2011年6月 1日 (水曜日)

疑似サマータイムなら文句は言わない

6月である。既に関東以西は梅雨入りもした(個人的には梅雨入りかどうか何てどうでもいいと思っている)。旧暦ではかろうじてまだ4月(今日は旧暦で4月30日)ではあるが。

電力不足が懸念されるこの夏、企業の中には始業時間を繰り上げる「疑似サマータイム」を実施するところもある。一律に時計の針を進めるDST(Daylight Savng Time、いわゆるサマータイム)は中緯度の日本にはあまり意味がなく(北海道東部あたりと九州あたりで実質1時間程度の違いがあるので生活感覚の違いがあることは間違いないが)、社会の混乱を引き起こすだけなので、私は以前から反対である。

そもそも一斉に時間をずらすだけなのに電力のピーク需要を減らせるという誤解を蔓延させる罪深い存在ですらある。

しかし、時計はいじらずに、人間の行動をずらすのは、慣れの問題をかいけつしてしまえば比較的容易に実現でき、社会的な混乱も少ないだろう。両手を挙げて賛成とはいわないが、文句を言う筋合いでもない。時間をずらす企業とずらさない企業が混在すれば、通勤電車の混雑が緩和されるメリットがある。

大企業が一斉にずらしてしまうと、結局通勤ラッシュのピークが早い時間に移動するだけなので、ここは1つ「勇気」をもってずらさない企業が半数くらいになることを望みたい。日本社会は横並びだからなあ。あるいは同一車内で早番と遅番に分けてもいい。今時一斉出社の必要性がある業種なんてどれくらいあるのか。朝礼なんて莫迦なことをやっているなら止めた方がいいだろう。

それにしてもいくら震災と原発事故があったからと言って、電力不足を当然のように前提として国民に不自由を強いる政治というのは一体何なのだろうか。「国民の生活が第一」などと総選挙の時に言っていた民主党は自らの無能さに恥じ入るべきである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月21日 (土曜日)

都営三田線の「節電ダイヤ」が糞過ぎる

都営三田線は平日のオフピークや休日は通常6分ヘッドのダイヤなのだが、節電ダイヤと称して6分ヘッドを崩さずに間引くために、12分電車が来ないことがある。それでやってくる電車は時としてかなりの混雑である。節電ダイヤを継続するつもりならこの部分は9分ヘッドに設定しなおすべきだと思う。システム上それができないというなら、この際ダイヤ改正すべきだろう。南北線とのからみもあるのだろうが、8両編成化も実現していないし(これはもしかすると永久に実現しないかもしれない)、なんとかならんのかね。メトロとの経営統合云々以前の問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月24日 (日曜日)

崩壊しかけている進歩と安全の神話(翻訳素案)

ツイッター上で見つけたフランス語の文章(ドイツ人社会学者の論考をフランス人が翻訳したものと思われます)を日本語訳してみました。原文はこちらです。

社会学は専門ではありませんし、ざっと訳しただけで(疲れたのでw)校正チェックをしておらず、おかしな部分も多々あろうかと思いますが、速報性を重視してとりあえず掲載します。誤訳や修正などの指摘があればコメント欄にお願いします。

なお、自分自身の勉強の意味も含めて訳しているので、記述内容自体に関しての責任は負いかねますし、私個人は必ずしも書いてある趣旨に賛同している訳ではないことをお断りしておきます。

崩壊しかけている進歩と安全の神話
---------------------------------------------------------------------------------------------------
2011.3.25

ウルリヒ・ベック(ドイツ人社会学者)Ulrich Beck
フランス語訳 クリスティアン・ブーシャンドーム Christian Bouchindomme
日本語素約 @florestan854

グローバル社会のリスクを語ることは、時代の中心には一見しただけではわかりにくい進歩というものがあって絶えず社会的な論争を引き起こすような現代について語ることだ。
最大のリスクが訪れることは、個人にとっては預かりしらないことであった。そうではなくて、なにか事件が起きる度に政治が牽引力として利用するのである。核のリスク、気候変動、財政リスク、9.11等。私は25年前、チェルノブイリが起きる前に既にそうしたシナリオのことを述べていたのだ。

過去の工業化社会のリスクと異なり、今日のリスクには地理的、時間的、社会的に際限がない。因果関係という観点からは、失敗や責任を誰かのせいにできる規則は1つもない。賠償も保証もできないのである。民間の保険では守れない場合−原子力エネルギーや最新の遺伝子工学が該当する−定量化可能なリスクと定量化不可能な危険の境界はとめどなく曖昧である。工業製品の危険は外部経済化され、法によって個別化され、技術によって適正化され、政治によって最小化される。端的に言うと、潜在的に自己崩壊が進行する可能性のあるものに対して「合理的」な制御を確実にしようとする規制の仕組みは、ジャンボジェットの上で自転車を規制する程度の価値しかないのである。

だが、福島とチェルノブイリを区別する必要はないのだろうか。日本で起きていることは実は自然の大災害でありその破壊能力は人が決めた結果ではなく、地震と津波のせいなのである。

続きを読む "崩壊しかけている進歩と安全の神話(翻訳素案)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月17日 (日曜日)

ほとんど詐欺に等しいミスリーディングな記事

再生可能エネルギー:原発を逆転 風力や太陽光発電などウェブ魚拓
こちらは産経新聞。
風力・太陽光エネが原発を逆転 福島事故で差は拡大へウェブ魚拓
共同通信の配信記事なので、地方紙にも出ている。例えば徳島新聞。
再生エネが10年に原発を逆転 米シンクタンクが報告ウェブ魚拓

わかっている人が読めばからくりは明白なのだが、要するに発電実績ではなく「発電容量」で比較している点がポイントであり、ミスリーディングなのだ。産経の記事にはグラフが出ているが、このグラフに至っては詐欺と断定してよい。紙面では毎日にも同様のグラフがあり、こちらも共同が作成したのだろう。

そうでなくとも、今回の福島第一原子力発電所の事故で、今すぐ原発を全部止めろ、代替エネルギーは風力や太陽光だ、と叫ぶ連中が続々と湧いて出てきている。

太陽光や風力などの所謂自然エネルギーは、見かけの容量と比較して実際にはその1〜2割程度しか発電しない。しかも電圧が不安定な上、太陽光に至っては悪天候の日や夜は使い物にならない。つまり3億8100万Kwというのは実際には7000万Kw程度の出力だと考えてよいだろう。

もちろんこれらのエネルギーは条件のよい場所に設置すれば補助的な電源としては利用できるし、太陽光などは中長期的な技術革新も見込めるので、将来的には一定の役割を担うことだろう。しかし今すぐに代替エネルギーとしてベース電力を担うことは出来ないのだ。IEAのデータを見てもEU内での電力の主力は石炭火力と原子力である。

グラフに至っては、あたかも風力や太陽光が有力なエネルギー源であるかのような錯覚を抱かせるが、あくまで増加分であり、しかも原子力発電所が多く設置された1980年代以前はカットしてある。つまり必要以上に風力を大きく見せかけ、原子力を小さく見せかけているのである。

今後の日本及び世界のエネルギーのあり方(中期的には原子力発電から脱却して次世代エネルギーに移行すべきだろうと私個人は考える)を考える上で、こういう記事は混乱の元にはなってもブラスになる点はない。ワールドウオッチ研究所は民間非営利の研究機関ということになっているが、それは政治的に中立であることを必ずしも意味しない。アメリカ大統領選挙がスタートしたこともあり、政治的ないし思想的な力が働いていると見るべきだろう。

Nuclear Power After Fukushima

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月13日 (土曜日)

これはちょっと酷い書評だと思いませんか

絶版になった拙著(共編著)の版元である京都の学芸出版からの新刊紹介のメールから。

【おすすめの一冊】
大西 隆・小林 光 編著
『低炭素都市 これからのまちづくり』

兵庫県立淡路景観園芸学校の平田富士男という人が書評(読者レビュー)を書いているのだが、その冒頭が次のような文章である。

たとえ、それにデータ的、理論的裏付けがなくとも、国のトップがその政策目標を公に発すれば大きな影響力を発揮する。それは、政策運営のあり方に対してだけではなく、国民意識に対してでもある。「マイナス25%」という目標設定には、多くの国民がその達成に懐疑的な目を向けながらも、その反面「何かしなければ」という気持ちがより強くなったのも事実だろう。
学術書の書評が政治的発言に言及し「データ的、理論的裏付けがなくてもよい」というのは承服しかねる。

何かしなければ、という気持ちは確かに強くなった。それはこんなことを言う総理大臣を早く辞めさせなければならない、いいう気持ちである。

確かに長期的なエネルギー戦略は必要である。しかし前提が違っていればその内容も展開も異なる。二酸化炭素温暖化主犯説に立つと、200年の埋蔵量があるとされる石炭の利用が著しく制限されることになりかねない。残念ながら現状ではまだまだ再生可能エネルギーはすぐには主役になれないのだ。電力会社の技術者などはもっと本音を内輪話だけでなく広く世間に対して語るべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月21日 (水曜日)

またもやミスリーディングな変態新聞記事

CO2排出量:日本は悪化 OECD平均、初めて超過--発電量当たりウェブ魚拓

まるで日本だけが二酸化炭素の排出量を増やしているかのような記事だな。
これは単に2007年という、(中越沖地震の影響で原発が大量に停止した)日本にとってはある意味特殊な年の発電の種類の組み合わせに過ぎないではないか、と思われる。たまたまこういう年のデータがよくないからといって、こういうトーンの記事を書くのはどうかと思う。

元資料を探してみたところ、国際原子力機関(IEA)の CO2 Emissions from Fuel Combustion 2009 - Highlights という資料のPDF版の103ページ目(右上のノンブルでは101)が該当する。

このページはCO2 emissions per kWh from electricity and heat generation という表題なのだが、これを見ると、日本よりも数字が悪い10ヶ国はアメリカ、メキシコ、オーストラリア、韓国、チェコ、ギリシャ、アイルランド、ポーランド、トルコ、英国である。アイスランドとノルウェーは一桁ときわめて数字が低い。またスウェーデン、スイス、フランスも二桁と低い数字である。例えばノルウェーはなぜかというと、山岳国で人口約460万人と少ないので、自国の電力は水力でほぼまかなっていることが理由のようである。フランスはご存知の通り8割が原発という原子力発電大国である。

スウェーデンは原子力と化石燃料と水力等がだいたい1/3ずつだったようだが、近年化石燃料への依存を減らして、原子力と水力・バイオマスの二本柱に転換しているようだ。ここも人口900万弱という小国で、森林が多くバイオマスや水力に依存することができるという特殊性がある。原子力の比率も高いが、北欧は地盤が極めて安定しているのである。

2000年で見ると、日本はハンガリーと並んで30ヶ国中14位ということになる。もともとこのデータでは日本は上位にはないのである。

日本が2007年と同程度の数字になっているのは2003年である。これは何かあったのかな?詳細は不明である。
環境保護に熱心な人たち(皮肉だよ)が大好きなドイツがこの記事でも取り上げられているが、そのドイツは2003年から急激にこの数値が下がっている。

ところが少し後のページのCO2 emissions per kWh from electricity and heat generation using coal/peatというのを見ると、バラツキはあるもののヨーロッパは数値が低い。使用している石炭の質がよいのかもしれないが、そのドイツは2007年は848と前2年よりも増加して1995年くらいのレベルになっている。欧州全体で見ても2007年の数値は高い。

逆に日本は910と1990年以降では最低の水準なのである。この数字を見ても、日本の石炭火力発電の技術水準はトップクラスといえるだろう。

ドイツというと「脱原発」だが、実際には原発にも依存している。ネット上には2005年頃までに作成されたドイツの「脱原発政策」を紹介するサイトが恒心もされずに無責任にごろごろと放置されているが、総選挙の結果その見直しが争点になっているのが最近の状況だ。
おはようコラム 「ドイツ総選挙と脱原発政策」 ウェブ魚拓
↑ これは総選挙前に書かれたブログだが、脱原発見直し派のキリスト教民主・社会同盟が第一党を維持している。

早い話、どの年もその国の状況によって、これらの数値は変動する。特定の年の特定の数値だけ見て、あたかも日本の省エネが遅れている、あるいは状況が悪化しているように書くのはミスリーディングだと思う。

もちろん、エネルギー需給を考えれば、二酸化炭素が地球温暖化の主因であろうとなかろうと(私はないと思っているが)、エネルギー効率の向上は必要なことであるし、電源構成を変えていく努力もまた然りである。

最後に1つ。そもそもこの表を見ていると、欧州は低めにデータを取っているのではないか、と思えるのである。そう断定できる根拠は持ち合わせていないが、表中の数字そのものがどこまで信用できるのかも疑ってかかる必要がありそうだ。

参考サイト:世界と日本のエネルギー事情(青森県エネルギー問題懇談会)

| | コメント (0) | トラックバック (0)