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2010年2月 6日 (土曜日)

受験シーズンの幕開けに

「東大までの人」と「東大からの人」

受験生必見とあるが、受験生の家族や将来の受験生である子供達も読んでみるとよい。私はとりあえず前半の理系の部分だけ読んでみた。

大学院制度の変更や学科の再編などはあるものの、およそ30年前の自分の頃と基本的なところは変わっていないという印象。記事には中高一貫の桐朋高校出身の学生が紹介されていたが、灘、開成といった全国的にも有名な進学校と比較すると地味かもしれないが、かつてもここの出身で優秀なのがいた。化学系などで夜遅くまで実験が続く、というのは別に東大理系に限ったことではないが。

数字はごくごく直感的だが、この記事に紹介されているような「天才」は全体の数%程度だろう。といっても東大理系は一学年1800人くらいのはずだから、5%としても90人くらいは天才ということになる。小学2年で微積分を理解していた教授には唖然とするけれど(私が微積分を理解したのは中学生の頃で、小学3年生で連立一次方程式程度だったが、そんなのはごろごろいるはずで珍しくもなんともない(笑))、確かにどう逆立ちしてもこいつには敵わないなというのが何人もいた。

そういうのも含めて、独創的な頭の持ち主は全体の2割くらいだろうか。逆に記事の見出しのような「東大までの人」や、あまり考えたくはないのだがまぐれで入ったとしか思えないようなのもいて、そういうのも2割くらいいるのではないかと思える。まともに英語のテキスト読めないのもいるくらいである。多分入試で英語は捨てていたのだろう。

我々の頃は学生運動はほぼ沈静化していたが、原理研がキャンパスを席巻していて、そういうのに流れて大学に来なくなったのもいた。それと当時はテニスサークルが全盛でもあった。「逃げ場」はいつの時代もあるのだろう。

あとの6割は多分「頭のいい普通の人」である。
悪いが、今の総理大臣なんかは(スタンフォードでドクター取得しているが、それは嘘ではないかと思えるくらい)こっちではないかと思うのである。偽メールで自殺したのもいたし、ブログで愚痴っている女大学教員なんかもいるな。あ、こういう人たちは「普通」じゃないか(笑)。

「東大からの人」に誰でもなれるわけではないが、「東大までの人」にならないことは大切である。
無理して東大に入ることもないし、入るとしたら、漠然としていてもよいから何か人とは違うことがしてみたい、という希望があった方がよい。研究者になろうとするなら、何か1つのことに集中することが大切だが、専門バカにならないよう好奇心は幅広く持つべきだ。

記事中に、教授のクローンをつくっているだけ、とか、外に出ないと自立した研究者になれない、といった指摘があることも注目である。教授に気に入られて忠実に従っていればそれなりのポストには就けるかもしれないが発展性はない。日本社会では成功者として扱われるだろうが、人生行き止まりである。記事に出てくる学生に、独立志向や副業もやりたい、経営も勉強したいといった広い視野があることはよいことだと思う。

それと「何が分かっていないのか」ということも重要だ。これは自戒の意味も込めて書くが、知識量が多くなってくるとついついあらゆることが分かっているような錯覚に陥るものである。自信と謙虚さをバランスよく併せ持つ必要がある。

何はともあれ、まずは今年受験する諸君、検討を祈ります。

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コメント

あるブログでこんな記事が載っています。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51654318.html

都市圏の、俗にお受験と云われるのはここまで凄まじいのですか?私は、仕事柄と地方出身のという背景、そしてエリート達には大いに期待しているので、公立高校の3年間だけで東大、京大にいけるような優秀な人材だけに進学して欲しいと考えています。(浪人した人もその努力は買います。)加えて、早慶レベルで優秀となるとほとんど理解不能です。アジアを含め、欧米の有名校の出身者はこんなものじゃない。

確かに、東大を卒業することでサラリーマンの世界での出世の有利さはありますが、しかし、そうでない人たちとの差は言うほどはありませんから、そうまでしてお受験に勤しむ親御さんのご苦労が理解しかねます。この、地方と都市圏の受験文化の違いはどこから来るのでしょうね?

投稿: outlaw | 2010年2月12日 (金曜日) 10時11分

>>outlawさん

その記事は私も見ましたし、その関連のアゴラの記事も読みました。twitterにちょこっと感想を書きました。

私のところは子供2人とも公立中に出したので経験はしていませんが、Nの文字の入ったリュックを背負った小学生のガキに電車で遭遇します。一部過熱しているのは間違いないでしょう。

慶應なんかは娘の話ですが、内部進学はたいしたことないみたいですよ。中学受験後は勉強しなくなるのでしょう。

中学受験成功者でもその後もちゃんと勉強(学校の勉強という狭い意味だけではない)するのはいるはずなので、それはそれでちゃんと指導者層のエリートとして大成して欲しいと思いますが、藤沢氏の意見は極論過ぎます。

大都市で私立優位なのは、それこそ福沢諭吉氏に代表されるように、明治維新から独特の教育観を持った人たちが優秀な若者対象の私塾を開設でき、それが経営的にも成立した、というのが大きいのではないでしょうか。地方にはそういう雰囲気もマーケットもほとんどありませんよね。

新島襄は上州安中藩士の生まれですが、江戸屋敷で生まれ育ち、同志社は京都に開設した。安中にも新島学園ってありますが、言ってみればおまけみたいなもの。

親が子供を東大に入れたがるのは、自分自身が東大生の親という虚栄心を満たしたいから、というのが大きいような気がします。

投稿: フロレスタン | 2010年2月12日 (金曜日) 10時25分

フロレスタンさん

早速の返事をありがとうございます。フロレスタンさんが仰るように、

明治維新から独特の教育観を持った人たちが優秀な若者対象の私塾を開設でき、それが経営的にも成立した、というのが大きいのではないでしょうか。

この”成功した”という部分が真実ではないかと私も思います。

別の方が、こんなことを言っています。

http://guccipost.jp/cgi-bin/WebObjects/12336a3d498.woa/wa/read/sq_126bf78094b/

私自身、金融の世界に身を置いて世界の優秀な人材を見てきた経験からすると、彼の言い分はもっともなのですが、果たして正しいのかどうか。というのも、これからの日本が繁栄していくための産業は従来通りのモノ作りしかないと考えるからです。とてもではないですが、日本人の英語力とぬるま湯に浸かった精神土壌では外の世界に打って出ることは難しいでしょう。

投稿: outlaw | 2010年2月12日 (金曜日) 12時23分

>>outlawさん

今の日本人の精神土壌で外に打って出るのは困難、というのは同感です。

外国人が日本語を学んでも、まだまだ日本企業側に精神的バリアがあるでしょうから、すぐに彼らが日本企業で働ける、というのは5年くらいでは実現しないと思います。不況でたちまち職を失った日系ブラジル人の例もあります。地域史社会での生活もあるので、言葉もそうだけれど、やはり文化的な違いも大きく影響するように思います。

もっとも南太平洋諸国やインドネシアのような海洋国家の人たちなら、案外日本になじむのは早いかもしれませんね。スポーツの助っ人外国人選手を見てもわかるように、所詮は個人的な資質によるのでしょうが。

日本が繁栄を復活させるのには製造業意外にもあると思いますが、産業構造よりも閉鎖的な雇用体系の打破が必要だと思います。それと起業しやすく失敗しても立ち直りやすい社会環境です。

すぐに坂本龍馬ってなりますが、まったく司馬遼太郎史観に毒された人が何と多いことか。歴史をひもとけば開明的な日本人は古代の蘇我一族あたりからいくらでもいます。たいてい抹殺されていますが、それが日本がずっと閉鎖的である原因のような気がしてなりません。

投稿: フロレスタン | 2010年2月12日 (金曜日) 19時56分

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