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2010年12月31日 (金曜日)

これだけは年内に書いておかねば

11月にシステムのメンテに遭遇して失われてしまった原稿だが、年を超すのは意義が薄れるので駆け込みで概要を再現しておこう。

ここのところ、書きやすい交通ネタばかりだが(笑)、最後も空港ネタ。

10月に羽田空港が32年ぶりに再国際化(台湾便はしばらく飛んでいた。私も1990年に羽田から台北に一度飛んだとがある)されたが、毎日新聞の投書に「羽田が国際化できるならこの間の成田空港はなんだったのか」という趣旨の記事が掲載された。一言で言ってしまえば成田空港に対して否定的な意見なのだが、それは違う、ということを言っておかねばならない。出来上がってしまった現在を基準に、過去を断罪してはならないのである。

羽田空港が再国際化できたのは、沖合展開による規模拡張のためであり、それを可能にした土木技術の進歩がある。1978年の成田空港の開港までに至る様々な経緯はあるが、その是非は今更論じてもしかたがない。だが当事は羽田空港は容量が不足しており、国際線用の新空港が必要だった。

また当事の機材はB747、いわゆるジャンボジェットが主流であり、日本から欧米にノンストップで飛行するには最低でも3150mの滑走路が必要である。安全を考えて3500〜4000mが望ましく、実際成田のA滑走路、関空のB滑走路は4000m、関空のA滑走路と中部国際空港は3500mである。羽田の滑走路は最長で3000mである。輸送需要やパターンの変化や省エネ指向などの情勢変化により、近年では中型機が長距離輸送の主力になり、3000mの滑走路でも欧米までノンストップで飛行できるようになった。この違いを抜きに軽々に成田空港の役割を否定してはならない。

騒音にしても、30年前と単純比較するのは航空機材の進歩を考えるといささか乱暴なのだが、成田空港は必要だったのだ。今でも夜間の飛行制限で成田空港は17時間運用であり、これが発着枠の足枷になっている。仮に土木技術的に羽田空港の拡張が30年前に可能だったとしても、騒音問題で使い物にならなかっただろう。

東京都心部の高層建築と航空法による規制の問題もあるし(東京スカイツリーが634mになったのは制限が緩和された結果)、米軍横田・厚木基地を抱えて複雑で西側が制限されている首都圏の空域の問題も以前として残っている。

そして、現状の国内外の航空需要を考えると、成田空港の重要性は羽田の再国際化によって低下するものでもない。むしろ早く24時間運用できるように事態を打開すべきなのだ。

羽田空港の国際線就航から今日でちょうど2ヶ月。当初のバカ騒ぎはさすがになくなったが、羽田の再国際化で日本の国際線航空輸送の全てが解決するかのような論調は全く間違っている。ましてや成田空港のこれまで果たした役悪を否定するなど論外である。JALの経営再建問題も全く見通しが立っていないし、国内の多くの空港の赤字経営問題も大きな課題である。B787の再三の納期遅れという問題もある。一方で海外LCCの乗り入れ開始やスターフライヤーやスカイマークなどの国内LCCが国際線展開を表明するなどの新しい動きもある。

来年101年目を迎えて第2世紀に入る日本の航空ネットワークを更に利用者本位にし、日本経済も再浮上できるよう、航空関係者の頑張りに期待するところ大である。

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2010年12月30日 (木曜日)

細かいことを言うと

1日の時間は約24時間と限られているので、twitterで発言しているとついついブログが疎かになる(笑)。年末くらい、少し記事をものして締めることにしよう。やはり書きやすいのは交通ネタである。

今月4日に新青森までの全線が開業したとうほぐすんかんせん(東北新幹線)だが、東京・新青森が3時間20分というのが喧伝されている。これはJR東日本のPRの成果だ(褒めているのではない)。

東京・新青森間は新車両のE5系で運行するはやぶさが開業時に間に合わず(2011年3月5日に登場する)、定期列車ははやて15往復(その他に仙台・新青森と盛岡・新青森が各1往復)の運行となるが、所要時間3時間20分なのは上野通過の上りはやて2号だけである。下りの最速列車は3時間23分、上りの2号を除く最速列車は3時間26分である。たいした違いではないかもしれないが、例外を普通のように語るのはどうかと思うのである。細かいことを気にするのが鉄なのである(反論もあるかもしれない(笑))。

はやぶさが登場すれば当初は最速で3時間10分程度なので、今度は東京・新青森3時間10分となるのだろう。そして最高時速320km運転になると3時間5分程度となる。ならばいっそのこと「ゆとり教育のおける円周率の扱い」ではないが、大雑把に約3時間でいいではないかと言いたくなる。2015年度に新函館まで延伸されれば最高時速360kmが実現して(現在最高260km/hに制限されている盛岡以北の速度制限が緩和されて)、東京・新青森間の所要時間は3時間を切るかもしれないし、その時にはもう青森はどうでもよくなって(笑)、東京・新函館(仮)4時間10分(これは当てずっほうの数字だが)などと騒ぎ出すのだろう。

ああ、それと、青函トンネル内での貨物列車とのすれ違い問題が解決しないと東京・新函館間は4時間30分くらいの所要時間になるかもしれない。

結論。停車駅の多いはやての東京・新青森間の所要時間は3時間33分〜37分なので、同区間の新幹線による所要時間は概ね3時間30分前後、というのが妥当な表記だと言えよう。いずれにしても青森県の人達には嬉しい出来事だろう。改めて祝・東北新幹線全線開業。

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2010年12月20日 (月曜日)

航空100年

すっかり更新が滞っているブログであるが(笑)、日常の意見表明をツイッターで行っていると、時間は限られているのでこちらがおろそかになってしまうのは致し方ない。あまりのバカバカしさに政治批判もわざわざブログで行う気になれないこともある。

実は先月、羽田・成田の空港問題についての比較的まとまった記事を作成したのだが、なんというタイミングの悪さか、投稿ボタンをクリックした瞬間、よりによってプロバイダーのサーバメンテ(通告はあったがうっかり失念していた)に引っかかり、記事が消失してしまい、脱力感に見舞われたのである。

その記事の内容は記憶にあるので、復元するつもりだが、その前に同じ航空絡みの記事を作成することにした。先日東大安田講堂で開催されたシンポジウムを聞きに行ったのだが、その案内を受け取り、初めて今年が日本の航空100年の記念の年であることを知った。時には航空機を利用し、また空港問題や航空機、航空ネットワークに関心を持つ身としては不覚であった。もっと早く知っておくべきだった。

1910年12月19日、日野、徳川両陸軍大尉が代々木練兵場(現代々木公園)で我が国発の飛行に成功した。戦前の航空輸送は民間会社がいくつか作られ始まったとのことだが、その後国営会社への移行が画策され、その路線に乗った会社、反発して民間のまま運営する会社があり、大東亜戦争まで紆余曲折を屁ながら発展したようである。軍用機ではあるが名機零式戦闘機も忘れてはならないだろう(子供の頃よくフラモデルを買って作ったものだ)。

敗戦により我が国の空は飛行禁止になったが、戦後復興の中で航空輸送も再開された。日本航空(JAL)は国策会社だが、全日空(ANA)は民間のヘリコプター輸送会社としてスタートした。全日空の航空会社コードは当時の社名の日本ヘリコプター由来のNHである。YS11という一時代を気づいた国産のプロップ機も登場した。また海外渡航も飛行機輸送が主流になり、一般国民の海外旅行が自由化されたのは1964年4月1日であった。

1964年は(私が小学校に入学した年でもある)東京オリンピック開催と東海道新幹線開業という2つの出来事があった年として語られることが多いが、その後の日本の歩みを考えると海外旅行自由化も大きな出来事として記憶されてもよいだろう。

近年は多くが赤字経営の「多く作られすぎた空港」が批判されている。大型機に偏った機材構成で運用されてきた航空輸送も、赤字と不安定な航空輸送ネットワークの原因の一端だろう。新幹線という陸上の高速輸送機関が発達している日本の特徴もある(先進主要国では長距離高速輸送に占める鉄道の比率はせいぜい数%だが日本は約1/4である)。主要空港の着陸料が高額であったり、発着枠に制限があることも、航空会社には負担である。ANAは2010年月期に連結決算で500億円を超える赤字を計上した。ただしJALの経営体質をここで擁護するつもりはない。

こうした課題に対処するための方向性ともいうべき内容が、前述の安田講堂でのシンポジウムで、地域航空輸送のあり方をテーマに議論された。能登空港の搭乗率保証と国産小型ジェット機のMRJ(Mitsubishi Regilonal Jet)の開発が主要事例として紹介され、討論の対象となった。

以下はその概要である。

能登空港は開業時羽田便1往復の枠が割り当てられたが、どうしても二往復を実現したい石川県が全日空に働きかけて搭乗率保証を導入したものだが、目標率を下回った場合に県が全日空に補填金を支払うだけでなく、上回った場合は全日空が県に販売促進協力金を支払う「双方向」の取り決めで、当初三年はこの協力金が支払われ、その後目標率を幅を持たせて設定した結果、どちらも金を払わなくてよい水準の搭乗率を維持しているという。またタクシー会社の協力を得て運行している空港アクセスバスを予約制にすることで、安価かつ安定した輸送手段として定着させているという。リピーターを増やすための地域ぐるみでの取り組みもなされている。

三菱航空機株式会社が開発中のMRJは100人を下回る規模の小型ジェット機であり、省エネを実現した国産機である。全日空は既に初期ロットの導入をローンチカスタマーとして決定しているとのことである。

JALが撤退した静岡空港(これも無駄な空港として槍玉に挙げられることが多い)だが、フジドリームエアラインという地元資本の会社が小型ジェット機5機で複数路線を運用してそれなりの輸送量を達成しているようである。

確かに小型ジェット機であれば地域航空輸送の需要に柔軟に対応でき、搭乗率も確保できる。輸送需要の小さいところに中大型機を飛ばせば搭乗率が低くなるのは当然であるし、機材運用としても効率的とは言えない。フジドリームエアラインは現在エンブラエル170と175という小型機を使用しているが、省エネ高信頼の国産機への期待は大きいだろう。全日空もローカル線の運用を弾力できるとして期待をしているようである。

フジ社の社長が最後に「補助金をばらまくよりももっと自由に事業ができるような環境を整備して欲しい」という趣旨の発言をしていた。そのとおりだと思う。限られた国家財政の中で補助金交付には限界があり、また補助金漬けでの事業など発展が見込めない。能登空港の事例もそのことを示している。

来春九州新幹線が全線開通し、今後少なくとも2015年度までに金沢と函館まで新幹線が伸びる。そうなるとますます新幹線と航空の競争が激化する。羽田空港が再国際化した航空100周年の今年は、今後の航空輸送のあり方を考える必要のある、新たな100年の出発の年でもある。

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