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2012年5月29日 (火曜日)

生活保護と扶養の問題について考えてみる

次長課長の河本準一の母親の生活保護受給の問題が世相を賑わしているが、当事者や行政関係者ではないので個々の事例について言及するだけの情報は持ち合わせていないので、今回はそのことではなく、この問題から出てきた「子による親の扶養」について考えてみたい。

小生は法律の専門家でも法学者でもなく、大学の一般教養で法学を学んだ程度ではあるが、専門分野では関連法規を扱ったこともあり、法律論を展開しても許されると思うので、その点は予めご了解いただきたい。

子による親の扶養の根拠は民法第877条にあり、次のような条文である。

(扶養義務者)
第877条 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。
《改正》平16法147
2 家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合のほか、3親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。
《改正》平16法147
3 前項の規定による審判があった後事情に変更を生じたときは、家庭裁判所は、その審判を取り消すことができる。

これは、子供は常に親を扶養しなくてはならない、ということではなく、「扶養義務とは,独立して生活していけない人に対して,経済的に支援してあげなければならない義務のことをいいます」ということらしい(−民法の取扱説明書− 扶養の義務とは?)。

さて、どの法律でも制定された時期があり、その時代背景と目的を考慮しないと、時代錯誤の法律が現実社会に適合せず、法律を墨守することが自己目的になってしまうという弊害があるのだが、しばしばそのことは無視される。典型例は少年法だろう。戦後の貧困と食糧難の中で、空腹に耐えかねてついつい食糧を盗んでしまった少年少女と現在の少年少女を同一に扱うのはおかしいのである。この場合、必要なことは恐らく法律の改正なのだが、政治家も法曹界もそういうことはしない。現状が彼らの都合によいからだろう。

さて、民法第877条は、当初の民法(明治29年4月27日制定)にあったわけではないが、第4編として約2年後の明治31年6月21日に制定された。当時の産業構造や家族構成、平均寿命などを考慮する必要があるだろう。すなわち農林水産業が主体で大家族、OECD資料によると1900(明治33)年の日本の平均寿命は44歳である(平均寿命の歴史的推移)。

もちろん平均寿命だから長生きする人もいることは間違いないが、子育てが終われば人生も終わる、というのが多数だろう。明治期の合計特殊出生率のデータが見あたらないのだが、団塊世代の頃で4.5程度で恐らく5前後だろう。乳児死亡率が現在の60倍くらい、普通死亡率が7倍くらいと高いが、実際の状況を見れば子沢山なことに疑いの余地はない。大家族だから世帯分離せず三世代同居が普通。次男以下も同一敷地内か近所に居住する。嫁入り先も近在の集落が大半だろう。
参考:歴史的に見た日本の人口と家族

という風に考えれば、民法第877条というのは制定当時の社会状況の追認であり、ごく自然に社会に受け入れられる内容だったと考えるのが自然である。

現代ならば生活保護の対象になる困窮者にしても、村落共同体でその救済に当たったであろうし、給与収入がなくても食糧は身の回りにある。もちろん現在のような豊かな社会ではないにしても、何とか生きていくことはできたであろう。それすらできない最悪の場合は共同体全体の崩壊か、相対的に裕福な都市部への「娘の身売り」かもしれないが、現代ですら困窮者の100%救済はありえないのだからいたしかたない。

現代とは社会状況が全く異なるのである。だからこそ高齢者や障碍者のための社会保障があるのである。若者は老い、健常者は常に障碍者となる可能性を孕んでいる。だから社会保障はセーフティネットとして社会の構成員全体に必要なのだ。

そういう時代に「年老いた親の面倒を子供が見るのは日本の伝統なのだ」という虚構をもって国民に道徳を説く政治家は警戒しなくてはならない。

民法の扶養義務規定は、現代社会の社会保障と整合性がとれるような形での改正が必要なのだと思う次第である。

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