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2010年3月23日 (火曜日)

自治体名から消えた安土

21日に滋賀県蒲生郡安土町が近江八幡市と合併し、新・近江八幡市が誕生し安土町が消滅した。

信長のまち二分 滋賀・安土町リコール町議選で合併反対派が過半数ウェブ魚拓

その前には合併推進派の元町長もリコールされ、町を二分するドロドロの戦いが繰り広げられていたようだ。
近江八幡市は例えば私立総合医療センターをPFI方式で建設し、経営難に陥っている。
現在はPFI方式を停止して、市の直営にしているようだ。

以下にリンクしたブログに記載のような経緯らしい。
近江八幡市PFI病院の倒産の恐れ
PFI契約解除 滋賀県近江八幡市立総合医療センター
近江八幡市立総合医療センターを考える会

合併推進派は市になって体力をつけて安土を発信する、という考えのようだが、上記のような状態では体力をつけるどころか消耗してしまう可能性もある。安土という名前は歴史の教科書に必ず登場するくらいだから知名度は、自治体の規模(合併前の町時代で約12,000人)を考えると非常に高く、実際、地元の観光業者や商業者なども安土の名前が消えるのはマイナスだ、とテレビのインタビューに答えていた。

しかし、いずれにしても合併が法的に決まった後の反対派の動きなので、安土町は既に消滅してしまった。もう一度「分離独立」する分立(ぶんりゅう)という手段はあるが、これはもう50年近く実施例がないそうだ(それ以前では1940年に一度川口市と合併した鳩ヶ谷町(現鳩ヶ谷市)が1950年に分離して再び鳩ヶ谷町になった例がある)。

これで「豊臣家による織田家乗っ取り」が完全に終わったことになる。
安土町は文字通り織田信長が安土城を建設しその城下町として発展したが、本能寺の変の直後安土城は明智秀満によって焼かれてしまった。豊臣政権になってから、秀吉の甥の後に関白となる秀次が隣接地に八幡城を建設し、その城下町として発展した。近江商人発祥の地とも言われ、昔のメンタムの近江兄弟社(一度倒産した)なんかもここが本拠地である。

豊臣政権の実現は、秀吉を首謀者とする羽柴一族による織田政権乗っ取りだったわけだが(織田氏の子孫は大名として幕末まで続く)、400年以上経って、ついに安土の町名も豊臣氏によって基礎が作られた都市に吸収される(法的には両者対等な新設合併という形だが)ことで自治体名としては消滅した(近江八幡市の町名としては残る)。

安土の由来は平安楽土という言葉であるという説が有力であるようだ。そしてこれは仏典由来と考えられている。対して八幡神は応神天皇であり神道の神様であるから、神道が仏教に勝ったとも言える。いわば「廃仏毀釈」である。

2010年3月21日という日は、戦国時代(1582~1585年あたり)や明治維新の頃を投影した、歴史的な日だったのだろう。

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コメント

> 管理人様

面白い記事でございました。
まぁ、自分を第六天魔王と自称した信長、安土もどこまで仏教思想が影響していたのか分かりませんが、結局信長がそのまま天下を取っても、仏教は今とずいぶん形を違えていたであろうと思います。

投稿: tenjin95 | 2010年3月23日 (火曜日) 19時26分

>>tenjin95さん

ああ、なるほど、そういう歴史のifを考えるのも面白いですね。宗派も今とは違っていたかもしれません。

発掘調査をした学者の見解では、安土城と城下町のつくりは、天皇を迎え入れる(つまり遷都)ように出来ていたというのを以前NHKスペシャルでやってました。ただし信長自身の住む天守閣が最上階にある。

一方、作家の井沢元彦氏によると、足利義満は行為簒奪を企てていて金閣寺の造りにその野望が込められているのだそうで。

形は違えども、2人とも自分が一番上なのだと主張しているようなのですが、義満は天皇がこの世で一番上だと思っているのに、信長は自らが天皇よりも上の神様だ、となってしまってます。

石山本願寺を攻め続けたことから、少なくとも真宗は今とは形が違っているでしょうし、日蓮宗あたりも弾圧されて形を変えていた可能性が考えられますね。そして黄檗宗はなかったかも…

投稿: フロレスタン | 2010年3月23日 (火曜日) 20時34分

私見です。
信長は身分や貴賎の上下という感覚を持っていなかったのではないかと思います。
しかし世間はそういう感覚にとらわれているのを理解してその感覚を適当に利用していたにすぎないと思います。
しかしこの世と同じ地平ではなくずっと高いところから俯瞰して見ていた、この世を箱庭のように自らの思考の中で動かしていたわけで。自らは意識しなかったとしてもある意味では神だったのでしょう。

投稿: 使徒 | 2010年3月24日 (水曜日) 00時23分

>>使徒さん

信長の身分感覚については私も同じように考えます。彼の意識は時代を超越していたのだと思います。

高いところからの俯瞰は、最初からあったのではなく、領地や権力を拡大するにつれて変化していったのではないでしょうか。そしてその過程で一神教であるキリスト教との接触も大きく影響しているようにも思われます。

投稿: フロレスタン | 2010年3月24日 (水曜日) 00時28分

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