このエントリーは、11月5日付の文系白書の「これどうなんだろう?」に対するコメントとして作成しました。
まずはそちらを御覧いただいた上で、このエントリーをお読み下さるようお願いします。
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お呼びがかかったので(笑)、あくまで個人的な見解として、考えを述べてみます。
かつて(1970年代頃だったと思う)100万都市をつくる会というのがあって、途中から人口がはずれて理想の都市群建設の会という風になったのですが、実質的な事務局は前橋の佐田建設というゼネコンがやっていたと思います。私は直接関わっていないので、あくまで報告書記載の体制からの推測ですが。ここは昨年、政治資金問題で辞任した佐田元行革相の一族です。
このケースでは高崎、前橋、伊勢崎、藤岡とその周辺が合併対象として構想されていました。平成の大合併でもこの4つでいっしょになったところはありません。高崎なんて広域行政事務が藤岡圏だった多野郡新町を引きはがして自分のところに組み入れてます。まあこの場合、新町が高崎になることを望んだわけですが、そのために藤岡は新町のごみ収集を拒否して、高崎が肩代わりしてます。
高崎と伊勢崎の間に佐波郡玉村町という自治体がありますが、他の佐波郡は平成の大合併ですべて伊勢崎市になった(佐波郡というのはもともとは佐位郡と那波郡が合併した郡で基本的に伊勢崎都市圏に相当します)のですが、いろいろと政争もあったりして、玉村だけは合併に参加しなかった。この町は、東は伊勢崎市、北は前橋市、西は高崎市と生活圏が分離してます。全体としては高崎指向が強いのですが、(現実的ではないけれど)「分町合併」でもしない限り、どことくっついても火種が残るはず。流域下水道の終末処理場とそのセットでつくられた県立女子大があり、太陽誘電の工場などもあって財政的には急いで合併する必然性がないだろうから、政治決着がない限り、当分はこのままでしょう。
前橋本拠のヤマダ電機が高崎駅東口に店舗付き新本社ビルを建設中で、本社移転します。
交通の便を考えれば、高崎移転は当然、というスタンスです。前橋に本社があるのは負け組だと社長が言ったという噂もあります(笑)。
さて、一番強烈な怨念を残したのは、明治初期の県庁の取り合いです。
当初高崎に県庁があったのに、高崎城が陸軍に接収されて適切な県庁用地がなく、運動を繰り広げた前橋に県庁を持って行かれて(群馬県庁は前橋城趾にある)、高崎に戻すという話しもあったようですが、結局そのまま今日まで至っています。
高崎城は関ヶ原の戦いの時に、徳川別働隊だった秀忠軍が行軍途中で一時期駐留していたのですが、陸軍にとっては魅力的な立地条件だったのでしょうね。
高崎市と前橋市はおおまかに言って利根川を挟んでおり、かなり気質が異なります。利根川って県境になっている川ですよ。群馬・埼玉、埼玉・茨城、千葉・茨城。基本的に高崎は旧群馬郡で前橋は旧勢多郡と郡も異なる。
前橋中心部は旧東群馬郡ですが、地理的に見れば実質勢多郡。前橋市域に利根川西岸の旧西群馬郡の地域もかなりありますが、あれは高崎の延長みたいなもの(笑)。
てな訳で、政治家がどういおうが、合併は困難でしょう。強引にやったとしても一体感ができるとは思えません。政令指定都市をつくるが自己目的になっているような連中も地元にはいますが、何考えているのか。公共事業が欲しいだけの頭の古い奴らもいるように見えます。これもどこまで現実的か分からないけれど、Wikipediaなんかには道州制の線引きによっては高崎が(北関東州の)州都になる、という説もあるようで(嘘くさいけど)、どう転んでも醜い主導権争いが展開されるような気がしてなりません。結果、住民不在の政争が続く。
そもそも市役所をどうするんだよって話しもある(^_^;)。上越線の井野・新前橋間に新駅つくってその周辺の田んぼを開発するか(笑)?どこにつくるにしても、新設なら無駄遣いもいいところ。
今のままが幸せだと思いますね。だって、日常生活は別に不自由はないし、両市民とも上記のような歴史的、地理的条件とは関係なく、仲良く普通に生活してますから(笑)。利権や名誉欲に目がくらんだ一部の政治家と企業経営者が突出しているのではないかなあ。
似たような状況の合併にさいたま市がある、ということにも触れておく必要があるでしょう。
県庁所在都市の浦和と交通の要衝の大宮(と間に挟まれた与野)が合併したさいたま市。後から岩槻もくっついたけれど、当初合併で見てみます。
これは大宮操車場跡地に国の機関を移転するのと絡んだ国策合併です。操車場跡地は旧大宮、与野にまたがっていて、こういうのは国は嫌う。つくば市が同様ですね。一方、畑知事時代の埼玉県には、上尾市と伊奈町も含んだ100万都市構想があって、5自治体の頭文字を取ってYOU And Iプランと言われていました。結局合併はYOUだけになったわけですが(笑)、旧大宮市は自分が真ん中になって主導権握れるので、YOU And I推進派だったのに対して、旧浦和市はYOU派。大宮と浦和の主導権争いの結果、浦和が勝って、結局さいたま市庁舎は旧浦和市庁舎だし(旧大宮市庁舎は大宮区役所に)、市長も浦和市長がそのまま居座ってます。「さいたま新都心」にさいたま市庁舎がない!
若い人達はあまり違和感を持っていないようですが、さいたま市に行くと、ある程度の年齢から上の人達は、未だに大宮、浦和、与野と言ってます。さいたまに行く、と言ったのではどこに行くのかよく分からないから当然ですけどね(笑)。
それでも浦和、与野、大宮とも旧北足立郡です。関東大震災の後、東京から移住した人達が多い浦和と昔からの門前町の大宮という気質の違いは確かにあるでしょう。しかし、今となっては南埼玉郡だった岩槻との融合の方が難しいかもしれません。あるいは地理的にみれば大宮と岩槻の結びつきが強いから、岩槻が上尾の代わりをして再び市政での大宮と浦和の主導権争いが再燃するかもしれませんね。
そういえばつくば市も合併して随分経つけれど、市庁舎は相変わらず旧谷田部町役場のままだなあ。
なお、群馬県の人口は200万人強です。現状の高崎市と前橋市が合併すると人口約70万で、静岡市と同じ規模になります。浜松に相当する都市がない、というのが決定的な違いですが。むしろ、実質的な県の状態としては、相模原が政令指定都市になった後の神奈川県のミニチュアみたいなものでしょう。
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ちょいと補足しておきます。
両市長とも面識あります。といっても前橋市長は一度会っただけです。高崎市長の方は、一応我が家の遠縁らしくて(直接血のつながりはないけど)、私が理事しているNPOが高崎市の行政にもそれなりに協力している、ということもあって、それなりに身近な存在ではあります。
お二人とも高齢なので、そろそろ後を考えてくれよ、と言いたいけれど(笑)、それはともかく、県の中心都市の首長としては、きちんと仕事をしている方だと思います。特に前橋市長は前任者が酷かったからね(^_^;)。
ただ、政令指定都市というのは、現在の中央集権的な都道府県制度において、道府県の権限を市に委譲する、というものなので、道州制に移行したとして、どうしてその政令指定都市が必要なのか、よくわかりません(笑)。
仮に北関東州になった場合、桐生、太田、館林、足利、佐野といったあたりがひっついて「両毛市」(この「亡霊」は根強く存在する)になると、こちらも政令指定都市規模になります。宇都宮もあるし、水戸、ひたちなか、日立って連合も出てくる。つくば・常総連合も出てくるかもしれないなあ。要するに州都争いで「手のつけられない状態」(笑)になるわけです。
だいたい、道州制にするなら、規模の大きい都市を州都にする必要は必ずしもないわけで、強引にアメリカの例を引けば、カリフォルニア州の州都は、LAでもなければサンフランシスコでもなければサンディエゴでもない。サクラメントって小さな都市です。
州都なんて議会があるだけの小さな都市でいいわけで、各都市はそれぞれの特性を生かして独自の発展を目指せばいい。高崎のようにこれまで県庁がなくても、それを奪われた屈辱を胸にしまって、立地条件の良さを武器に商都として発展してきたところは、州都になる必要なんてない。何も「ょ」を「ゅ」に替える必要はないわけです。
北関東州の州都は、渡瀬遊水池のあたりにでも必要最低限の機能で新しくつくってやればいい(笑)。