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2010年8月15日 (日曜日)

「8月ジャーナリズム」の欺瞞

8月になると大東亜戦争がらみの新聞記事やテレビ番組が多くなるのを「8月ジャーナリズム」というのだそうだ。NHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」というコーナーで、実践女子大の飯田良明教授が、戦争の記憶を風化させないために、毎年新しい視点で8月ジャーナリズムを継続することが新聞の責務である、と語っていた。

今日は形式的な終戦の日である。国民の間に終戦記念日として定着しているので、一応重要な日であるとしてもよいだろう。しかし戦争がらみで重要な日は他にもあり、8月にそれが3つほど集中しているのが8月ジャーナリズムの源流だろう。3月10日もあるし6月23日もある。8月9日に関して言えば、この日がまるで長崎に原爆が落とされただけのように扱われる事が問題だ。ソ連対日参戦というもう1つの重大事があった。シベリア抑留や北方領土問題をはじめとするこれに端を発する死者の数やその後の社会への影響を考えれば、こちらにもっと光が当たってもよいと思う。

空襲に関して言えば3月10日の東京大空襲はその悲惨さや死者数から原爆投下とほぼ同等の扱いを受けているが、今年あたりはようやく地方都市の空襲にも地元の人たちの執念が実って目が向けられるようになったのは好ましいことだろう。広島への原爆投下の前日の8月5日には私の故郷の隣町である前橋市も空襲に見舞われている。

実際にポツダム宣言を受け入れて停戦したのは8月14日(15日は録音された昭和天皇のいわゆる玉音放送が流された日)だが、上記のソ連参戦で8月15日以降も北方では戦闘が継続し、南樺太や千島では死傷者が多く出た。これは北海道本島がソ連に占領されないための尊い犠牲であったので、我々はこれらの人々にもっと畏敬の念をもつべきだろう。

8月ジャーナリズムは客観的に大東亜戦争の姿に迫っているかといえば、およそほど遠いだろう。
戦争に対する反省の名の下に、自虐的な歴史観が展開され、戦前の日本は何でも悪であるかのような風潮が下敷きになっているからだ。そして韓国併合問題に代表されるように、平気で歴史をねじ曲げる嘘が罷り通っている。生存者へのインタビューは必要ではあるが、歳月の経過とともに事実からは遠ざかり、時間とともに醸成された感情が事実を覆い隠す。事件の解決に目撃証言だけでは過ちを犯すのと同じことだが、65年も経過すれば事実などほとんど消えてしまう。

8月ジャーナリズムの記事や番組が戦争体験者に与える影響も小さくないはずだ。そこで語られていることが自分自身の経験に何らかの影響を与え、針小棒大な語りになったり、必要以上に自責の念に駆られて過度に感情的に戦争体験を語ってしまうだろう。

実際、自分の小学生頃の記憶がどれだけ正確なものか考えてみればいい。戦時と平時は違うというだけでは記憶や目撃の曖昧さを否定する理由としては不十分だ。

要するに8月ジャーナリズムというのは、事実とは関係なく(全てが事実でないとは言わないが)、そこで語られたことが新たな擬似的戦争体験を呼び覚まし、8月ジャーナリズム自身の拡大再生産を招いているのである。そもそも戦意高揚に邁進し国民を煽った自らへの反省が8月ジャーナリズムにほとんど見られないのが、何よりの欺瞞なのだ。

戦争を反省し、悲惨な自体を招かないようにするためには、もっと死者の遺した記録も含めて文書記録に残っている事実を冷静かつ客観的に読み解き分析する必要がある。また、兵器の能力や兵力比較、暗号技術や情報収集、諜報活動、通信、兵站といった嫌われる部分ももっと科学的に語られる必要もある。巨艦主義に陥り航空機の重要性を軽んじた時代錯誤製への反省がもっと社会全体に広く認識されていれば、国際社会の動きを読み解きその変化に対応する力が備わり、今日のようなガラパゴス経済といわれる閉塞社会を招くこともなかっただろうと思う。高度成長に浮かれて日本の繁栄は未来永劫続くような錯覚に陥った官僚政治・自民党政治は、日露戦争の勝利に酔いしれその後の時流を見誤った旧日本軍とダブって見える。

8月ジャーナリズムを継続するなら、これまでのようにお涙頂戴の想い出語りや懺悔の声ではなく、ジャーナリズムの原典に立ち返って、客観的に事実に立脚した地道な戦争論を展開すべきである。それができないなら8月ジャーナリズムは「この報道は事実に基づいていますがフィクションです」とでも断り書きをしろ。

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コメント

次の戦争をしないためには,12月8日(現地12月7日)や7月7日のほうが重要でしょう。

投稿: TuH | 2010年8月16日 (月曜日) 03時18分

>>TuHさん

仰るように「節目の日」はいくらでも挙げられます。問題はいつ振り返るのかではなく、どう振り返るかだと思います。

投稿: フロレスタン | 2010年8月16日 (月曜日) 07時50分

将に、「節目の日はいくらでも」ですね。

TuHさんが言われる12月8日も重要ですけれど、そこまでの軌跡をたどってみると、どうも「満州事変以後」と「以前」での切り替えが感じられてなりません。

石原莞爾までは、謀略を縦横に巡らせつつも、基底には目的としての国防があり、戦争行為は手段だった。それが、東条以後は、阿片を巡った謀略も含めて、手段と目的が逆転していく。「阿片王」とか、「東条英機」等を読むとそんな気がしてなりません。

対米戦そのものは、日露戦終結時点で既に海軍で想定されていたし、南北両方面戦が無謀であることは解りきっていた。そんな中、シニカルに遊泳していたのが甘粕正彦であり、野望に燃えた青年官僚が岸信介だった。この両名の終戦以後を、これから追っていきたいと思います。森繁久弥亡きあと、満州国の生き証人は、山口淑子だけになってしまいましたし。

付け加えるなら、石原莞爾に心酔していたのが市川房江、晩年の市川を担いだのが菅直人。一方、「岸の遺伝子の恐ろしさを知らんか」と息子共を一括したのが鳩山威一郎、その本人が安部晋三。近代日本史のキーワードは「満州」だと、私は思っています。

投稿: 元システム屋 | 2010年8月17日 (火曜日) 21時03分

私は石原莞爾という人物のことはほとんど知らないのですが、歴史の流れを見ると満洲事変が境目、というのは同意できますね。

満洲は満鉄のこともあるし、戦後日本にもいろいろと影響を与えていて、近代日本史で重要な要素であることも同意です。

あ、私は本来の「満洲」という表記を使うようにしています。満洲はマンジュで文殊と同じ。二文字で民族を表す固有名詞ですので。

投稿: フロレスタン | 2010年8月18日 (水曜日) 21時16分

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