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2011年8月30日 (火曜日)

祝・菅内閣総辞職

後継の野田内閣がどんな政権運営をするのかは、それこそ野田氏お得意の台詞のように「注意深く見守って」いくしかないが、夏の終わりにホッとするニュースである。

どうして菅直人が辞めなくてはならないのか、という意見もあるようだが、市民運動家出身(というか今でも気分は市民運動家に違いない)らしく、思いつきで一つの標的を次々と設定して攻撃していく、という手法ではとても一国、それも日本のような大国の運営などできやしない。恐らく厚生大臣だった自社さ連立政権の時の薬害エイズ問題の「成功体験」があるのかもしれないが、それこそ「シングルイシュー」である。

カイワレ大根のようなパフォーマンスもお好きなようだが、それは諫早湾の水門開放や東北地方太平洋沖地震の翌日の福島第一原子力発電所の視察などに現れていて、害毒である。確定的なことは言えないが、各種の情報から総合すると、あの地震の影響による全電源停止の翌日の原子力発電所視察は、その後の被害を拡大する方向に働いたと私は考えている。

諫早湾の問題はその後全く報道されていないが、棚晒しなのだろうか。この問題は単にパフォーマンスというだけでなく、国と地方の関係にも及ぶ。佐賀県や熊本県は概ね歓迎のようだが、長崎県は反発も大きく、地元選出の西岡参議院議長もへそを曲げて菅直人のことはポロクソだ。

要するに、国が地方の上位にあると錯覚し(更迭された松本前防災担当相も同様)、事前の調整もなく地方に何らかの負担を押しつけるという民主党政権の体質そのものということだ。これは鳩山政権時代の普天間基地問題や八ツ場ダム問題から一貫している。地方主権というお題目が口先だけであることを示しているのではないだろうか。

パフォーマンス好きは、四国のお遍路さんにも表れている。総理は真言宗か、と尋ねられて何のことかわからなかったらしいから、本当にパフォーマンスなのだろう。そして地元の目撃談として、カメラが向けられていない移動はタクシーに乗っていたらしい。

最後には朝鮮学校の無償化停止の見直し指示である。献金の問題なども含めて朝鮮半島にはズブズブのようだ。これだけでも一刻も早く辞めるべき、というより総理になるべきではなかった、というべきか。

民主党政権になってから、あまりにあほくさいので政治ネタをブログ記事にするのもバカバカしく、ツイッターで吐き捨てていたが、菅内閣総辞職は記念すべき歴史的事柄なので、久々にブログ記事にすることにした次第。

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2011年8月11日 (木曜日)

またうんざりする季節がやってきた

暑いから、というのもあるけれど、前にも書いたように8月ジャーナリズムに辟易とさせられるからだ。
戦争に対する反省は必要だろう。しかし我々の世代が起こしたのではない。もはや歴史の中の出来事なのだ。自虐的な反省ではなく、歴史に学ぶ態度でよいではないか。

まあテレビは視聴率を取るために有効なのだろうし、新聞も惰性でやっていると考えれば納得はしたくはないが理解はできる(笑)。だからテレビの「戦争特番」は見ないし、新聞記事もほとんどスルーである。未来を考えるのに有用な情報はほとんど提供されず、単に過去を振り返って懺悔しているだけのコンテンツは要らない。

広島、長崎は、今年福島第一原子力発電所の事故があったので、反原発派、脱原発派が勢いづいている。
長崎市長の「原子力に変わる安全な自然エネルギーの開発を」というのは政治的メッセージではあっても、技術論やインフラ論としては現実的では全くないのだ。

広島は、去年までは秋葉市長が、これまた8月ジャーナリズムの権化のような言動を繰り返していてうんざりだったが、今年は広島県知事が、慰霊祭は原爆の被害者のためのもので、原子力発電所と絡めるのは政治利用だ、という趣旨の批判をした。これは大いに支持したい。政治家が大衆に阿って現実離れした夢ばかり語るようでは、それこそ「子供達に未来はない」のだ。

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