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2010年8月31日 (火曜日)

今月はだらだらと過ごしてしまった

8月も終わりかあ。ブログ初めて満6年が経過。

最近は、思いついたらすぐに書き込めるので、twitterに散発的に(時には集中して)書き散らしているけれど、そのせいかどうか、長めの文章を論理的に構成するという能力が衰えてきているかもしれない(笑)。この夏は暑くて体力的にも精神的にもきついしねえ(^_^;)。

まあ世の中批判しても、似たような愚痴の繰り返しになってしまうし、民主党政権には正直もううんざりなので、twitterで皮肉っぽく突っ込むのがちょうどいいのだ。

ともあれ、明日から7年目に突入する。人生は既に下り坂だが課題も多い。細々とでも継続していくことにしよう。

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2010年8月28日 (土曜日)

列車名が僭称気味じゃないかね、九州新幹線鹿児島ルート

来年3月12日開業予定の九州新幹線鹿児島ルートの博多・新八代間。
新大阪・鹿児島中央直通の「さくら」に加えて、最速達タイプの「みずほ」の運行も発表された。
新大阪・新神戸・岡山・広島・小倉・博多・熊本・鹿児島中央という停車パターンで最短3時間47分で走破するという。要するに「スーパーさくら」なわけね。

こうなると「さくら」の速達タイプの基本は博多・新鳥栖または久留米・熊本・新八代・川内・鹿児島中央ってところか。新鳥栖と久留米が近すぎるんだよな。でも新鳥栖に停めないと佐賀県が五月蠅いだろうし。鉄ヲタとしては正式ダイヤの発表が楽しみだ。

それにしても、いくらかつての東京・九州間のブルートレインの愛称相性だったからと言っても、さくら、みずほという日本語を代表する名詞が西日本しか走らない列車に使われるのは、東日本居住者としてはちょいと納得できない。ま、JR東日本がローカルな地名と鳥の名前ばかりを使っているのがよくないんだけれど(笑)。

東北新幹線も今年12月に新青森まで全通することだし、そのうち新青森・鹿児島中央を通して乗ってみるかね。

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2010年8月15日 (日曜日)

「8月ジャーナリズム」の欺瞞

8月になると大東亜戦争がらみの新聞記事やテレビ番組が多くなるのを「8月ジャーナリズム」というのだそうだ。NHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」というコーナーで、実践女子大の飯田良明教授が、戦争の記憶を風化させないために、毎年新しい視点で8月ジャーナリズムを継続することが新聞の責務である、と語っていた。

今日は形式的な終戦の日である。国民の間に終戦記念日として定着しているので、一応重要な日であるとしてもよいだろう。しかし戦争がらみで重要な日は他にもあり、8月にそれが3つほど集中しているのが8月ジャーナリズムの源流だろう。3月10日もあるし6月23日もある。8月9日に関して言えば、この日がまるで長崎に原爆が落とされただけのように扱われる事が問題だ。ソ連対日参戦というもう1つの重大事があった。シベリア抑留や北方領土問題をはじめとするこれに端を発する死者の数やその後の社会への影響を考えれば、こちらにもっと光が当たってもよいと思う。

空襲に関して言えば3月10日の東京大空襲はその悲惨さや死者数から原爆投下とほぼ同等の扱いを受けているが、今年あたりはようやく地方都市の空襲にも地元の人たちの執念が実って目が向けられるようになったのは好ましいことだろう。広島への原爆投下の前日の8月5日には私の故郷の隣町である前橋市も空襲に見舞われている。

実際にポツダム宣言を受け入れて停戦したのは8月14日(15日は録音された昭和天皇のいわゆる玉音放送が流された日)だが、上記のソ連参戦で8月15日以降も北方では戦闘が継続し、南樺太や千島では死傷者が多く出た。これは北海道本島がソ連に占領されないための尊い犠牲であったので、我々はこれらの人々にもっと畏敬の念をもつべきだろう。

8月ジャーナリズムは客観的に大東亜戦争の姿に迫っているかといえば、およそほど遠いだろう。
戦争に対する反省の名の下に、自虐的な歴史観が展開され、戦前の日本は何でも悪であるかのような風潮が下敷きになっているからだ。そして韓国併合問題に代表されるように、平気で歴史をねじ曲げる嘘が罷り通っている。生存者へのインタビューは必要ではあるが、歳月の経過とともに事実からは遠ざかり、時間とともに醸成された感情が事実を覆い隠す。事件の解決に目撃証言だけでは過ちを犯すのと同じことだが、65年も経過すれば事実などほとんど消えてしまう。

8月ジャーナリズムの記事や番組が戦争体験者に与える影響も小さくないはずだ。そこで語られていることが自分自身の経験に何らかの影響を与え、針小棒大な語りになったり、必要以上に自責の念に駆られて過度に感情的に戦争体験を語ってしまうだろう。

実際、自分の小学生頃の記憶がどれだけ正確なものか考えてみればいい。戦時と平時は違うというだけでは記憶や目撃の曖昧さを否定する理由としては不十分だ。

要するに8月ジャーナリズムというのは、事実とは関係なく(全てが事実でないとは言わないが)、そこで語られたことが新たな擬似的戦争体験を呼び覚まし、8月ジャーナリズム自身の拡大再生産を招いているのである。そもそも戦意高揚に邁進し国民を煽った自らへの反省が8月ジャーナリズムにほとんど見られないのが、何よりの欺瞞なのだ。

戦争を反省し、悲惨な自体を招かないようにするためには、もっと死者の遺した記録も含めて文書記録に残っている事実を冷静かつ客観的に読み解き分析する必要がある。また、兵器の能力や兵力比較、暗号技術や情報収集、諜報活動、通信、兵站といった嫌われる部分ももっと科学的に語られる必要もある。巨艦主義に陥り航空機の重要性を軽んじた時代錯誤製への反省がもっと社会全体に広く認識されていれば、国際社会の動きを読み解きその変化に対応する力が備わり、今日のようなガラパゴス経済といわれる閉塞社会を招くこともなかっただろうと思う。高度成長に浮かれて日本の繁栄は未来永劫続くような錯覚に陥った官僚政治・自民党政治は、日露戦争の勝利に酔いしれその後の時流を見誤った旧日本軍とダブって見える。

8月ジャーナリズムを継続するなら、これまでのようにお涙頂戴の想い出語りや懺悔の声ではなく、ジャーナリズムの原典に立ち返って、客観的に事実に立脚した地道な戦争論を展開すべきである。それができないなら8月ジャーナリズムは「この報道は事実に基づいていますがフィクションです」とでも断り書きをしろ。

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2010年8月10日 (火曜日)

売国奴なんて言葉では不足である

韓、もとい菅直人首相の日韓併合100年にあたっての談話など、お詫びと謝罪をするなら不要だ。
そもそも「植民地」支配ではないし、多大な損害や苦痛も与えてなどいない。むしろ半島でのインフラ整備で財政持ち出しになり、国内で東北地方などが貧困に喘いだくらいだ。

今日の総理談話で精神的な苦痛を感じた日本人は少なくないと思う。総理には、そうした今日の日本人に対して謝罪を要求する。

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2010年8月 9日 (月曜日)

広島・長崎は特別なのか

今日は長崎の原爆投下から65年目。小倉上空の天気が悪くてとばっちりをくった長崎の被爆者の方達や3日前に被爆した広島の方達に何の恨みもないけれど、どうして大東亜戦争が終わって65年も経つのに、広島・長崎だけが特別扱いなのだろうか。強いて言えばメディアの扱いが大きい戦災としては、これに沖縄戦と東京大空襲が加わるくらいである。

しかし65年前の今日は、日ソ中立条約を一方的に破棄し、ソ連が対日参戦した日である。以前8月18日の占守島の戦いのことを記事にしたが、このソ連の参戦はその後の南樺太・千島の不法占拠(樺太での電話交換手の全員自決などもあった)や満洲占領、そして不法な日本兵のシベリア抑留へと繋がっていく、忘れてはならない歴史的な日なのだ。たまたま仕事で外出して靖国通りを歩いていたら、右翼の街宣車に出くわした。彼らの行動に賛同できる部分は殆どないが、節目にきちんと行動する点だけは評価してもよい。

私の岳父はシベリア抑留で辛酸をなめ無事に帰国したが若くして無くなった当時の仲間のことやソ連への恨みを死ぬまで語っていた。そして私の伯父(母の兄)もシベリア抑留を経験し、帰国したが体調を崩して間もなく20代半ばで夭逝した。この2人やシベリアの地で命を落とした多くの人達と原爆で無くなった人達の命に差はないはずであるが、メディアの扱いはそうではない。原爆投下というアメリカの不法行為を非難するのであれば、同じ程度にソ連の国際法違反も(継承国のロシアに対して)糾弾すべきなのだ。

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2010年8月 2日 (月曜日)

世間とずれているマスメディアの感覚

日テレの記者とカメラマンが秩父で遭難死した。死亡したこと自体には哀悼の意を表したいが、あまりにもその行動と会社の反応がおかしいので、例えばYahoo!掲示板などでは批判の嵐である。当然だろう。批判の内容の多くはもっともなのだ。

取材しようとした防災ヘリの墜落現場だが、そもそもその墜落自体が二次災害であり、当日は三次災害を防ぐため警察が入山しないよう警告していたのだ。しかも軽装(Tシャツとジャージだったという)だったため、ガイドが危険と判断して一旦入山口へ引き返した後、制止を振り切って再入山という。そして日テレサイドは有能な社員を失って残念、装備に問題はなかった、などと弁解している。

どうして現場のガイドが軽装で危険だと言っているのに、日テレは問題ないと断定できるのか。そして有能な社員がどうしてガイドを振り切って山に入ったのか、など考えられる疑問はほとんどネット上に出尽くしている。

ヘリの墜落の原因究明などは必要なことだが、それは警察や埼玉県、ヘリの所有会社など当局や当事者の仕事である。メディアは夏山に軽い気持ちで軽装でいくことの危険性こそ一般市民に伝えるべきである。そうでなくとも、近年中高年の安易な登山が批判を浴びている。ここのところ毎年のように中高年の登山初心者の遭難が伝えられるようになっている。

無謀な突撃取材など最早多くの視聴者は求めてなどいないだろう。メディアサイドからすれば成功した時には陶酔感に浸れるのだろうが、無謀さが有能さと同一視されるような体質が日本の報道機関にはあるのではないだろうか。悪い意味でのメディアスクラムで、ガイドが悪者にされないよう、事実関係がきちんと救命されることを臨むが、メディアの報道は身内・同業者に甘いからどこまで期待できることやら。

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