ロットの導入をローンチカスタマーとして決定しているとのことである。

JALが撤退した静岡空港(これも無駄な空港として槍玉に挙げられることが多い)だが、フジドリームエアラインという地元資本の会社が小型ジェット機5機で複数路線を運用してそれなりの輸送量を達成しているようである。

確かに小型ジェット機であれば地域航空輸送の需要に柔軟に対応でき、搭乗率も確保できる。輸送需要の小さいところに中大型機を飛ばせば搭乗率が低くなるのは当然であるし、機材運用としても効率的とは言えない。フジドリームエアラインは現在エンブラエル170と175という小型機を使用しているが、省エネ高信頼の国産機への期待は大きいだろう。全日空もローカル線の運用を弾力できるとして期待をしているようである。

フジ社の社長が最後に「補助金をばらまくよりももっと自由に事業ができるような環境を整備して欲しい」という趣旨の発言をしていた。そのとおりだと思う。限られた国家財政の中で補助金交付には限界があり、また補助金漬けでの事業など発展が見込めない。能登空港の事例もそのことを示している。

来春九州新幹線が全線開通し、今後少なくとも2015年度までに金沢と函館まで新幹線が伸びる。そうなるとますます新幹線と航空の競争が激化する。羽田空港が再国際化した航空100周年の今年は、今後の航空輸送のあり方を考える必要のある、新たな100年の出発の年でもある。

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2010年8月15日 (日曜日)

「8月ジャーナリズム」の欺瞞

8月になると大東亜戦争がらみの新聞記事やテレビ番組が多くなるのを「8月ジャーナリズム」というのだそうだ。NHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」というコーナーで、実践女子大の飯田良明教授が、戦争の記憶を風化させないために、毎年新しい視点で8月ジャーナリズムを継続することが新聞の責務である、と語っていた。

今日は形式的な終戦の日である。国民の間に終戦記念日として定着しているので、一応重要な日であるとしてもよいだろう。しかし戦争がらみで重要な日は他にもあり、8月にそれが3つほど集中しているのが8月ジャーナリズムの源流だろう。3月10日もあるし6月23日もある。8月9日に関して言えば、この日がまるで長崎に原爆が落とされただけのように扱われる事が問題だ。ソ連対日参戦というもう1つの重大事があった。シベリア抑留や北方領土問題をはじめとするこれに端を発する死者の数やその後の社会への影響を考えれば、こちらにもっと光が当たってもよいと思う。

空襲に関して言えば3月10日の東京大空襲はその悲惨さや死者数から原爆投下とほぼ同等の扱いを受けているが、今年あたりはようやく地方都市の空襲にも地元の人たちの執念が実って目が向けられるようになったのは好ましいことだろう。広島への原爆投下の前日の8月5日には私の故郷の隣町である前橋市も空襲に見舞われている。

実際にポツダム宣言を受け入れて停戦したのは8月14日(15日は録音された昭和天皇のいわゆる玉音放送が流された日)だが、上記のソ連参戦で8月15日以降も北方では戦闘が継続し、南樺太や千島では死傷者が多く出た。これは北海道本島がソ連に占領されないための尊い犠牲であったので、我々はこれらの人々にもっと畏敬の念をもつべきだろう。

8月ジャーナリズムは客観的に大東亜戦争の姿に迫っているかといえば、およそほど遠いだろう。
戦争に対する反省の名の下に、自虐的な歴史観が展開され、戦前の日本は何でも悪であるかのような風潮が下敷きになっているからだ。そして韓国併合問題に代表されるように、平気で歴史をねじ曲げる嘘が罷り通っている。生存者へのインタビューは必要ではあるが、歳月の経過とともに事実からは遠ざかり、時間とともに醸成された感情が事実を覆い隠す。事件の解決に目撃証言だけでは過ちを犯すのと同じことだが、65年も経過すれば事実などほとんど消えてしまう。

8月ジャーナリズムの記事や番組が戦争体験者に与える影響も小さくないはずだ。そこで語られていることが自分自身の経験に何らかの影響を与え、針小棒大な語りになったり、必要以上に自責の念に駆られて過度に感情的に戦争体験を語ってしまうだろう。

実際、自分の小学生頃の記憶がどれだけ正確なものか考えてみればいい。戦時と平時は違うというだけでは記憶や目撃の曖昧さを否定する理由としては不十分だ。

要するに8月ジャーナリズムというのは、事実とは関係なく(全てが事実でないとは言わないが)、そこで語られたことが新たな擬似的戦争体験を呼び覚まし、8月ジャーナリズム自身の拡大再生産を招いているのである。そもそも戦意高揚に邁進し国民を煽った自らへの反省が8月ジャーナリズムにほとんど見られないのが、何よりの欺瞞なのだ。

戦争を反省し、悲惨な自体を招かないようにするためには、もっと死者の遺した記録も含めて文書記録に残っている事実を冷静かつ客観的に読み解き分析する必要がある。また、兵器の能力や兵力比較、暗号技術や情報収集、諜報活動、通信、兵站といった嫌われる部分ももっと科学的に語られる必要もある。巨艦主義に陥り航空機の重要性を軽んじた時代錯誤製への反省がもっと社会全体に広く認識されていれば、国際社会の動きを読み解きその変化に対応する力が備わり、今日のようなガラパゴス経済といわれる閉塞社会を招くこともなかっただろうと思う。高度成長に浮かれて日本の繁栄は未来永劫続くような錯覚に陥った官僚政治・自民党政治は、日露戦争の勝利に酔いしれその後の時流を見誤った旧日本軍とダブって見える。

8月ジャーナリズムを継続するなら、これまでのようにお涙頂戴の想い出語りや懺悔の声ではなく、ジャーナリズムの原典に立ち返って、客観的に事実に立脚した地道な戦争論を展開すべきである。それができないなら8月ジャーナリズムは「この報道は事実に基づいていますがフィクションです」とでも断り書きをしろ。

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2010年4月 3日 (土曜日)

また俳優の年齢がおかしいよ

NHKの古代ドラマスペシャル「大仏開眼」の前編を見た。
古代がドラマで取り上げられることは少ないので、NHKのこの手の作品は史実とは関係なく(というか古代史の場合、解釈の幅が広いから史実がどうか、というのはドラマとして見る場合にはあまり意味がないと思う)楽しめる。今回は平城京遷都1300年記念の製作なのだろうが、

ただし、いつものことだが、登場人物の年齢と演じている俳優の年齢のギャップはなんとかならないのかねえ。主要な人物で見れば次の通り。吉備真備が若すぎて、逆に聖武天皇が老けすぎている。

吉備真備  695  吉岡秀隆 1970
藤原仲麻呂 697  高橋克典 1964
聖武天皇  701  国村隼  1955
藤原光明子 701  浅野温子 1961
阿倍内親王 718  石原さとみ 1986

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2010年3月23日 (火曜日)

自治体名から消えた安土

21日に滋賀県蒲生郡安土町が近江八幡市と合併し、新・近江八幡市が誕生し安土町が消滅した。

信長のまち二分 滋賀・安土町リコール町議選で合併反対派が過半数ウェブ魚拓

その前には合併推進派の元町長もリコールされ、町を二分するドロドロの戦いが繰り広げられていたようだ。
近江八幡市は例えば私立総合医療センターをPFI方式で建設し、経営難に陥っている。
現在はPFI方式を停止して、市の直営にしているようだ。

以下にリンクしたブログに記載のような経緯らしい。
近江八幡市PFI病院の倒産の恐れ
PFI契約解除 滋賀県近江八幡市立総合医療センター
近江八幡市立総合医療センターを考える会

合併推進派は市になって体力をつけて安土を発信する、という考えのようだが、上記のような状態では体力をつけるどころか消耗してしまう可能性もある。安土という名前は歴史の教科書に必ず登場するくらいだから知名度は、自治体の規模(合併前の町時代で約12,000人)を考えると非常に高く、実際、地元の観光業者や商業者なども安土の名前が消えるのはマイナスだ、とテレビのインタビューに答えていた。

しかし、いずれにしても合併が法的に決まった後の反対派の動きなので、安土町は既に消滅してしまった。もう一度「分離独立」する分立(ぶんりゅう)という手段はあるが、これはもう50年近く実施例がないそうだ(それ以前では1940年に一度川口市と合併した鳩ヶ谷町(現鳩ヶ谷市)が1950年に分離して再び鳩ヶ谷町になった例がある)。

これで「豊臣家による織田家乗っ取り」が完全に終わったことになる。
安土町は文字通り織田信長が安土城を建設しその城下町として発展したが、本能寺の変の直後安土城は明智秀満によって焼かれてしまった。豊臣政権になってから、秀吉の甥の後に関白となる秀次が隣接地に八幡城を建設し、その城下町として発展した。近江商人発祥の地とも言われ、昔のメンタムの近江兄弟社(一度倒産した)なんかもここが本拠地である。

豊臣政権の実現は、秀吉を首謀者とする羽柴一族による織田政権乗っ取りだったわけだが(織田氏の子孫は大名として幕末まで続く)、400年以上経って、ついに安土の町名も豊臣氏によって基礎が作られた都市に吸収される(法的には両者対等な新設合併という形だが)ことで自治体名としては消滅した(近江八幡市の町名としては残る)。

安土の由来は平安楽土という言葉であるという説が有力であるようだ。そしてこれは仏典由来と考えられている。対して八幡神は応神天皇であり神道の神様であるから、神道が仏教に勝ったとも言える。いわば「廃仏毀釈」である。

2010年3月21日という日は、戦国時代(1582~1585年あたり)や明治維新の頃を投影した、歴史的な日だったのだろう。

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2010年3月16日 (火曜日)

体型はどう見ても龍馬じゃないよな

自民党を離党した鳩山弟。何やら坂本龍馬を気取っているようだが、龍馬ファンは怒っているだろうな。武田鉄矢は何か言うべきだ(もう言っているかな?)。

土佐の郷士(という差別された下級武士階級)の家に生まれた坂本と、母親から毎月1500万円も手当をもらうような都心の金持ちのボンボンとでは全く比較にならない。

そもそも自民党は江戸幕府みたいなものだから、どうしてそこに所属していたのがいきなり外様大名の藩の下級武士なのかさっぱりわからん。大河ドラマで龍馬ブームになっているようだが、そういうのに便乗するのは本当は自分に自信がないからなのではないだろうか。

兄貴よりは頭の出来はいいようだけれど、東京中央郵便局の建て替え問題やかんぽの宿などの郵政問題での行動といい、単なる目立ちたがり屋か、あるいは自分だけが正しいと思っているのだろう。自民党を離れるのは今回が初めてではないし、そういう点でも抵抗はないのだろう。

一番の問題は、彼がこれからの日本をどういう風にしようとしているのか、ビジョン(Pigeon)ではあってもビジョン(Vision)がさっぱり見えないことである。

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2010年1月 7日 (木曜日)

「日中友好」なる虚像

「古代中国の虚像と実像」(講談社現代新書・落合 淳思著)という本を読んだ。

我々がよく知っている古代シナの逸話はたいていが史実ではなく後世に作られたものだ、というのが全編を通してのこの書のテーマである。著者は物語は物語として、科学としての歴史をこの書で語りたい、というスタンスである。例えば秦の始皇帝の「焚書坑儒」は、焚書は本当のようだが坑儒は疑わしいという。儒学者だけが弾圧されたのではないらしい。三国志演義がずっと後の明代になって創作されたフィクションであり、本当の三国志とかけ離れていることは周知の事実だが(この本の最後は三国志の時代から司馬氏が魏から皇位を簒奪した晋の初期である)、そこまでいかなくとも古代シナの史書に書かれている多くの逸話は作り話であり、また実在と思われているが実は架空である人物も多いようだ。

司馬遷の史記は本格的な歴史書の嚆矢だが、漢代はともかく秦代は短すぎて史料が整わなかったために、伝聞に基づいた記述が多く、そのためにフィクションが多数含まれているとのことだ。

典型的な作り話のパターンは、秘密の会議の内容や敗者の最期の言葉が語られているものであるという。そんなものは残るはずがない、というのが根拠である。言われてみれば当たり前のことだが、あまりにできすぎた物語は、その面白さ故真実に思われてしまう。物語として楽しむのであればそれでいいのだが、問題は専門家である歴史学者までが簡単に騙されてしまう点だともいう。

それだけ古代シナ人は人を欺くのが巧みだったと言うことだろう。そしてそれは現代にもつながっているようにも思える。

この本を読んでいてつくづく感じたのは、白髪三千丈というシナの誇大妄想と、前王朝を徹底的に指弾する後継王朝による正史の凄まじさである。2000人生き埋めなどというのがあるが、これは南京大虐殺30万人に通ずるところがある。2000年後の歴史家が精緻に史料を分析すれば、南京大虐殺が虚構であるかシナ人による自作自演であることが明らかにされるだろう。現在これを主張すると日本で右翼認定される(笑)。

歴代王朝の初期の皇帝は概ね名君で、末期は概ね暗君・愚帝である。これはシナ正史の制作方式による宿命であることは言うまでもない。前王朝の末期を悪く言わねば、それを滅ぼした自らの正統性を否定することになるし、その裏返しで初期を褒めなければ、これまた自らが初期王朝であるためにその首を絞めることになる。

問題は現王朝の中華人民共和国である。今の胡皇帝は何代目だっけ。
通史では前王朝は中華民国ということになっているが、アングラの共産党も含めて実態は新三国志と言ってもよいだろう。国共合作なんてのは呉と蜀が連合して魏と対峙したように、現代の赤壁の戦いかもしれない。その一つの汪兆銘政権は日本の傀儡とされている。つまり日本は中華人民共和国から見れば断罪すべき前王朝の一部に見えるのだと思う。「日本鬼子」は事実上江沢民らによる中華人民共和国王朝によるシナ伝統の正史に位置づけられていると見て間違いないだろう。

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2009年9月23日 (水曜日)

いい話なんだがネーミングだけが

高崎市榛名の男性がナシの品種開発に成功 (ウェブ魚拓)

この地域は記事にもあるようにもともと梨の産地で、群馬出身者なら「里見の梨」を食したことは必ずと言っていいくらいあるはずだ。私が子供の頃は梨と言えば里見の二十世紀だった(^_^;)。富沢さんって梨農家は中でも手間暇かけておいしい梨をつくる。この記事にある小板橋さんの長年の努力には敬服する。ぜひこの新しい品種を大きく育ててもらいたい。どこかで試食できないのかな?(^_^;)

ところで、品種の名前の「はるな」だが、どうも榛名という名前は安売りされるようだ。いい例が北陸新幹線の安中榛名駅。

今は合併で高崎市榛名地域となってしまった旧群馬郡榛名町だが、群馬郡室田町と碓氷郡里見村が合併(久留馬村を後に編入)してできた時の地名である。榛名山は群馬郡と吾妻郡にまたがる火山だが、その名前がこの合併時に町名として使われた。里見村は碓氷郡から群馬郡へと移管されたことになる。旧榛名町役場である高崎市榛名支所は室田にある。
形式的には対等合併による新設自治体だが、実態としては榛名=室田=群馬郡が優位の合併だったと言ってよい。

同様に現在の高崎市倉渕地区となっている旧群馬郡倉渕村は、群馬郡倉田村と碓氷郡烏淵村の合併により、群馬郡の自治体として新設されている。こちらも群馬郡優位であることがわかる。

今の里見の人たちに旧碓氷郡という意識はあまり、というかほとんどないだろう。最後に残った松井田町も安中市となり、今では碓氷郡が存在しなくなってしまった。

里見という地名は、南総里見八犬伝でも有名な安房の里見氏の発祥の地である。源氏である平安末期の武将、新田義重の庶長子である里見義俊の本拠地である。できれば新しい品種には「さとみ」と名付けて欲しかった。しかし、今ではもともとの群馬郡地域にも梨の栽培が広がっているから、これはこれでよいのかもしれない。もしもまた新しい品種開発に成功したら、その時は「さとみ」と名付けて欲しい。

PR用のキャラクターにはるな愛なんか起用するなよな!

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2009年9月21日 (月曜日)

続・天地人の関ヶ原合戦について

通説では小早川金吾は最初から東軍に内応していたことになっていたようだが、今回はずっと上杉べったりで、どうやって寝返りの辻褄を合わせるのかと思ったら、ものすごく笑える展開だった。

まず石田三成が直々に松尾山に出向くという荒唐無稽な設定。命がないぜ(笑)。普通は重臣を派遣すると思うし、今回も島左近が行くと言っていたのに無視した。実際にはこの時既に島左近は戦死していた可能性もあるようだ。

まあ、でも大河とはいえ所詮はドラマだからこのくらいは許せる。
西軍に与したら関白の座に就いてもらう、という工作がどうしようもなく笑えた。そう言われた金吾の脳裏に、三成の陰謀で殺された前関白秀次の姿が蘇り、自らの将来と重ねて恐怖を感じて寝返りを決意する、というものだ。

いや、三成に関白を決定する権限などないだろうに。あったとしても秀頼が生きているのにどうするつもりだろうか。もう1回唐入りして秀頼は北京で皇帝就任かな。とまあ突っ込みどころ満載で楽しい。だからアホな脚本でも見るのを辞められないのである(笑)。あ、そうそう、毛利輝元のバカ殿ぶりはよく描いていたと思う。

聡明な三成がいくら戦に負けそうだからと言って、こんな戯言を口にするはずがないではないか。結局のところ、上杉を過度に美化した脚本で、金吾と上杉中納言、直江山城をズブズブの仲良しに描くから、そのツケを三成が被ったという形である。

こんなのだったら、関ヶ原など信子ナレーションで片付けてしまい、最上義光をゲスト出演でいいから登場させて、長谷堂合戦をじっくり描いた方がよかったのではないかな。そうすればヤンキー政宗ももっと活躍の場があったろうに。伊吹剛が北条氏政役だったので、草燃えるつながりで藤岡弘、あたりを最上義光にしていれば面白かったと思う。

それにしても、敗走して伊吹山中を彷徨う三成の前に姿を現したのは、またしても初音か…………
この分だと、お涼もまだ登場してくる可能性があるな。まあ、木村佳乃は好きなので、ドラマの中での登場人物としての違和感はあるにしても、出てきていいよ(笑)。

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