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2010年2月28日 (日曜日)

幸せ〜って何だっけ、何だっけ♪

国民の「幸福度」を調査へ=新成長戦略の指標に−政府 (ウェブ魚拓)

これは「私たちの政権では経済成長の達成は不可能なので諦めて下さい」というメッセージだな。
ビジョン(Vision)のないピジョン(Pigeon)が総理の現政権。

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浅田の銀メダルに思う

うちはカミさんが何故かフィギュアスケートに夢中になっていて、今回はアイスダンスから全てのプログラムを録画も含めて観戦したが、私はほとんど見ないで、後で主要な選手の演技を録画かハイライト番組で見た程度。そういう前提で読んでもらいたい。

浅田は身体能力が優れているのに練習熱心ということで、これには敬意を表するばかりである。しかも今回は代表に選ばれることさえ危ぶまれる状況だったのを、ちゃんとコンディションを整えて代表入りし、そして最後まで自分の演技をして最高点を出し、日本選手で最高の成績で銀メダルなのだから、これはいくら賞賛してもいいだろう。スポーツを楽しむという観点からはこのことは素直に喜びたい。

かみさんは、フリー演技の始まる前に、真央ちゃんは金を取れるだろうか、というので、私は無理だ、と答えた。客観的に情勢を考慮すれば、キムの優勝は鉄板だからだ。それより地元(キムも実質カナダ代表みたいなスタッフ構成だが)ということもあるし、点差を考えると浅田がミスをすれば(かつてのような地元びいきはないにしても)ロシェットに逆転される可能性だって考えられるぜ、と答えた。実際、浅田はミスをし、ロシェットもミスをしたがかなり肉薄されてしまった。

昨年あたりの浅田の不調は、身体の成長にフィジカルがついて行ってない、という指摘があった。実際身長が伸びると身体の重心がずれてジャンプなどのコントロールが難しくなると言う。スポーツカーのボディなのに軽自動車のエンジンでは走れないのだ。今回4位になった長洲も、身長が140cm台から164cmに伸びるのにつれて、この課題に向き合ったという。

このあたりの課題は浅田も克服しつつあったのだろうが、完全には間に合わなかったのだろう。キムは以前からフィジカルの強化に力を入れていたようで、4分間タフに滑りきったのに対して、浅田は後半息切れしてミスが出たように見えた。

そして一番問題なのは、やはり採点システムへの対応である。前回のトリノでは荒川陣営が、採点システムをよく研究して、堅実に滑って高得点を出せるように上手く対応して金メダルを取った。今回はキムと男子のライサチェクがこれをやったのだ。演技構成を見れば浅田の方が最初からノーミスの場合でも基礎点での優位がSPの差を下回っている少ないのだから、最初から勝負はあったようなもので、さらに実際の演技でミスをして評価点を稼げなければ勝敗は明らかだ。

この点に目をつむり、トリプルアクセル2回/1演技を評価しろ(評価しないとは誰も言わないだろう)とか、単によくやった、感動した、勇気をもらったなどという精神論的な評価だけでは、次のオリンピックでの金も困難だろう。浅田だけでなく誰が出ても、である。

採点システムが変わらない限り、フィジカルを強化して4分間安定して演技が出来ること、得意のトリプルアクセスをより安定させること、他の基礎点の高いジャンプをマスターすること、つなぎの演技やステップ、大人の女性としての芸術的表現を向上させる必要があると思われる。せっかくよい武器を持っているのだから、それを磨くとともに、更に武器を増やしてかつそれを最大限に活かす戦い方を見出すべきなのだ。

難度の高いジャンプという局部的な技術に酔っているたせけでは、まるでパスのつなぎに満足してゴールが奪えないで試合に勝てないサッカーの日本代表と同じである。金メダルを取りたいのであれば、審判から最高の得点を引き出さなくてはならない(サッカーなら泥臭くてもゴールを奪うことに相当する)。

このように戦術に酔って戦略が欠如しているのは、巨艦主義で大東亜戦争に敗れた旧日本軍にも見られる欠点であり、個別の技術が優秀でも世界標準が取れないでいる日本の製造業にも共通点が見いだせる。大袈裟に言えば、浅田の銀メダルは実は停滞する日本の象徴かもしれないのである。スポーツ観戦という視点を外せば喜んでばかりもいられまい。

最後に、相変わらず煽ることしか知らない、しないテレビには辟易した。
女子フリーの開始前、浅田の演技ブログラムと基礎点を並べたパネルを用意して、こうすれば金だなどとやっていたワイドショーがあった。自己満足の極みである。しかもその番組に出ていた「父親のグッズを勝手に売却して妹に告発されそうな」長嶋一茂が、トリプルアクセルを3回飛べないんですか、というバカ丸出しの質問をしていた。こういう奴を出すなよ。せめてこういう質問はさせないように事前に口止めしろよ。野球なら例えば1回の打席で4回空振りできないんですか、と尋ねるようなものだ。

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100分の2秒差

いよいよ大詰めの冬季五輪。日本の「最後のメダル」は惜しくも僅差で銀だった。女子スケート団体(パシュート,pursuit)。残り半周の時点で1秒くらい離していたので、世界ランクが1つ下のドイツに最後の最後で逆転されたのは残念だが、日本女子スケート初の銀メダルというのは喜ばしいことだ。田畑、穂積、小平の三選手おめでとう。出番のなかった15歳の高木選手にもよい刺激になったことだろう。

田畑はずっと日本の女子スケート長距離を引っ張ってきたし、穂積、小平の2人は今大会の個人種目で入賞するなど、あまり目立たないけれど頑張って安定した成績を上げていて、最後に大きなご褒美が待っていた。もちろんそのご褒美も自ら手繰り寄せたもの。努力は大切だね。

今夏大会の日本代表の5つのメダルの中では、一番地味かもしれないが他の4つに劣らぬ価値がある。

メダルと言うことでメディアの扱いががらっと変わると思うが、それに惑わされずに更に上を目指して今後も頑張ってほしいものである。

(追記)
これはとてもいい話(^_^)。
ソチでは自分の力で!高木「メダルもらえなくてよかった思う」 (ウェブ魚拓)

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2010年2月27日 (土曜日)

莫迦を煽る糞変態新聞

線路侵入騒動:「撮り鉄」の心理とは…ウェブ魚拓

これ、東京版は27日の夕刊一面トップである。
こんな記事が一面かよ。確かに迷惑撮り鉄のせいで、鉄道会社、鉄道利用者と良識ある鉄道マニアは迷惑を被っているわけだが、こんな奴ら、取り上げると余計に増長するぞ。しかも刺激されていままでおとなしくしていたのまで乱入してくるかもしれない。

こんなのはスルーして、警察や鉄道会社に対応をまかせておけばよいのだ。
よほど記事ネタがないか、社会的影響を考えられない幼稚なデスクの仕業なのだろう。

ところで新幹線の500系って「乗り鉄」には最悪ではないかな。私は嫌いだ。

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2010年2月24日 (水曜日)

King of ski

オリンピック、スキー複合団体、オーストリアが優勝。頑張っている32歳、マリオ・シュテヒャーがアンカーで登場し、アメリカとの接戦を制して一位でゴールし、オリンピック連覇を果たした。

日本は六位。メダル争いに絡むことなく競技を終了した。昨年の世界選手権で優勝しており、メダルが期待されたが、現状ではこれが妥当な結果かもしれない。

解説の三ヶ田礼一は、相変わらず途中では「言い走りをしている、頑張って追いついて欲しい」と持ち上げておいて、メダルを逃すと「立派な入賞、よい試合をした、次につながる」といった「言い訳」を連発していた。この人に限らないのだが、一番聞きたくない実況のパターンである。

アナウンサー達ももういい加減「惜しくもメダルは逃しましたが立派な入賞です」というのはやめるべきだ。選手達が一番悔しいのは当然だが、メダルを目標にしていて逃したのなら、正々堂々と敗北を認めるべきである。もともとメダル圏内にない選手が実力を発揮して入賞したのとは、同じ順位でも意味合いが違う。

昨年の世界選手権では日本チームはワックスがぴたりと合い、今回二位のアメリカ失格という条件下だったことを考えると、今回もジャンプでできるだけ上位につけて、距離では昨年同様ワックスを合わせることがメダル獲得には必要だったということだろう。しかし、途中から雪が激しく振り始めるという悪コンディションでは、どうしてもパワーに勝る欧米勢に距離で太刀打ちするのは難しい、というのが観戦していての印象だ。まあ別にそれは今に始まったことではないのだが。それと今日のレースは二走、三走の駆け引きで完全に負けていた。

距離に強いエース小林があまり調子がよくなさそうなのが気にかかるところである。先日の個人戦でもスパートが早くて息切れし、今日のレースでも上位に差を広げられている。今日の試合を見る限りではむしろ加藤大平に期待したくなる。残る個人戦ラージヒルでも、日本選手は大ジャンプをする、ワックスがあってスキーが滑るなどよほどの好条件が達成されない限りメダル獲得は困難だろう。上位とは大きな差があるようには思えないが、何かが足りない。もちろんよい成績を期待したいところではあるが。

それにしても、少し前まで最強だったフィンランドが七位と振るわないのも時代の流れを感じさせる。日本の黄金期にライバルだったノルウェーが今回日本を逆転して五位とこちらは「ライバル関係」が長い。複合はしばらくの間、国別で見ればオーストリア、ドイツ、アメリカの三強にフランスが絡むという展開が続きそうである。

それとおまけみたいな書き方で申し訳ないが、女子カーリングの予選敗退は残念。彼女らの健闘は評価するがまだ世界のトップとは差があるのだね。トップチームなら当然のストーンに中てる精度が日本は低いのだそうな。

かつてバレーボールの監督だった松平康隆氏は、ことあるごとにファインプレーは連続しないと意味がない、ファインプレーが出たらその後のプレーが大切だ、という趣旨のことを言っていた。今大会では、初戦でアメリカに劇的な勝利を収めた次の試合で負けたのも残念だったが、息が続かない。そしてせっかくロシアに大逆転したのにその後のドイツ戦に負けたのが全てだろう。

見ていると駆け引きがとても面白い。トリノと今回の2大会でカーリングの認知度は確実に高まって人気もでるだろうから、今後に期待しよう。

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2010年2月23日 (火曜日)

解答引っ越し

twitteにあった暗算問題の解答例

解答1:10^2+(10+1)^2+(10+2)^2+(10+3)^2+(10+4)^2 = 5*10^2+(21+44+69+96) =500+230 = 730 だから答えは730/365 =2

別解答:分子を(12-2)^2+(12-1)^2+12^2+(12+1)^2+(12+2)^2とすれば、5*12^2+2*(1+4) = 720+10 こっちの方が計算が楽だしスマートだな。

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また出たロイターの莫迦記事w

「ネットは知能向上させる」、米調査で7割以上が回答ウェブ魚拓=ロイターだと必要ないかもしれないが)

回答者の中には、読み書きがあまりまともに出来ないのも混じっているんじゃないのか。
「アメリカでは大人の4人に1人が自分の名前程度しか読み書きできない」だそうだから、調査の母集団がどういうものかにもよるが、あまりアテにできそうな調査結果とは思えない。

回答者のうち、インターネットの専門家だとネットのプラス面を過大評価するバイアスが働きそうだし(『「ウェブはバカと暇人のもの」光文社・中川淳一郎著』によると学者・ジャーナリスト・評論家とサイト運営者では逆の評価で過大評価するのは前者だという)、ユーザーの方はそれこそまともに読み書き出来なきゃネット利用でなんとなく自分が賢くなったような気がするだろうから、この結果は「まあそんなものかいな」というくらいの話である。

なお、この本については、こんなブログ記事を見つけた。
おい中川淳一郎。ちょっと待て。何だそのクソサイトは

こんなどうでもいい糞記事を論評している俺も俺だけれど(笑)、先日の世界一ロマンチックな愛の表現と言い、ロイターおかしくねえか?

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論理(包含関係)の間違い

あるブログで気になるやりとりを見つけた。ただし、ここでは特定のブログを批判することが目的ではないので、抽象化ないし一般化して、そのやりとりの問題点を指摘してみる。頭でわかっていても(数学の問題として出されれば正解できても)、議論をしていて陥りやすい穴だと思うので、自戒の念も込めてのエントリーである。

甲の「AならばBである」という主張に対して、乙から「AだがBでない例がある」という反論があった。
これに対して、甲は「AならばBである、と言ったがBでないならばAでないとは言ってない」と反論したのだが、これは高校で数学勉強した人ならおかしいことに気がつかなくてはならない。

最初の甲の主張は集合で記述すればA⊂Bということになる。つまり「AはBに含まれる」、絵で描くと図1のようになる。

これに対する乙の反論は「AはBに必ずしも含まれない」であって、図2のように表現できる。
Logic_2

ここまで来れば、忘れていたとしても「ああ、そんなことやったっけなあ」と思い出す人もいるだろう。

ところが甲の再反論は乙に対する答えになっていないのである。「AならばBである、と言ったがBでないならばAでないとは言ってない」というのが間違いだからだ。「BでないならばAでない」は「AならばBである」という命題の対偶であり、最初の命題が正しければ(真である)、対偶も必ず正しい(真である)。言い換えれば「AならばBである」と言った瞬間に、「BでないならばAでない」と言ったのと同じことになり、この反論は「Cは正しいとは言ったがCが正しいとは言っていない」という自己矛盾になってしまう。

図1で「Bでない」というのは大きい方の円の外側の領域であり、「Aでない」は小さい方の円の外側の領域だから、「BでなければAでない」のである。

今回遭遇した例で言うと、甲の主張者の間違った反論に対して、乙が負けましたと降参してしまっている。議論する時には、議論が白熱すればするほど冷静沈着でありたいものである。

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2010年2月17日 (水曜日)

なんだこの差別剥き出しの調査は

世界一ロマンチックでない「I love you」は日本語ウェブ魚拓

上位の言語は全部ロマンス語(フランス語、イタリア語、スペイン語)なんだから、ロマンティックなのは当たり前じゃないか。くだらない。ロマンティック街道ってのは「ローマに通ずる道」のことだ。

だいたい、我々日本人は「私はあなたを愛します」なんて言わないぜ。この調査はヨーロッパの言語しか知らない奴らが実施したに違いない。辺境の地、英国のローマ・コンプレックスじゃないのかな。

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誰が支えていくのか

ヴァンクーヴァー五輪のスピードスケート男子500mで、長島の2位、加藤の3位は喜ばしい限りだ。これまで支えてきた周囲の人たちもさぞかし嬉しいだろう。

本人達は金を狙っていたので悔しい、と言っていてそれは本音だろう。加藤の場合2回目が35秒台だったのが不満だとNHKの現地スタジオでインタビューに答えていた。それでも周りの人たちがメダルに喜んでくれているので、いい顔を見せたいとも言っており、気持ちを切り替えて次を見据えて引き続き頑張ってほしいものである。世界記録奪還のために33秒台を出したいということなので、達成を期待しよう。長島の故郷から現地入りした応援団(父親もメンバーだ)の特製Tシャツの胸にプリントされた「宇宙最速」という文字には思わずのけぞってしまった。応援の気持ちはよくわかる。

とここまで書いてきて、選手達の努力や周囲のサポートに対しては敬意を表するが、気になったのは昨晩のニュースで言っていた、そのサポートのための資金である。

2人とも日本電産サンキョーの所属であり、永守社長のポケットマネーに大きく依存している。永守氏は経営者としてもその姿勢が問題視されることも多い人物である。それはとりあえず脇に置いたとしても、その永守氏がスケートの広告効果の小ささを認めた上で、誰かが支えなしゃあないやろ、ということでやっているとのことである。こういう特定の会社ないしは個人に依存する状況は望ましくない。

1つ前のエントリーでアイスホッケーの衰退に触れたが、これも西武鉄道グループを個人で牛耳っていた堤義明氏に支えられてきたという側面が強かった。かつて堤氏は日本アイスホッケー協会の会長だったし、日本リーグには西武鉄道と国土計画(後にコクドに社名変更)の2チームが参加していたが、彼が失脚して以降リーグの衰退傾向が顕著になった。もちろんこれには古河、雪印、王子製紙、十条製紙といった参加企業の業績不振やスキャンダルも原因としてあったが、特定の個人や企業に依存することの危険という点では構造は同じである。

日本中がメダルに沸いて喜んでいる時だからこそ、その喜びを線香花火のように終わらせないために、日本の冬季スポーツの強化のあり方について、改めて皆で考えてみる必要がある。

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2010年2月16日 (火曜日)

札幌五輪の頃はこじんまりしていたなあ、としみじみ

もうあれから38年も経過したのか。早いものだ。テレビ観戦しただけだが、冬季五輪がやってくる度に懐かしく思い出される。
あの時は、アルペンスキー、ノルディックスキー、バイアスロン、リュージュ、ボブスレー、アイスホッケー、スケートだけだった。当然スノボやフリースタイル、カーリング、ショートトラックスケート、スケルトンはない。

あの頃と種目構成もほぼ変わっていないのはスケート(スピード、フィギュア)とリュージュ、ボブスレーくらいなものだ。それでも、スピードスケートも団体パシュートなんてのはなかったし、スピードスケートの靴もスラップスケートは当然無かった。フィギュアスケートも規定演技が廃止され、今のようなショートプログラムとフリーの構成に変わった。質的にはけっこう変化している。アルペンもスーパー大回転はなかったし、ノルディックも複合は団体なしの個人一種目だけ、ジャンプも団体はなかったし、距離も今でいうクラシカルだけだった。

かつての冬季五輪は大会そのものも夏季大会と比較するとマイナーだったのだ。
大石英司氏がブログで入賞なんてすぐに忘れ去られる、と書いていたが、確かにそうかもしれない。札幌の時のジャンプ70m級(現在のノーマルヒルに相当)の表彰台独占は今でもテレビは何度もその映像を映す。しかし、複合で6位に入賞した勝呂選手やリュージュ女子で4位に入賞した大高選手なんて、札幌五輪を回想する場合でも、名前が呼ばれることすらない。

だから皆メダルを取りたがるのだろうな。上村愛子は五輪のメダルに縁がないが、個人種目に限定すれば荻原健司も五輪でメダルはない。彼はアルベールビルとリレハンメルの団体のメダルだけだ。それでもメダルがあるだけいいのかもしれない。フィンランドのジャンプ選手のJanne Ahonenも世界選手権やW杯では実績があるのに五輪のメダルがなくて、今回現役復帰して参加している。でもノーマルヒルではメダルは取れなかった。

逆に一発金メダルを取っただけで消えてしまう選手もいる。勝負の世界とは数奇なものだ。

アイスホッケーも日本代表が五輪に参加できなくなって久しい。リーグ戦すら国内だけで維持できなくなり、チームが次々と解散する状況では、もう復帰は困難だろう。学生の頃、時々代々木第一体育館に日本リーグを見に行ったことのある者としては寂しい限りだが。

感傷はこれくらいにして、どんなドラマが待っているか、最後まで声援を送ることにしよう。

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2010年2月13日 (土曜日)

「オリンピックを楽しむ」について考えてみる

今、家族が録画したヴァンクーヴァー五輪の開会式の模様が再生されていて、その音声をちょこっと聞いたら、荒川静香が「楽しむ」という言葉を使って選手心理についてしゃべっているようだ。開会式には関心ないのでちゃんと見ていないのだが、それはともかく。

私の記憶では「五輪を楽しむ」という表現を最初に使ったのは、アトランタ五輪の時の期待を裏切ってレースに惨敗した水泳自由形の千葉すずである。あの時は、税金使って派遣されながら、成果を上げられないのに、楽しめてよかったとは何事だ、という非難が殺到したものだ。

あの頃の千葉はかなりの期待を背負って重圧に負けたのだと思う。それを払拭しようとしたのかもしれないが、試合直後のテレビに映る場面での発言としては不適切だったと言える。

似たようなことを考える人はやはりいるもので、playという単語をキーワードに考察したウェブページがある。
私は、千葉すずさんよりも、古橋氏を支持します
これはアトランタの4年後のシドニー五輪の選手選考に関連して西暦2000年に書かれたものだ。もう10年近く経過している。

playという単語は「遊ぶ」と訳されることもあるし、「楽しむ」という日本語には「勝負事に真剣に取り組む」のではなく「結果を重視せずにリラックスして取り組む」というニュアンスがあり、いわば仕事と遊びの対比における後者のようなニュアンスで捉えられることが多いと思う。真剣勝負、武士道をスポーツに求める日本人にとっては、不似合いな言葉なのだ。だから非難の対象になった。

しかし、上記ウェブページでも言及しているが、その後各種のプロスポーツの選手達もこの言葉を使うようになり、皆慣れてきたということもあるし、プレッシャーによる過度な緊張ではかえって実力を発揮できず、適度にリラックスした方がよい、という考えが一般的になったこともあるのだと思う。

私はちょっと違った考えを持っている。千葉本人に直接確かめたわけではなく推測だが、アメリカ永住権ももっているらしい彼女の頭には、enjoyという単語があったのでないか、ということである。この単語こそ「楽しむ」と訳されることが多い。もっとも予選落ちという結果には本人は不満足だったはずで、楽しくなんかなかっただろう。ふがいない自分に対して、せめて「楽しんだからいいのだ」とでも言い聞かせなければやりきれない気持ちだったのではないだろうか。

この単語は、joy(喜び)という要素を含んでおり、enという接頭辞がついているから「喜びをもたらす」と「直訳」すれば原義に近いニュアンスが表現できるだろう。英語の使用時における他動詞enjoyの目的語の多様さを考えると、この単語を単純に「楽しむ」という日本語に置き換えたのでは、ニュアンスは正確に伝わらない。その都度適切な訳語(修飾語による補足説明も含めて)を見つけなくてはならない。一流のスポーツや音楽などで使われた場合、むしろ「満喫する」と言った方がよいのではないかと考えるのである。

頭にあったのがplayにせよenjoyにせよ、あるいは他の言葉にせよ、やはり「楽しむ」は日本語としては適切な言葉とは言えないと思う。頭が固いと言われそうだが、私には今でも違和感がある。今も荒川静香の「上村選手は楽しんで実力を発揮して欲しい」と言っていたのが耳障りだ。

もちろん、選手達には過度に緊張することなく実力を発揮してもらいたいし、その結果自身も見ている我々も楽しければ言うことはない。そして、仮に思うような結果が残せなくても「楽しんだからよい」という言い訳はして欲しくない。それでは次なる成長につながらないし、国の代表たる者が言い訳をしているという悪影響をもたらす。選手達にとって楽しむのはオリンピック競技の結果であって目的ではない。

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やはりこの人頭よくないね

「当面は民主党政権」 小沢氏が講演ウェブ魚拓

「自民党はメルトダウン」と言っているのだが、これは喩えとしてはあまり適切とは言えない。
原子力発電における炉心は、核燃料が臨界に達して核分裂反応が連続して起こり、その時の熱を利用して発電しているが、冷却水などで反応をコントロールしていわゆる暴走をしないようにしている。その制御が効かなくなって炉心が過度に高温になって溶融してしまう状態がメルトダウンである。

自民党って、別に反応が制御できなくて過熱したわけではなく、逆に選挙に負けて反応すらまともに起きなくなって縮小しているのだから、メルトダウンとは正反対の状態である。

世間一般でメルトダウンは単なる機能不全の喩えみたいに使われることが多いのかもしれないが、科学技術の振興や教育、エネルギー政策などの観点から、原子力発電に対する間違った印象を与えかねない不適切な喩えを、政治家が率先して使うべきではない。

むしろ議員数が多すぎて、それを背景に炉心(小沢)が暴走している民主党の方こそ、政権の不支持率が支持率を逆転した今、メルトダウンに近い状態といえる。運転を管理しているのが宇宙人なのも問題だ。

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これはちょっと酷い書評だと思いませんか

絶版になった拙著(共編著)の版元である京都の学芸出版からの新刊紹介のメールから。

【おすすめの一冊】
大西 隆・小林 光 編著
『低炭素都市 これからのまちづくり』

兵庫県立淡路景観園芸学校の平田富士男という人が書評(読者レビュー)を書いているのだが、その冒頭が次のような文章である。

たとえ、それにデータ的、理論的裏付けがなくとも、国のトップがその政策目標を公に発すれば大きな影響力を発揮する。それは、政策運営のあり方に対してだけではなく、国民意識に対してでもある。「マイナス25%」という目標設定には、多くの国民がその達成に懐疑的な目を向けながらも、その反面「何かしなければ」という気持ちがより強くなったのも事実だろう。
学術書の書評が政治的発言に言及し「データ的、理論的裏付けがなくてもよい」というのは承服しかねる。

何かしなければ、という気持ちは確かに強くなった。それはこんなことを言う総理大臣を早く辞めさせなければならない、いいう気持ちである。

確かに長期的なエネルギー戦略は必要である。しかし前提が違っていればその内容も展開も異なる。二酸化炭素温暖化主犯説に立つと、200年の埋蔵量があるとされる石炭の利用が著しく制限されることになりかねない。残念ながら現状ではまだまだ再生可能エネルギーはすぐには主役になれないのだ。電力会社の技術者などはもっと本音を内輪話だけでなく広く世間に対して語るべきだ。

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学生結婚していたDQN大学生プロスノーボーダー

國母和宏の成田空港からヴァンクーヴァーまでの服装が物議を醸して、賛否両論、twitterやあちこちのブログが賑わっている(笑)。私はああいう態度は許せないね。日本代表なら出発から帰国まで公人だろ。だいたい「謝罪」のための記者会見で、コーチに促されて「反省してま〜す」と軽口で言ったらしいが、その前に「ちっ、うっせーな」という声がしっかりマイクに拾われたそうな。反省しえねーよな、こいつ。

問題なのは、空港や移動中が公の場なのかプライベートなのか、ということだが、少なくともオリンピックに参加するために、税金が投入されているであろう派遣費用で航空機に搭乗し(チケット自前で買ってはいねえだろ)日本選手団の公式ユニフォームを着用しているのだから、プライベートと考える方がおかしい、というのが常識的な考え方だろう。飛行機の中や空港が公の場かどうか、ではなく、何の目的でそこにいるかによって、公私は変わってくるのではないかな。着崩したいなら私服にすべきだし、日本選手団が移動中の私服着用が認められていないのであれば、きちんと着る必要がある。JOCの日本選手団公式服装着用規定というのがあって「自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」と定められているそうだ。

奴を擁護している連中(驚いたことに町とか村とかいった文字が苗字についている北大教授もその一員である)は、その常識とやらも胡散臭いものに思えるようだが、規定の方はどう考えているのか。

その先生のブログでは、カナダ在住の日本人とやらが、カナダ人に國母の写真を見せたら、誰も問題にしなかったというのだが、尋ねた相手はどういう連中なのだ。それに事の背景をちゃんと説明したのかな。まともなカナダ人なら、着崩しているのが日本選手団の公式ユニフォームで、彼が日本代表選手で、しかもオリンピック参加のための移動中だと知れば、反応は違っていたのではなかろうか。それでも問題ない、とするならそのカナダ人達の方が礼儀も知らない莫迦者だ。

好き勝手な服装したいなら、オリンピックとは全く無縁のプライベートな時にやってくれ。それなら誰も文句は言わない。

さて、そのDQNボーダーの所属する東海大学だが、ウェブサイトで以下のような見解を表明している。
國母選手に対する本学の見解についてウェブ魚拓

いやいや、少子化の時代、大学も危機管理が大変である。今年はもう受験に突入してしまったから受験者数(というか受験料収入)に影響はしないかもしれないが、合格しても入学辞退する学生が増えるかもしれない。それに来年の受験に悪影響が出るかもしれない。何でこんな奴入学させたのだろうか。

東洋大学は昨年の箱根駅伝での柏原の衝撃的な山登りの活躍で、部員の痴漢不祥事から一転して受験者が9000人以上増加したという現実がある。所属する学生、特に影響の大きいスポーツ選手の言動は、下手をすると大学の経営にも影響しかねない時代になってしまっているのだね。

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2010年2月12日 (金曜日)

相撲と品格について考えてみる

ダクワドルジ(元横綱朝青龍)の事実上の解雇である強制引退について、世の意見が2つに割れている。
当然だ(いや、当然だが功労金が高すぎる、という声も)というのと、そこまでやる必要はないという2つなのは言うまでもないが、前者が「横綱の品格」を問題にするのに対して、後者は品格という概念の曖昧さに着目して外国人力士だったダグワドルジに同情的な意見である。

確かに品格というのは国語辞典的な定義は出来ても、実態が曖昧である。横綱推挙の条件(日本相撲協会内規)も「二場所連続優勝またはこれに準ずる」というのと「心・技・体に優れている」というので、この「心」という部分が品格に相当するものと考えていいだろう。

さて、現代の相撲において横綱は最強者の地位だが、上記のように技術的、体力的に勝っているだけでなく精神的にも優れた人格者であることが求められる。つまりは全力士の模範であることが求められ、かつ広く社会一般から尊敬を集める存在であることが必要なのだ。横綱における品格とはそういうことだ。

その地位から陥落せず高給が約束されるかわりに成績不振になれば引退しかなく、常に優勝を求められるプレッシャーの中に身を置くことになる。その言動も常に注目される。要するにプライバシーの存在する余地が少ない公人なのだ。これは常人には考えられない厳しい条件だ。だからこそ心の充実が求められるわけだが、多くの場合20代の若者である横綱にとって、時にはこの重圧から逃げ出したいこともあるはずだ。だから羽目を外すことが悪いとは誰も言えないだろう。

問題はその外し方である。ダグワドルジはことあるごとに記者達に「ぶっ殺すぞ」と毒づいていたという。これはテレビ番組で記者の証言がある。そして今回の騒動の発端も、人を殴ったということである。警察が捜査に動くような刑事事件に発展する可能性がある暴行なのである。仮病サッカーも嘘つきという点では人格的に問題があるが、彼の暴力はDVとしても現れて離婚という結果を招いている。

これは日本人だとかモンゴル人だということや、相撲が強いかどうかとかという問題を離れて、暴力体質の犯罪体質の人間であると疑わざるを得ない。身近にいる仲のいい人達はそれを否定するかもしれないが、相手によって態度を変える多重人格である可能性もある。品格以前の問題であることは明白である。いや、「時津風事件」に象徴されるような相撲界の暴力体質というものを考えた時、品格の厳密な定義は不可能としても「暴力をふるわないこと、特に目下の者や体力的に弱い者に対して」という最低条件は付けられるはずである。

品格という言葉の曖昧さを棚上げしても、ダグワドルジを横綱にしたのは間違いだったと言わざるを得ない。ヒール役として強い相撲が見たい、というファンの気持ちはよくわかる。あの豪快な相撲は確かに見ていて気持ちがいいだろう。彼の運動能力が超一流であることは明白だ。だからこそ最強、いや最凶な大関として、プレッシャーの相対的に弱い地位に据え置けばよかったのだ。大関ならばここまで品格が問題にされることはなかっただろうし、彼が狙っていた33回の幕内優勝も達成できたかもしれない。

かつて大相撲の最高位は大関で、横綱は大関の中でも特に優れた者に与えられる名誉称号だった。例えて言えば大関は常設の最高権力である老中であり、横綱は臨時に置かれた大老職のようなものだ。あ、歴史が苦手な人には例えになってないか(^_^;)。横綱土俵入りがなくなってしまうなど興行的には困難なのかもしれないが、もう一度こういう仕組みに戻すことも一考ではないだろうか。あるいは伝統芸能として日本人限定の大相撲を残す「芸能部門」を設置する一方で、格闘技として国籍に関係なく強さだけを競う「競技部門」を分離したらどうなんだろうか。

誰だったか、ラジオで、大相撲の千秋楽の取り組みや表彰式が終わった後の土俵の撤去までを残って見てみるとよい、と言っていた人がいた。神事としての相撲に詳しい女性である。かなり厳かな雰囲気で神秘的なのだという。あれこれ能書きたれてきて最後にヘタレだけれど(笑)、横綱の品格というのは、そういうのを体験した人だけが論評するのを許されるのかもしれない。

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昨晩の悪天候の試合会場と同じようにチームの今後も視界が悪い

「国立」で記録的不入り=東アジアサッカー・日本代表戦ウェブ魚拓

そりゃ、あんな悪天候の中、誰がわざわざ生で香港戦なんか見たいと思うものか。W杯イヤーの大切な準備期間に東アジア選手権なんてやっている意味がよくわからん。韓国戦はともかく、他の2つは楽勝してすばみでもつけようと思ったのだろうか。だとすれば完全に裏目だな。

昨晩の試合の前半なんか、飴で条件が悪いとはいえ、ペナルティエリアあたりでは自信のなさそうなプレーばかりだ。前半のもっと早い時期に2点くらい入っていたら、相手は崩れて大勝できただろうに。ミドルシュートがもっと多くてもよかっただろう。

3-0では得失点差を考えると韓国戦で快勝しても、優勝は他力本願になってしまう。勝利したとはいえ、相手のレベルを考えれば実質的には負けたようなものだ。本番に向けて「死んだふり」できるほど力があるチームでもあるまいに、どうするつもりだろうか。といいつつ今の代表チームの潜在能力は高そうなので、ヴァンクーヴァー五輪でも見て、主にメンタル面で世界のトップクラスの戦い方にでも学んだらよいかもしれない。何かきっかけがあれば、大化けするかもしれない、という淡い期待を込めて。

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2010年2月11日 (木曜日)

与党になれば皆同じ、か。

民主党の石川議員、離党だけで議員辞職せず。職責を果たしたい、と。あれ、幹事長の身代わりで職責はもう果たしたんじゃなかったのかな。

それにしても、野党の時は秘書のやったことは議員の責任と大見得切ったのに、与党になると掌返す。議員辞職はせずに離党で責任回避。

既視感たっぷりですな。

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メディアの莫迦さ加減はなんとかならんのかね

ブログが出てきた時には「ブログ(日記風簡易ホームページ)」と書き、ツイッターが出てきたら「ツイッター(ミニブログ)」と書く。

莫迦じゃねえの。分かりやすく書いているつもりだろうけれど、分からない奴にはこんな括弧書きではどうせ分からないし、分かっている奴にとっては無用の長物な上、本質を突いた説明になってない。

私はテレビ放送が始まった時にはまだ生まれていないのだが、当時の新聞は記事にする度にいちいち「テレビ(絵付きラジオ)」とでも書いていたのだろうか(笑)。

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大いなる勘違い

深呼吸をしていて息を吐きながらふと思った。あれ、呼気中の二酸化炭素濃度ってどれくらいだったっけ?

ちなみに吸う方は目の前にある大気だから、窒素約78%、酸素約21%、その他約1%でその他の内二酸化炭素が約0.035%といったところである。吐く方はというといくつかのサイトにあたったが、個人差はあるものの酸素濃度は18〜20%程度にやや減少し、二酸化炭素濃度は3%程度に上昇する、というのが平均的なところのようだ。確かに二酸化炭素濃度は100倍くらいになるけれど、酸素濃度はそれほど変わらない。

常識的に考えても、もしも呼気中の二酸化炭素濃度が極端に高ければ、窓を閉じた満員電車なんぞでは、ばたばた人が倒れてしまうが、そんなことはない。

Yahoo!の知恵袋に「人間は酸素を吸って二酸化炭素を吐くけれど、人工呼吸で吐く息を人に吸わせても大丈夫なのか」という趣旨の質問があった。自分でも記憶があるけれど、小学校くらいの時に利香や体育あたりの授業で「人間や動物は酸素を吸って二酸化炭素を吐き、植物はその逆」という非常に大雑把でかつ不正確な知識を学校で教え込まれる。これが染みついてしまうのだ。

だいたいにして、どっちも窒素濃度が一番高いわけで、大雑把に言えば皆窒素を吸って窒素を吐いている、とも言える(笑)。

本気で「人間は酸素を吸って二酸化炭素を吐く」と思っていた人がいたならば、認識を変えてね(^_^)。

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2010年2月10日 (水曜日)

公的機関のくせに酷い調査をするものだ

日本政策金融公庫が先月実施した平成21年度第2回「消費者動向調査」。
公庫のウェブサイトの中の「各種レポート | 農林水産事業」のページから調査レポートのPDFファイルが入手できる。

景気が悪化して食品購入に対する消費者の動向が変化した、というもので、その内容は低価格志向で「国産へのこだわり」が減ったというものだ。「食の『経済性指向』が30代と40代で49%の効率。安全志向は一段低下」と煽った見出しがついている。

「国産は輸入品よりおいしくて安全」という思い込み(これはレポートの図4に掲載されている数字を見れば明らか。これだけ多くの人が洗脳されているのも考えようによっては恐ろしい)を前提にして、経済性と安全性という本来独立した属性を、あたかも相反するものであるかのように扱った表現であり、偏向した調査内容であると言わざるを得ない。

そもそも30代、40代は育ち盛りの子供がいて食費がバカにならない世代である。そこへもってきてこの景気悪化である。低価格志向にならざるを得ないではないか。それを安全志向は低下、とまで言ってしまうのは、所詮は倒産しない公的機関のお気楽な感覚だ。多くの消費者は安全性を気にしながら、財布の中身と相談しながら買い物をしているし、シナ製毒入り餃子という特殊な例だけを取り上げて、輸入食品全体が危険であるかのように公的機関が語るのは非常に問題だ。

それともう1つ。生鮮食料品の価格は下げ止まり感がある一方、「加工食品への値下げ期待が根強く、食品加工業者や小売業者にとっては値下げのプレッシャーになりかねない状況ともいえそうです」などと他人事のように述べているが、そのプレッシャーを受ける事業者は公庫の取引先も多いはずだ。確かに加工食品の価格水準が今のままでいいかどうか、という問題はあるものの、農業改革によって生鮮食料品の価格低下を促進し、割高な国産農産品を許容しているような国民性を変えるような提言をすべきだと思う。

旧農林漁業金融公庫を統合していることを考えると、所詮は今のどうしようもない保護主義的な農政の手先に過ぎないのかもしれない。タイトルには「公的機関のくせに」と書いたが、「公的機関だからこそ」とした方がよいのだろうか。

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2010年2月 6日 (土曜日)

商売上手やね

今、NHKの経済ビジョンという番組で、酷よ、もといコクヨの「東大生ノート」のことを紹介していた。太田あやという東大生が東大生のノートはきれいだ、という本を書き、それをベースに開発された。他の番組でも紹介されたことがあり、年間2000万冊の大ヒット商品だから、ご存知の方も多いだろう。

通常の横罫線に加えて、定間隔のドットが打ってあり、要するにワープロのインデントのように文字揃えがきれいにできるという製品である。

脳科学や脳トレーニングがブームであり、この商品もそうした世相に合致しているのだろう。
これで綺麗にノートを取るようになり、日本人の青少年の学力が向上するのであれば喜ばしいことである。

しかし、そう簡単にいくだろうか。
東大生のノートがきれいなのは、きれいに書くことが目的ではなく、系統立てて整理することが目的であり、その結果がきれいに見えている、ということだ。頭のいい子であれば、罫線すらない白紙のノートでもきれいに書けるだろう。頭の中の整理能力と、それをノートという平面上に表現する空間能力がもともとリンクしていると考えられる。

表面的なきれいさに眼を奪われてしまったら本末転倒である。
学習内容を理解しながらリアルタイムでそれをきれいにノートに取る、というのはなかなか難しいものなのだ。

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受験シーズンの幕開けに

「東大までの人」と「東大からの人」

受験生必見とあるが、受験生の家族や将来の受験生である子供達も読んでみるとよい。私はとりあえず前半の理系の部分だけ読んでみた。

大学院制度の変更や学科の再編などはあるものの、およそ30年前の自分の頃と基本的なところは変わっていないという印象。記事には中高一貫の桐朋高校出身の学生が紹介されていたが、灘、開成といった全国的にも有名な進学校と比較すると地味かもしれないが、かつてもここの出身で優秀なのがいた。化学系などで夜遅くまで実験が続く、というのは別に東大理系に限ったことではないが。

数字はごくごく直感的だが、この記事に紹介されているような「天才」は全体の数%程度だろう。といっても東大理系は一学年1800人くらいのはずだから、5%としても90人くらいは天才ということになる。小学2年で微積分を理解していた教授には唖然とするけれど(私が微積分を理解したのは中学生の頃で、小学3年生で連立一次方程式程度だったが、そんなのはごろごろいるはずで珍しくもなんともない(笑))、確かにどう逆立ちしてもこいつには敵わないなというのが何人もいた。

そういうのも含めて、独創的な頭の持ち主は全体の2割くらいだろうか。逆に記事の見出しのような「東大までの人」や、あまり考えたくはないのだがまぐれで入ったとしか思えないようなのもいて、そういうのも2割くらいいるのではないかと思える。まともに英語のテキスト読めないのもいるくらいである。多分入試で英語は捨てていたのだろう。

我々の頃は学生運動はほぼ沈静化していたが、原理研がキャンパスを席巻していて、そういうのに流れて大学に来なくなったのもいた。それと当時はテニスサークルが全盛でもあった。「逃げ場」はいつの時代もあるのだろう。

あとの6割は多分「頭のいい普通の人」である。
悪いが、今の総理大臣なんかは(スタンフォードでドクター取得しているが、それは嘘ではないかと思えるくらい)こっちではないかと思うのである。偽メールで自殺したのもいたし、ブログで愚痴っている女大学教員なんかもいるな。あ、こういう人たちは「普通」じゃないか(笑)。

「東大からの人」に誰でもなれるわけではないが、「東大までの人」にならないことは大切である。
無理して東大に入ることもないし、入るとしたら、漠然としていてもよいから何か人とは違うことがしてみたい、という希望があった方がよい。研究者になろうとするなら、何か1つのことに集中することが大切だが、専門バカにならないよう好奇心は幅広く持つべきだ。

記事中に、教授のクローンをつくっているだけ、とか、外に出ないと自立した研究者になれない、といった指摘があることも注目である。教授に気に入られて忠実に従っていればそれなりのポストには就けるかもしれないが発展性はない。日本社会では成功者として扱われるだろうが、人生行き止まりである。記事に出てくる学生に、独立志向や副業もやりたい、経営も勉強したいといった広い視野があることはよいことだと思う。

それと「何が分かっていないのか」ということも重要だ。これは自戒の意味も込めて書くが、知識量が多くなってくるとついついあらゆることが分かっているような錯覚に陥るものである。自信と謙虚さをバランスよく併せ持つ必要がある。

何はともあれ、まずは今年受験する諸君、検討を祈ります。

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2010年2月 5日 (金曜日)

仲良くできるかな

ちょっと値がはるのですが、最近ナナオの液晶ディスプレーを仕事場のPC用に導入しました。
実はその製品、発売開始日が私の誕生日と同じだったのです(^_^;)。

といっても10万円以上するハイエンドのものではなく、ナナオの中では相対的に安いミドルレンジのモデルです。
ディスプレーは仕事で長時間向き合うことも多いので、安物は使わない方がいい。CRTのディスプレーから始まってもうパソコンとのつきあいは23年にもなりますが、パソコン作業で目が疲れたり肩がこったりしたことはありません。

22インチワイドでWUXGA(1920×1200ピクセル)。ワイドモニターだと1680×1050ピクセルが多くて、最近はいわゆるフルHDの1920×1080ピクセルのものも増えていますが、これまでUXGA(1600×1200ピクセル)のものを使っていたので、縦方向が狭くなるのは選択肢に入りませんでした。つまりUXGAしか選択肢がなかった、ということ(笑)。

22インチでWUXGAだから、小さめの表示なのですが、幸い52歳にしてそれほど老眼が酷くはないので(^_^;)、大丈夫です。

これまでのイーヤマのディスプレイも故障したわけではないので、サブマシンのマックにつないでいます。

ナナオのもイーヤマのも液晶パネルの駆動方式がVA(Vertical Alignment)というもので、安価なTN(Twisted Nematic)と比較すると高コントラストで視野角も広くて見やすい。これまで使っていたのがVA方式だったので、今回もTNにするつもりはなかった。もちろんハイエンドに使われているIPS(In Plane Switching)には劣るのですが。

しかし、導入してわかったのですが、重たい液晶ディスプレーなのに縦方向に簡単にスライドできて高さが調節できるタイプのスタンドであることが意外にメリットがある、ということです。最適な高さに固定してしまえばいいようなものですが、案外、作業途中でちょいと高さを変えたいという時はあるもの。ましてや私は腰痛持ちですから、調子が悪い時など、その時の姿勢に合わせて簡単に高さが調節できるのはありがたい。

もちろん、腰痛を治せばいいのですが、こればかりは配偶者以上の長年のつきあいでもあり、なかなか別れてくれません(苦笑)。

それと回転して縦長にできるのですが、これは多分使わないでしょうねえ。UXGAもそうですが、A4縦の文書が見開きで収まるというのはよいものです。

予算の都合で低価格のTNタイプの液晶ディスプレーを購入せざるを得ないケースも多々あると思いますが、できればなんとか都合をつけて上位の機種を導入したいものです。例えば電子メールとウェブ閲覧の他はワープロくらいしか使わない、という人が多いと思いますが、であればPC本体はそれほど高価格・高性能のものは必要ないので、その分モニターに金かける、というやり方があります。CPUにCore i7なんか要らない。Celeronのデュアルコアとか最近出たCore i3のパソコンならかなり安価で売られています。IntelではなくAMDのCPUのものを選択する、というのもありでしょう。

ま、デスクトップ型PCの話ですがね(笑)。

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2010年2月 3日 (水曜日)

せっかく集まったのならもっと前向きに考えられないのかな

今朝のNHKニュースで父子家庭の問題を取り上げていた。父親は稼いでいるのだから、という理由で、母子家庭と比べると支援策が皆無に等しいらしい。

しかし現実は子育てのために残業できなかったり、休暇を取ったりということで、会社からいらない、などと罵られて(これは酷い話だな。池田信夫ブログで日本の会社は相撲部屋体質と批判されているが、こういう話を聞くと、全くその通りだと思う)退職した人もいるし、酷い場合には父子共々自殺だそうである。

現在は月4万円の手当てが支給されているという。
2人の子供を育てた経験から、夫婦揃っていても大変なのだから、父子家庭の苦労は想像に余りある。是非、硬直的な思考に捕らわれずに、支援策が拡大することを望む。「子ども手当」などという愚かな施策とは違うのだ。

そして、新潟県のある父親は、情報収集や会合のために頻繁に上京しているという。バスが画面に写っていたので、新幹線ではなく格安の高速バスを利用しているのだろう。今朝のニュースではシンポジウムへの参加の様子が紹介されていた。

ここでちょっとどうなのかな、と思ったのは、皆行政への支援や雇用の確保を訴えているのだが、起業しようという人はいないのかな、ということだ。

同じ地域なら子供を共通の場所に預けることも可能だろうし、子育てを終わった地域のご婦人方などに協力も要請できるだろう。何をするかがまとまれば、お互いに離れていても仕事そのものはインターネットをつかって一緒にやることもできるはずだ。

一番大切なことは、残業しないとか休んでばかりいる、といった理不尽な文句を言われず、自分たちの生活に合わせた就労環境が構築できることである。父子家庭の父親同士が連携すれば可能ではないだろうか。これまで働いてきた経験を土台に新しいことにチャレンジするのだ。そして周囲はそのための経営ノウハウや資金などの援助をすればよい。援助主体は行政やNPOである必要はなく、既存の企業でもよいし篤志家でもいいだろう。不況のために大学生の就職難でもあり、意欲やアイディアがあるのになかなか就職先が見つからない大学生などとも協力してはどうだろうか。前向きに生きる父親の背中は、子供達にとってもよいお手本となるだろう。

福祉が成長産業になるとすれば、こういうことではないのだろうか。

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今日は節分、豆撒いたら鳩が鉄砲玉食らったような顔するかな(笑)

見る場所が違うといろいろな鳥に見えるどこかの国の総理大臣が、マニフェストに粘着して「子ども手当」の2011年度満額支給に努力すると言っている。

担当の財務副大臣など関係者が財政状況から困難だ、と言っているのに、それはどこ吹く風である。現場の声を聞かないで理念だけで突っ走るのはこの人らしい。

現場の声というと、あちこち出かけていっては飲食したり雑談したり握手したりして、聞いているように振る舞っているが、それはどちらかというと政策とは関係ないパフォーマンスに見える。何しろそういう人たちは、私と同様「たかだか」一介の市井の人であり、(総理の好きな)「国民」の代表ではない。しかし財務副大臣は国会議員であり「民意」を反映した人である。

自分の母親から毎月1500万円もの手当をもらっていたので、満額支給しないといけないような気になっているのかもしれない。もっともそこまで気を遣う人にも思えないのではあるが。

これまで手当などもらわずに子育てをしながら、「子ども手当」のために増税になるだろう私の家族のような世帯もたくさんある。そういうのは国民ではないのですかね。鴨、鶏、鷺、鸚鵡、烏、鵜、雁、四十雀、いや鳩山総理?

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2010年2月 2日 (火曜日)

本気でそう考えているのか

今、めざましテレビをチラッと見たら、日航のパイロットと整備士の各1人の話が流れた。
再建のための経費削減策として、パイロットは紙の無駄をなくす、整備士は手袋を長く使う、と言い、小さな積み重ねが大切ではないか、と話していた。

絶句したよ。
確かに細かな無駄を省くことはしないよりはいいだろう。

しかしである。パイロットの年収は他の航空会社と比較すると2倍くらいの水準だという(3000万と1500万)。つまりパイロットであれば、紙の無駄をなくすという前に、そんなみみっちい金額よりも遙かに無駄な自分の給料を下げなくてはならない。A4のコピー用紙なら安いもので1枚0.5円くらいである。パロットの年収を500万円下げれば、1人あたり紙1000万枚分に相当するのだ。

整備士の給与水準はわからないが、パイロットよりは低くても、世間の相場より高いかもしれない。いや、高くなくても破綻した会社なのだから、まずは給与ダウンを飲むべきだ。手袋云々はその後の話だろう。

週刊誌ネタではあるが、子会社につけ回して飲み食いした役員とか、タクシー乗り放題だった客室乗務員など、信じられないような話が満載だ。

会社の再建とか経費削減というと、バカの1つ覚えのように細かな無駄をなくす、ということが真顔で言われるが、そんな精神論では話にならないところに日航はいるのだということを社員がわからなければ、交換ささやかれているような「夏頃やって来そうな第二の危機」は不可避だろう。

それにしても、である。

赤字を計上した全日空は経費削減として、国内線の機内のドリンクサービスを水、お茶以外を有料化する方針だという。これも中途半端だ。
こんなことしたら、1時間から1時間半程度の飛行時間が大半の国内線で、かえって有料無料の客の識別や小銭のやりとりなどに手間がかかって、経費削減にならないのではないか。短時間のフライトでジュースやコーヒーなど飲まなくても我慢できるはずなのだから(タバコについても全て禁煙になっているのだし)、全て無料の水、お茶に限定するか、いっそのことドリンクサービス全廃でもよさそうである。

日航の経営不振の原因として、採算に合わない地方路線を押しつけられたことがあげられるが、無駄な空港の乱立のせいで、全日空も不採算路線を抱えているはずだ。地方空港の見直しをすれば、地方財政の負担軽減にも役立つし、航空会社の経営再建にも役に立つ。是非不要な空港は廃止すべきである。

そうして浮かした費用を使って、地方の離島などの生活路線は、逆に国や都道府県が責任を持って維持すべきだろう。もっともどこまで限界集落を維持すべきか、という議論は別にあって然るべきだが。

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2010年2月 1日 (月曜日)

頑張っている32歳

開催前の盛り上がりに欠けているように思えるヴァンクーヴァー冬季五輪。
でも、見るのが楽しみな選手を1人みつけた。オーストリアのノルディックスキー複合のマリオ・シュテヒャー(Mario Stecher)、32歳である。

彼は10代の頃から世界のトップレベルの選手として活躍しているが、荻原健司と同様、ジャンプに強い選手で、しかも当初は距離が極端に苦手だったために、しばしば前半のジャンプで上位に立ちながら後半の距離で順位を落としている。

今朝の新聞報道ではW杯で今季初勝利、通算10勝目を挙げた。実働時間が長いのに通算勝利数が少ないのは、やはり距離が苦手なためだろう。距離に強いフィンランドのハンヌ・マンニネン(Hannu Manninen)などは通算勝利が40を超えている。

だが、今回のシュテヒャーの勝利はジャンプの9位から距離で順位を上げたものだ。その数日前のW杯で、日本の渡部暁斗が3位になったが、その時2位だったのがシュテヒャーであり、その時の彼の距離のタイムも全体で7位という好成績だった。以前なら30〜40番目くらいのタイムが多かったのだから、ベテランの域に達して持久力の必要な距離の力がついてきた、というのは大きな賞賛に値する。

日本勢が活躍するとルールが変更される、といわれるが、このスキー複合も例外ではなく、ジャンプに強い日本勢に対して距離重視のルールになり、日本勢の個人での優勝は久しく途絶えている。しかし昨年のW杯では日本は団体で優勝した。個人で優勝できるスターはおらず欧州勢との差もあるが、着実に距離の力をつけてきていることは間違いない。

ジャンプに強いシュテヒャーもこのルール変更の「被害者」だったといえるだろう。もしかすると日本勢を恨んだことがあったかもしれない(笑)。まあ、一流の選手だからそんなこともないだろうが。
その彼の今の活躍の報に接するにつけ、尋常でない努力をしたのだろうと思う。

是非、怪我などしないよう最終調整をして、本番のオリンピックに姿を見せてほしい。そしてまだ取ったことのない個人種目でのメダルを目指してもらいたいものだ。そして、距離が相対的に弱いという彼と同じようなタイプの多い日本勢も、彼と競り合って好成績を目指してほしい。

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