ネット上でアカピーと揶揄される朝日新聞。
きりがないから、最近批判するエントリーは止めていたのだが、年末総括として久々にぶっ放しますか(笑)。
言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない
書いたのはヴァカ宮だな。これはひどいよね。事実を都合のいいようにねじ曲げている文章の見本市である。
>自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)された<
改めて言うまでもないが、これは反戦ビラがいけないのではなく、迷惑だから止めてくれ、と言われたのに、宿舎内に強引に立ち入ってビラ配布を続けたことが原因だ。
>夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。<
逮捕されていいよ(笑)。
> しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。 <
またぞろお得意のダブルスタンダードである。かつて正論を吐いた閣僚たちを、「失言」「問題発言」の名の下に更迭させたのは朝日を初めとするサヨクマスゴミだった。自分たちの都合の悪いことを批判されると言論の自由が脅かされると煽る。加藤紘一氏の実家の放火については、一部の跳ね上がりが暴力的にやったことであり、加藤氏に批判的な言論人がこうした行為を支持しているわけではないのだ。
> 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。 <
これは批判されて当然だよ。言論が不自由だという日本で、こんなことが大手メディアの幹部という立場で主張できて、批判だけで済むのだから、幸せである。真面目な話、ロシアか北朝鮮あたりなら今頃命はない。
> もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。<
言い訳がましく夢想、夢想と言うが、プロの物書きが金取って読ませる新聞に夢想など書くべきではない。
韓国の併合は力ずくではない。きちんと国際法に則って行われたのだ。もちろん反対があったことまで否定はしないし、それを力で抑えたということもあっただろう。韓国による竹島占拠の方がよほど力ずくなのだ。
それと、今日こうして主権国家として日本が存在し、言論の自由を維持できているのも、韓国を併合したからだ。韓国の主権と言うが、当時の大韓帝国は国家の体をなしていなかった。いわばロシアの傀儡である。当時の国際情勢を無視して、日韓の二国間の関係だけで併合問題を論ずるのはいい加減やめにすべきである。
> 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。 <
これは一見もっともらしい主張である。しかし、あんた、本当に日本の幸せを祈っているの、という突っ込みは各所からなされるだろう(笑)。シナや韓国に正論をぶつけて批判することが、どうして身びいきだったり、狭い視野で国益を考えることになるのだろうか。全くもって理解不能である。
また、満州(ママ)へ中国へと領土的野心を広げて、というのはあまりにも大雑把すぎる。シナ本土に関しては日本は領土的野心はなかった。軍部も停戦意向が強かったが、シナの戦略に乗ってしまったのと、大陸に進出していた企業を抱える財界からの出兵要請もあった。一切を棄てたら、大陸にいる日本人を見殺しにすることになったのだ。それこそ今と違った形の「残留孤児」問題が起きていたかもしれない。
満洲に関しては、リットン調査団の報告書を読め、紫禁城の黄昏を読め、と言っておこう。恐らくあったであろう関東軍の現場の一部蛮行に関してまで、私は擁護するつもりはない。
それよりも北朝鮮を地上の楽園と賞賛したことへの反省はどうなっているのか。それこそどこの国の新聞か、である。今は何十人、あるいは何百人かの日本人が彼の国に不当に拉致されて、帰国がかなわないのだ。
国際情勢の違いを無視して、ただ新聞に向けられた「どこの国の新聞か」という批判だけを比較しても、意味はない。
> 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。<
イラク戦争については、私もかなり不勉強な部分があって、反省しているところである。現在「シーア派」という新書を読んで勉強中である。近い将来、何らかの考え方を表明するつもりである。
> だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。<
あんたが批判されているのは、自国のことは不自由に、特定の外国のことは自由に論じているからだ、ということに、いくら言われてもきっと気がつかないだろうな(笑)。