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2010年8月 9日 (月曜日)

広島・長崎は特別なのか

今日は長崎の原爆投下から65年目。小倉上空の天気が悪くてとばっちりをくった長崎の被爆者の方達や3日前に被爆した広島の方達に何の恨みもないけれど、どうして大東亜戦争が終わって65年も経つのに、広島・長崎だけが特別扱いなのだろうか。強いて言えばメディアの扱いが大きい戦災としては、これに沖縄戦と東京大空襲が加わるくらいである。

しかし65年前の今日は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、ソ連が対日参戦した日である。以前8月18日の占守島の戦いのことを記事にしたが、このソ連の参戦はその後の南樺太・千島の不法占拠(樺太での電話交換手の全員自決などもあった)や満洲占領、そして不法な日本兵のシベリア抑留へと繋がっていく、忘れてはならない歴史的な日なのだ。たまたま仕事で外出して靖国通りを歩いていたら、右翼の街宣車に出くわした。彼らの行動に賛同できる部分は殆どないが、節目にきちんと行動する点だけは評価してもよい。

私の岳父はシベリア抑留で辛酸をなめ無事に帰国したが若くして無くなった当時の仲間のことやソ連への恨みを死ぬまで語っていた。そして私の伯父(母の兄)もシベリア抑留を経験し、帰国したが体調を崩して間もなく20代半ばで夭逝した。この2人やシベリアの地で命を落とした多くの人達と原爆で無くなった人達の命に差はないはずであるが、メディアの扱いはそうではない。原爆投下というアメリカの不法行為を非難するのであれば、同じ程度にソ連の国際法違反も(継承国のロシアに対して)糾弾すべきなのだ。

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コメント

私は、正にその「曇りの小倉」で母親を殺されかけました。当日が晴れていれば、今ごろは、存在すらしていなかったでしょう。
このため、母方の一族・私の兄弟は、甥・姪の代までは確実に「ナガサキ」を語り継ぐと思います。

また、現在の住まいは東京大空襲で焼き払われたど真ん中なので、地元の方々と仲良くなると、古老(関東大震災も被災した方々)からの語り継ぎが生々しく「活きて」いることを実感します。

今次世界大戦は、なんらかの形では必ず日本人に影響を与えているはず。「特別扱い」という言い方より、総体的な反戦への想いが共有されていることを担保することが必要なのではないでしょうか。

NHKではシベリア抑留の特集がありましたし、高校の恩師は、かのインパール戦の地獄を生き抜いた勇者でした。とてもそう思えない温和な学究肌の方でしたが、退職後、亡くなるまで、現地で遺骨収集をされていましたよ。

鉄鋼の現場で働いていたころは、釜石の艦砲射撃の体験者の方もおられましたが、そういう終戦間際の暴力的な英国の仕返し(PofW)は、マスコミでも取り上げられにくいですし。

投稿: 元システム屋 | 2010年8月10日 (火曜日) 05時25分

>>元システム屋さん

「総体的な反戦への想いが共有されていることを担保することが必要なのではないでしょうか」

というのは戦争は絶対悪である、というイデオロギーがなければそれでよいと思いますが、現実は特定の団体ないしイデオロギーに汚染されています。純粋な脱イデオロギーなど人間の感情からすれば不可能でしょうが、現状反戦主義なら嘘も許されるとでもいうような過度の偏りが感じられます。

私は大東亜戦争が一方的な侵略戦争で絶対悪だとは思っていませんので、そのように思っている人達とは思いは共有できません。

総体的な反戦への思いを共有するよりも、個々人が死者への鎮魂の思いを持ち続けることの方が安寧な世の中につながるように思います。

投稿: フロレスタン | 2010年8月10日 (火曜日) 11時07分

国は滅んでも戦争だと、国は滅んでも反戦だとはまさに紙一重。

投稿: wagonthe3rd | 2010年8月11日 (水曜日) 16時25分

【戦争とは政治行為であり手段である】ですね。クラウゼヴィッツだったと思いますが。

「大東亜戦争が一方的な侵略戦争で絶対悪だとは思っていません」は、同感です。裏表とはいえ、結果的に東南アジア圏から欧米列強を排したことは素直に評価すべきと思っています。

その点、隣国の半島は… 日本が併合していなければ(=日露戦に負けていれば)、ロシアの支配下になったはず。そのifを意識しているのかいないのか… 

ちなみに、曾祖父は、旭川七師団の上等兵で日露戦に出征しています。あまり一族に記録が残っていませんが… 

投稿: 元システム屋 | 2010年8月11日 (水曜日) 19時54分

>>wagonthe3rdさん

戦争も反戦も絶対視、神聖化したらだめ、ということですね。

>>元システム屋さん

今頃ハングルは地上から消滅していたはずですね。実際、モンゴルはまだキリル文字のようですし。人間の性として戦争はなくならないと思うので、戦争を一括りにして反省するのではなく、何を反省すべきか、要素や構造を冷静に分析しないといかんと思います。

投稿: フロレスタン | 2010年8月12日 (木曜日) 01時03分

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