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2010年2月23日 (火曜日)

論理(包含関係)の間違い

あるブログで気になるやりとりを見つけた。ただし、ここでは特定のブログを批判することが目的ではないので、抽象化ないし一般化して、そのやりとりの問題点を指摘してみる。頭でわかっていても(数学の問題として出されれば正解できても)、議論をしていて陥りやすい穴だと思うので、自戒の念も込めてのエントリーである。

甲の「AならばBである」という主張に対して、乙から「AだがBでない例がある」という反論があった。
これに対して、甲は「AならばBである、と言ったがBでないならばAでないとは言ってない」と反論したのだが、これは高校で数学勉強した人ならおかしいことに気がつかなくてはならない。

最初の甲の主張は集合で記述すればA⊂Bということになる。つまり「AはBに含まれる」、絵で描くと図1のようになる。

これに対する乙の反論は「AはBに必ずしも含まれない」であって、図2のように表現できる。
Logic_2

ここまで来れば、忘れていたとしても「ああ、そんなことやったっけなあ」と思い出す人もいるだろう。

ところが甲の再反論は乙に対する答えになっていないのである。「AならばBである、と言ったがBでないならばAでないとは言ってない」というのが間違いだからだ。「BでないならばAでない」は「AならばBである」という命題の対偶であり、最初の命題が正しければ(真である)、対偶も必ず正しい(真である)。言い換えれば「AならばBである」と言った瞬間に、「BでないならばAでない」と言ったのと同じことになり、この反論は「Cは正しいとは言ったがCが正しいとは言っていない」という自己矛盾になってしまう。

図1で「Bでない」というのは大きい方の円の外側の領域であり、「Aでない」は小さい方の円の外側の領域だから、「BでなければAでない」のである。

今回遭遇した例で言うと、甲の主張者の間違った反論に対して、乙が負けましたと降参してしまっている。議論する時には、議論が白熱すればするほど冷静沈着でありたいものである。

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コメント

一般的にディベートの訓練をしていない日本人は、自分の主義や主張から離れて、論理の構成の巧拙を競う経験がないので、主張の正しさを情緒的、文学的に判断してしまいがちだと思います。

本来は二大政党制というのは、このディベートの習慣の土壌に立ってこそ有効に機能するのだと思います。今の日本の政治の惨状を見れば明らかかと。

投稿: wagonthe3rd | 2010年2月24日 (水曜日) 03時33分

>>wagonthe3rdさん

民主党のマニフェストは、今になって財源が足りないだのなんだのと、保護にされたり縮小されたりして、メディアあたりは公約違反の批判を始めています。私は昨夏の選挙前に民主党のマニフェストをチェックして、評価できる項目もあるけれど全体としては整合性がとれていない、と批判して民主党には投票しませんでした。

冷静にかつ論理的に考えれば、今日の事態は充分予測可能であり、実際に同様に考えていた人はけっこういると思います。

でも多くの人は、自民党にお灸をすえる(そのこと自体は必要なことですが)、1度は民主党にやらせてみよう、という単純な動機で政権交代が実現してしまいました。

その結果は最早言うまでもなく。ご指摘の点は至極ごもっともです。高校進学率は事実上100%といってもよい状況で、ディベートをカリキュラムに入れるべきなのでしょう。

投稿: フロレスタン | 2010年2月24日 (水曜日) 07時23分

ふふふ。私のコメントのことですね。

字義通り、そこだけ取り出して解釈すると、仰るような理解になっても何ら不思議ではありません。しかし、そこに至る前提があるんですよね。

五輪選手のボーダーが、社会通念上許しがたい服装や態度をしたとして、「それは許さん」という流れになったのが事の発端ですね。

そこへ「ボーダーなら行儀が悪くて当然じゃないか」と言ってるわけです。世間の常識として「五輪に行く人」=「聖人君子」があったとしても、ボーダーの中から実力者を選べばその常識は当てはまらないよ、という意味です。つまり、行儀の悪さに驚く方が馬鹿らしい、ということです。もう少し言うと、世間では「行儀の悪い人=異常者」ですが、ボーダーの世界では「行儀の悪い人=普通の人」という違いを述べているのです。

そこへ、行儀が良くて五輪決勝に出たボーダーがいた。ではそのことをもって、行儀の悪いボーダーはやはり非難されるべきだ、あるいは、「ボーダーなら行儀が悪くても当然」という考えはおかしい、と言えるでしょうか?

行儀のいい人がボードでいい成績を残しても、それは私の意見に対する反証にはならないでしょう。私は「ボーダーは行儀悪くしなければならない」とは言ってないのですから。

それを、相手の方は理解してくれたんだと思いますけどね。言葉足らずのコメントで誤解を招いたとしたら失礼しました、と言うしか無いけど。

投稿: 故郷求めて | 2010年2月25日 (木曜日) 10時19分

>>故郷求めてさん

一般化していますので、該当するともしないとも言いかねます。従って、当事者以外の読者の方は以下はフィクションに基づく記述として読んで下さるようお願いします。

「一流のスノーボーダーであれば礼儀正しくないのは当然…(1)」と書けば、礼儀正しくない人の集合の中に一流のボーダーの集合が含まれます。

『ボーダーの世界では「行儀の悪い人=普通の人」…(2)』というのと『ボーダーの中には行儀の悪い人がいるのが普通…(3)』というのは違います。前者であれば行儀の悪いボーダーと普通のボーダーの集合が一致します。後者であればボーダーの集合の中に行儀の悪い人の集合が含まれます。

包含関係が全て異なります。

貴殿の主張が(3)であることは普通に読めば当然理解できます。私はそれを否定しているのではない。しかし、論理が異なる(1)や(2)のように書いておいて、反論があると自分の主張は(3)だというのはおかしい、というそれだけのことです。

投稿: フロレスタン | 2010年2月25日 (木曜日) 11時18分

まあ、ブログのコメント欄で長々とやり取りした中で、言葉の1つも間違っちゃ誤解されるのでいけない、と言われると非常に面倒なのでそれはまず勘弁して欲しいのと、もう一言。

「当然」や「普通」と書くと、排他的に断定したことになるでしょうか?私はそれで、ボーダーの中に礼儀正しい例外を認めない、という意味になるとは思いません。元々の語義からすると、「当然」は「理論上必ずそうなる」という意味で、「普通」は「確率的に最も高い」くらいかもしれません。でも、言葉の使い方をそれだけに限定できるものでもないし、実際様々な使われ方をしているでしょう?そこだけで理解できないから文脈が必要になってくるわけで、そこにさまざまな例え話なども入ってくるんだと思いますよ。

投稿: 故郷求めて | 2010年2月25日 (木曜日) 14時49分

自分が見ているように他人が見ていると断定できないのと同様に、言語もどう定義しようと他人と全く同一に理解することは不可能でしょう。

だから誤読や誤解も生ずるし、読解力云々という問題が出てくる。できるだけそうなりにくいように言葉を選んだり、組み合わせて使うしかない、ということでしょう。

上記の例で言えば、貴殿は(1)(2)(3)は文脈や言葉の曖昧さから同じ意味であるという(私にはそう受け止められる)主張ですが、私はそれぞれ違うと読む。ならば(3)を主張したい場合には(3)の表現を選び、誤読される可能性のある(1)や(2)は避ける、ということです。

貴殿のブログで他の方のコメントがたくさんついてスレが伸びているのも、このテーマに関しては、この種の言語感覚のずれが増幅されて現れたのではないでしょうか。

投稿: フロレスタン | 2010年2月25日 (木曜日) 16時04分

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