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2010年1月30日 (土曜日)

対症療法の積み上げでは幸福な世の中にはならない

HVに接近通報装置義務化へ=「静か過ぎて危険」の指摘−疑似エンジン音などウェブ魚拓

今更この「規制強化」の流れを止めることはできないのだろうが、せっかく低速時に静かなのに、わざわざ音を出すというのは本末転倒だ。低速走行時に静かなのは特に住宅地などでの静謐性の向上に役立つ。

大多数は視覚障碍者ではないのだから、少数のために多数が必要としないことを義務づけるというのは、どう考えても余計なお節介である。皮肉を込めて言うが、さすが現代社会では障碍者は弱者という名の強者である。

HV側に発信機能をつけて、例えば携帯電話を利用したり杖を受信機にしたりして振動させるなど、視覚障碍者が個別にHVの接近を認識できるような仕組みにすればよいではないか。どうせ自動車会社が負担しなくてはならないのなら、その分をこうしたシステム開発や受信機配布に充てれば視覚障碍者の自己負担はなくてすむ。そしてこの手のシステムであれはHVの接近以外に交差点の信号や踏切など、移動中の危険を知らせることに広く応用可能であり、そうした中から新たな技術開発の可能性もある。HVの低速時に音を出させるだけの「しょぼい」装置とどちらが皆の幸福につながるかは自明である。

(追記)
私の乗っている車は、14年も前の古いドイツ車(それも下のクラスの方w)なのでついていないけれど、最近の車はほとんどキーレスエントリーである(オプション装着も含めて)。逆方向だが自動車と歩行者とが接近した時に電波のやりとりをする仕組みは技術的には確立されている。ICTなどと言いながら、こういうのを発展的に利用しないで、単純に音を出すという発想になるのが安直だ、と言っているのである。

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経済不安が少子化の原因なのか

クロハトキン総理の国会の施政方針演説は、「命を守る」が柱だったことに驚きを隠せない、訳ではなく、寧ろこの総理ないし内閣の社会主義的体質をよく表していると思う。その点では個人的には「想定の範囲内」ということになる。日本国憲法にも規定されているような当然の内容を今更のように強調するところに、この内閣の手詰まり状況が凝縮されていると言ってもよいだろう。

全体像はともかく、経済的不安から子供を産まない、という認識についてはそれが「子ども手当」に結びついている訳だが、政治家だけでなくメディアも含めて、影響力のある人たちが数字を読み間違っているのではないか。そもそも少子化の傾向は30年以上前から統計データに表れているのであって、その間景気は変動している。つまり少子化と経済不安とは相関性(という言葉が言い過ぎなら関連性)はない。

出生率(専門用語では合計特殊出生率という)は、15歳から49歳の女性が対象になるのだが、これは5歳階級のコーホートが人口データの取り扱いによく用いられることに起因するものだろう。なにしろわが国の法令では女性の結婚可能年齢は16歳である。

だが、これは女性という属性だけを年齢で輪切りにしたものであり、結婚しているかどうかは関係ない。事実、少子化(出生率の低下)の要因として、有配偶率、特に20代女性での低下の影響が大きいからだ。
例えばこれの第14項目。

女性が高学歴化して働くようになれば、これは当然のことだ。
しかも彼女らはしばしば結婚相手に対する要求水準が高いから、なおさら容易に結婚に踏み切らない。
加えて、出生時の男女比率は概ね1.06 : 1.00であり、乳幼児〜若年層男性の死亡率が低下しているから、なおさら適齢期の男は「余剰」になり、結婚しにくい社会状況が強調されて見える。

結局のところ、経済成長によって若い人たちに将来に対する希望を持たせ、かつ女性が労働力として活躍できるような職場環境を拡大することによって、なんとか少子化問題は解決の糸口を見いだすしかないのだろう。ただし、即効性はないが。

となれば、やはり規制をできるだけ緩めて政府が余計な口出しをしないことに限る。それから悪しき既得権の撤廃も必要だ。

総理の演説では長寿企業が二万社を超える日本を賛美しているようだが、そういうところが本当に社会的貢献をしているのだろうか(全部がしていないとは言わない)。古い因習にとらわれて、女性の職場進出や復帰を妨げているところはないだろうか。古い企業を守るよりも、新しい感覚をもった経営者がどんどん起業できるようにした方がよいのではないだろうか。いや、古くても中小企業なら既婚女性でも戦力にしているところは多いはずだ。いや、せざるを得ないと言った方がよいかもしれない。一番問題なのは大企業だろう。

折しもアップルコンピュータからiPadが発表になり、Kindleなどとの電子書籍争いもささやかれているが、日本の出版流通の古い仕組みでは、電子書籍すらままならない。出版不況だというのに、これでは業界に将来性などないではないか。既得権の撤廃の必要性とはそういうことだ。

子ども手当などのばらまきとは違う、財源のいらない経済成長戦略と雇用対策、少子化対策を打ち出せる政治が必要なのである。

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2010年1月29日 (金曜日)

どうなっているの、日本人の歯と歯ブラシ事情

もう10年以上歯科医に行っていないし、日本の虫歯事情のことはよくわからないのだが、たまたま新聞の折り込みチラシみていたら、歯ブラシが眼に入ったので(笑)、急遽このエントリーである。

以前、水道水へのフッ素添加のことに言及したことがあったが、今更健康被害を恐れる日本でフッ素添加しろ、などと主張するつもりはない。

高齢化の進展ということは、歯科医の需要も増えると思われるが、それにしても自分が子供の頃の40年くらい前のことを思い起こすと、当時は、今ほど高齢者は多くなかったはずなのに、周囲に入れ歯の大人が多かったような印象がある。欧米諸国と比較して日本人は虫歯が多いと言われるが、なんのかんの言っても、口腔衛生の向上で、歯が長持ちするようになったのだろうな。あと、部分入れ歯とか差し歯とかインプラントといった技術の向上もあるので、総入れ歯ってのは少なくなっているのだろう。

その一方で、歯科医はコンビニ並みの立地密度で乱立し、年収200万以下のワーキングプアデンティストもいるというではないか。これは一体どうしたことか。

それにしても、である。
歯ブラシというのは、しょっちょういろんな形状、形態のものが発売されていて、コマーシャルを見るとどれも決定版みたいなことを言っている。販売促進目的だから当然だけれど(笑)。特定の会社の立場に立たないで客観的に公衆衛生の視点から見た多種多様な歯ブラシの効果(つまり、この歯ブラシのこういう特徴はこういう効果がある、という個別の機能論ではなく、疫学的に歯ブラシの進化がどの程度効果があるのか)を実証した研究はないのだろうか。ご存知の方がいたら教えてもらいたいものである。

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2010年1月28日 (木曜日)

もしかすると厚生労働大臣はとても暇なのか

長妻昭の名前を久々にネット配信ニュースの見出しで見た、と思ったら、「カジメン」という言葉を流行らせたい、などという下らない内容だった。イケメンに引っかけているようだから、ますますもって俗っぽい。

さすがミスター検討中である。こんなことを検討していたのか(笑)。

なるほど、日本の男性の家事参加は、諸外国と比較すると少ないのだろう。
しかし、家事に関与する平均時間しか見ていないのではないか。データを精査しないで推測で言ってしまうが、可能性としては全く家事をしない多数派と、きちんと家事をこなしている少数派があって、平均すると欧米などよりも少なくなるのだろうが、既に家事をこなしている男性は、欧米と比較しても引けを取らないのではないだろうか。つまり既に長妻の言う「カジメン」なのである。

その長妻の足下の厚生労働省では、大臣の指示のために残業が多くて、帰宅時間の遅い官僚がたくさんいるという。大臣は先に帰ってしまうらしいけれどね。そうすると、彼らはしたくても家事ができないことになる。この矛盾はどう解消するつもりなのだろうか。

国がこんなことまでちょっかい出すべきではない。そもそもこんな「官製」の言葉が流行ったためしがない。

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やはり外国人に参政権を与えるのは危険だ

名護市長選挙の結果は現行案反対の民主党推薦・稲嶺候補が僅差で勝利した。このため、辺野古移転が事実上不可能と言われ、これを民意、民意、とメディアはお得意の言葉で囃し立てている。そして、選挙結果を斟酌する必要がない、と発言した平野官房長官が集中砲火を浴びている。

まずは民意であるが、得票を見ると16000票台と17000票台の僅差であり、現職もそれなりの支持を集めている。いつもなら投票しない人たちまで投票したのかもしれないし、民主党が「動員」したのかもしれない。いずれにしても、落選した現職に投票した人たちの声は民意ではないらしい。昨夏の衆議院選挙の投票数を分母にした得票率で47%に過ぎないのに、自らを国民の代表と言い切ってしまう議員がいる政党とそこへの投票を煽ったメディアだから、致し方ない。

官房長官の発言は、与党の政治家として「空気を読めない」という点では、相変わらずその資質が問題視されるのかもしれないが、この問題に関しては、日米間の外交問題でもあり、1つの見方としてありうると思う。池田信夫氏などは、ネット論断「アゴラ」で「沖縄の心など考える必要のない、原発やゴミ処理施設と同じ迷惑施設をどうするかの問題だ」と主張しており(名護市長選の「民意」を斟酌する必要はない)、普段池田氏に同調するコメントが多いのに、これには反発が強い。名護市民に対して、金返してから反対しろ、というあたりは実際のお金の流れの詳細を知らないので何とも言えないが、沖縄、基地、防衛、戦争といった問題になるととたんに冷静さを失うのが、大東亜戦争のトラウマを引きずる日本社会なのだろう。

さて、この問題で、外国人参政法案との関係を考えてみよう。ただでさえ沖縄を自国領土だと主張するシナにとっては、沖縄に大量に移民させれば、武力を使わないでこれが実現できるよい機会に見えるだろう。当初は在日韓国人を主として念頭に置いていたと思われるこの法案だが、現実には近年は韓国人は減少してシナ人が増加しているとのこと。

僅差だろうと国政レベルの問題だろうと、勝ってしまった方が唯一の正しい民意なのだから、名護と同様に、沖縄中の自治体で「親中派」の市長を当選させたり、議会で多数派を握って、基地を追い出してしまえる可能性が考えられる。(善し悪しは別として)基地依存経済の沖縄はたち行かなくなるから、そこを狙ってシナ資本が大量に流入する。あとはなし崩しで人民解放軍が進出してくるだろう。

妄想だ、と言われればそれまでだが、沖縄という場所の地政学的な位置づけを考えれば、荒唐無稽な話ではあるまい。かつて琉球が歴代シナ王朝の冊封体制下に入り、広く東南アジアで貿易をしていた歴史を考えてみればよい。

北海道にも「ロシアの植民地」ができるかもしれないぞ。

そういえば、野党時代の民主党は沖縄に大量のシナ人を移住させる構想を発表して、それを批判するFlashムービーが登場したことがあったな。

クロハトキン総理は、日本列島は日本人だけのものでない、と言ったが、逆に日本は民主党支持者だけのものではないのだぞ。

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二重の意味で「うーむ」

横のすき間がわずか6cmしかない車庫に駐車、さらに誰にもマネできないような方法で車から家の中に入る動画ウェブ魚拓

記事ではドイツって書いてあるけれど、どう見ても画面キャプチャーに出ているのはオランダ語。それともオランダ語そっくりの低地ドイツ語なのかな。(というか、オランダ語は低地ドイツ語の一種だけれど)

それにしてもこの爺さん、よくやるな(笑)。

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2010年1月26日 (火曜日)

上越新幹線はどうなるんだろうか

3月のJRグルーブダイヤ改正で、横須賀線に武蔵小杉駅が仮開業する。仮というのは、既設の南武線駅との連絡通路が未完成など、完全な状態での開業でないからだ。この「新駅」には成田エクスプレスも停車する予定だし、武蔵小杉駅は横須賀線、南武線、東急東横線・目黒線の複々線と合わせて、交通拠点性が高まる。

タイトルが上越新幹線なのに何だこれは(笑)、というツッコミはなしね。

そのダイヤ改正時のトピックの1つとして、上越新幹線のスピードアップがある。長らく放置状態に等しい越後湯沢・新潟間のATCの改善で、東京・新潟間の所要時間が1〜3分短縮されるという。うーん、ショボい。たいしたことないと言えばそうだが、例えば2時間が1時間59分になると、9800円みたいな値付けと同じで、スピードアップ感があるということなのだろう。

年末の12月には東北新幹線が新青森まで全通するので、その前にちょっとしたサービスなのかもしれない。320km運転の新型E5系車両の登場など、話題の多い東北新幹線と比較して、上越新幹線は本当に放置状態である。東北新幹線で使わなくなる車両もお古でやってくるみたいだしね。もっとも新潟駅だけは羽越線特急との乗り継ぎ改善のために、駅周辺の再開発と併せて駅の改造をやっている。

しかし、現実は厳しい。2014年度には北陸新幹線が金沢まで開通予定である。
今は越後湯沢乗換ほくほく線ルートが首都圏と富山・金沢方面アクスの主要ルートだが、これが北陸新幹線に移ることは必至で、そうなると、輸送量の少ない上記の越後湯沢・新潟間が支線扱いになってしまう可能性が高い。実際、新潟県ではこの問題を深刻に受け止め、何とかしようという動きが以前からある。

あと約4年。今回の越後湯沢以北のスピードアップが、上越新幹線における最後の機能向上なのかそうではないのか、一般の人にとってはどうでもいいことだが、中下越の新潟県民と一部鉄オタには注目である。

注)上越新幹線と北陸新幹線の分岐は高崎駅の北方約3.3kmの地点にあるのだが、38番分岐という高速運転対応のポイントが使用されていて、現在は上越新幹線が240km通過、北陸新幹線が160km通過が可能となっている。こっそりとこれが入れ替えられたりするのだろうか(笑)。

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2010年1月23日 (土曜日)

愛知県庁はバカの巣窟なのかな

「30歳未満はネットも恋愛も禁止」?? 愛知県条例案に質問や抗議 (ウェブ魚拓)

0〜30歳を一括りにしている時点で終わっている。発達心理学や生理学、社会学などをわかっている奴はこの役所にはいないのだろうな。2chの反応が正論だ。

子ども・若者の範囲を「0歳からおおむね30歳未満」とは書いたのも、単なる定義で、計画案にも「年齢を段階的に別け育成の方法を変えていく」などと記しているように、当然、一律ではなく、年齢によって成長してもらうためのアドバイスは異なってくる、という。
役人的弁明(言い逃れのための根拠を埋め込んでおく)の典型じゃないか。本気でそう考えているのであれば、冒頭にも述べたように一括りにした条例で対応する必要はない。

やろうとしていることは、大きなお世話でしかない。

それと現代の高度情報社会における情報の伝播のあり方について、全く創造力が働いていない。これは一種の「炎上」だ。愛知県民ではないのでこんな低レベルは笑い飛ばすしかないが、もしも自分が愛知県民ならばこんな動きを始めた時点で住む気がしなくなる。

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2010年1月21日 (木曜日)

民主党のマニフェストって一体何なのだ

群馬・八ッ場ダム建設:緊急申し入れ、国交相回答「答える立場にない」 /埼玉 (ウェブ魚拓)

上田知事の言っていることは、常識的な感覚の人間からみれば至極まっとうだ。
最高責任者のはずなのに「答える立場にない」とは、いよいよ総理大臣が乗り移ったかのような発言だ。
そうであれば、例えばJALの債権問題にしても、再生機構が出した結論であり答える立場にない、とでもなるのかな?

総選挙直後は、マニフェストに書いてあるから実行する、と原理主義剥き出しの姿勢だったのにどうしたことか。その一方で、得票率47%(全有権者の33%)の支持しかないというのに、総理や厚労相などは、口を開けば「マニフェストは国民との契約」などと言っている。最近、厚労相は静かなようだが、諸事「検討中」なのだろう。そしてマニフェストにない夫婦別姓の法案提出の動きも批判されている。

ある時は政府の金科玉条、しかし都合によっては政府ではなく党が決めたものなので無関係だとばかりの扱い。こういうご都合主義は自民党が政権党の時もしばしば見られた。権力の本質というのはこういうものなのだろう。

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2010年1月17日 (日曜日)

「使って欲しくない」言葉について考えてみる

今日は兵庫県南部地震(災害名は阪神・淡路大震災)の15年目に当たる日である。

その今日、民主党の逢坂誠二代議士がTwitterで「亡くなった方の冥福を祈る」と「つぶやいた」ので、「浄土真宗の信者の方もいるかもしれないからまずいのでは」とレスしたところ、迅速に訂正のメッセージが出た。さすが地方自治体の首長経験者である。ここいらの対応は素早いし、他人の諫言も受け入れる度量がある。

そしたら、けっこう反響があった模様で、Twitterのフォロワーの数が増えた(笑)。
知らなかったという人もいて、やはりきちんとした宗教教育は必要だな、と実感した次第。私も学校で習ったわけではなく、社会に出てから学んだのだけれど。もちろん真宗だけでなく仏教以外の宗教に配慮する必要もある。

ちなみに真宗は信者ではなく門徒では、という指摘も私に対してあったので、これは素直に訂正した。もちろん門徒というのは広い意味で信者なので間違いではないが、真宗の場合慣習的に門徒という言葉を使うようだ。

中には慣用表現なんだからいいではないか、とか、形式よりも気持ちだ、という反論もあった。気持ちを示すには形式を重視しないとダメなこともあるのだが。それから実際に真宗の方から、「冥福を祈る」は使って欲しくない(特にメディアから)という反応もあった。一方実家が真宗だけれど「冥福を祈る」と言っていた、というのもあった。これはその家がどれだけ熱心な真宗門徒かどうかによるのだろう。

また「冥福は祈るものではない」という主張もあった。これは「冥」という言葉をめぐる本質的な問題点を指摘した意見であるが、ここでは深入りしない。

ともかく、当事者から使って欲しくない、というのだから、やはり政治家やマスメディアが不特定多数の死者に向かって「冥福を祈る」は使うべきではないだろう。例えば「哀悼の意を表する」といった無難な代替表現もあるのだ。

言葉狩りをするつもりはないので、この言葉を発する対象者が「冥福を祈る」を許容する場合は問題ない。

言葉狩りと言えば、私はいわゆる差別語に対する言葉狩りを批判する立場ゆえ、ダブルスタンダードではないかと批判される可能性があるので、この点についても考えを示しておく。いわゆる差別語も「当事者が使って欲しくない」言葉のカテゴリーに属するからだ。

「冥福を祈る」との決定的な違いは、こちらは宗教がらみであり、日本を含む近代国民国家の多くでは基本的に信教の自由が認められていることだ。真宗を弾圧することはできないし、その真宗の門徒が受け入れない言葉を彼らに対して使うべきではない。しかし、この言葉自体は忌み言葉でも何でもない。状況によって使用する自由がある。

一方、いわゆる障碍に関わる差別語は、当事者がその場にいないとしても、その言葉を嫌う人がいる可能性が多いので、状況によって使用する自由があるとは言えない。実際、私も「盲」「聾」といった言葉を口にすることはないし、すべきだとも思わない。

しかし、盲判とか聾桟敷といった言葉は差別の意図がない成句(慣用表現)であり、使用を制限することは言語文化に関わる問題であると思うので、これらの言葉狩りには反対なのだ。ましてや片手落ち(片・手落ち)を片手・落ちと曲解して糾弾するような思想には全く同意できない。こういう過剰反応は障碍者当事者よりも周辺の人たちによることが多いように見える。

要するに「視覚障碍者」に対して「盲」と罵ることはいけないが、彼らとはなんの関係もない状況で、何も考えずに書類に目をまともに通すこともなく機械的に判子をつく行為を客観的に「盲判をつく」と表現することまで規制すべきではない、ということだ。

「知恵遅れ」や「精神薄弱」が差別語とされ「知的障害」と言い換えられて久しいが、いまや人々の本音の部分ではこれを省略した「知障」が差別語らしき用法をされているのだ。これを言い換えればまた新しい言葉が差別語として変容していくことだろう。「障害」を「障がい」などと書き換えたところで、それは似非正義感の自己満足にすぎない。英語圏でchallengedなどという表現が使われているのも同様だろう。障碍に対しての言葉狩りは、人間の本質からして、問題の解決にならないことが明らかなのだ。

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2010年1月15日 (金曜日)

社会主義者達

まだソ連という国家が健在だった大学生の頃、友人と日本共産党幹部の名前をロシア語風に茶化したもので笑い合っていたものだ。

宮本顕治=ミヤケーン
不破哲三=フワテツゾフ

ってな具合。あ、これしかなかったか(笑)。

今の民主党幹部も社会主義者っぽい人物が多いので、同じ遊びをやってみよう。

既出の小沢一郎はオザーリン
鳩山総理は黒い鳩なので、クロハトキン
菅直人は不破哲三みたいにカンナオトフ(ロシア語命名法だとこれは息子の方になっちまうんだが)
輿石東はアズマイル・コシイシコ(イスラームが入っちまっているな(^_^;))
仙石由人はヨシフ・センゴフ

うーん、やはりコミンテルン日本支部の本家日本共産党にはかなわないなw。

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2010年1月14日 (木曜日)

孫もいるというのにね

今朝、石田純一が手島優と一緒に写っているシーンがテレビで流れた。

テレビは石田のことを色男だのプレイボーイだのともて囃すが、要するに「色」ではなく「エロ」男だろう。いや、別に私は石田のことが嫌いなわけではない。むしろ、それなりに頭も切れて女に持てて芸能界に一定の地位を築いている彼はなかなかの人物だと思う。

テレビ局の方がいやだね。ああいうシーンを写しておいて(何でも映画で競演したらしく、その関連の映像だったようだが)色男ともて囃しながら、理子さんとの結婚を控えて大丈夫ですか、とやるマッチポンプが気に入らない。

結局リポーターのやつらなんかは石田で食わせてもらっているんだよな。彼もそのことがよくわかっていて期待される役回りを忠実に演じているのだろうと思う。メディアを翻弄しながら女好きの自らを満足させている石田純一はしたたかである。同じことやったらあっという間に人生失うサラリーマンには真似できないけどね。

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蒟蒻入りゼリーを攻撃した奴は飴もなめないのかな

<食品安全委>こんにゃくゼリー「事故頻度はあめと同程度」 (ウェブ魚拓)

過去の事故を見ればわかりきっていたことで、今更何をという感もある。
大騒ぎしていた連中、特に政治家には是非コメントを求めたいところだ。特に野田聖子。

人間と食い物の関係はリスクとの戦いでもある。製造者に責任を転嫁する前に五感を働かせなければならない。

私も年取ってきたので、喉に食い物つまらせる感覚が少しだが分かってきた。
不思議なのは、(そういう感覚がわかっているだろう)爺婆が孫に対して不注意におやつを与えることだ。
いや、もしかするとそういう爺婆はわかっていないのかもしれない。

もっともそういう私も誤嚥で窒息死する可能性は当然あるわけだけれどね(^_^;)。

参考までにこれ。クラッシュタイプのマンナンライフ。何と特保ですよ。

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ダメなJAL、つまりDAL、しかしてその実態は?

稲森和夫氏が日航のCEOに就任する。高齢と健康不安を理由に辞任した藤井前財務相と同じ1932年生まれ(一学年上でもうすぐ78歳)。その高齢と航空業界未経験というのが不安視されている。

京セラを大企業に育てた稲森氏が日本の代表的な経営者であることは多くの人が認めるところだろう。
しかし、高齢や未経験という視点とは別に問題点があるように思う。

稲森氏は小沢一郎と懇意で民主党の支持者であり、また京都つながりで前原国交相との関係も指摘されている(迷走前原の尻ぬぐい役とも考えられる)ことなどから、この人事は一種の「お友達人事」である。お友達内閣と揶揄された安倍内閣を想起させるのである。こういう場合、外部からの情報が入りにくく、また入ったとしても批判的な情報はとかく遮断されやすいから、判断を間違ったり独善に陥りやすい。

実質的な経営者は別に置くようだが、社内から若手を抜擢する、という見方もある。若手って何歳くらいなのだ(笑)。もしも60代だったら笑っちゃうよな。肉体的な年齢よりも世界の航空業界の中で渡り合っていける能力や識見をもっていることが大切だろう。そうであれば30代でもよいと思うし、日本人であることに拘泥する必要もないかもしれない。今朝の毎日新聞には子会社などの50代の役人の名前が2人具体的に挙がっている。

こういう流れを見ると、民主党主導で筋書きができているのではないかと推測される。
稲森氏の経歴からしたら日航のCEOになるよりも、第二日本航空(DAL=Dai2nippon AirLines)を設立した方がいいんじゃないかなw。あ、これだとデルタ航空と合併したみたいだな(^_^;)。民主党主導みたいでもあるな(DPJ AirLines)。という冗談はさておき。

海外渡航といえば日航しか利用せず、過剰サービスを要求するような乗客を別にすれば、普通の感覚で日航を利用し、また海外も含めて他のキャリアを利用したことがある人なら、日航のお役所体質、親方日の丸体質を直接間接に感じたことがあるのではないかと思う。意識しすぎなのかもしれないが、「乗せてやっている」という態度が透けて見える一方、乗客に媚びたようなスタッフの態度を感じるのである。

現政権もどうも日航にかつてのナショナルフラッグキャリアとしてのイメージを強く持っているようだが、そんな時代はとっくに過ぎ去っている。果たして筋書き通りに事が運ぶのかどうか。政治的しがらみの多いお友達人事の桎梏の中で、稲森氏が本当に日航再建を果たせるのかどうか、JALを利用することなどほとんどない私としては半信半疑で見ていくことになりそうだ。

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2010年1月11日 (月曜日)

プリウスの抱える「もう一つの」矛盾

黒字転換へ期待も苦悩するトヨタ プリウス人気が抱える矛盾 (ウェブ魚拓)

LCA(ライフサイクルアセスメント)の観点から見ると、ハイブリッドカーは製造段階ではガソリン車よりも二酸化炭素の排出量が多く、走行過程でガソリンの使用を減らすので、ある程度頻繁に走行しないとかえって環境負荷(二酸化炭素排出量)が多いらしい。

ハイブリッドカーは本当にエコなのか? (宝島社新書 297)

二酸化炭素の排出増加が地球温暖化の原因だと信じている人の多くは、ハイブリッドカーというだけで「環境に優しい」と信じ込んでいる可能性があるので、サンデードライバーのようにあまり自動車を運転しない人たちが、ブームに乗って自分はいいことをしたい、とばかりにハイブリッドカーを購入して車庫に眠らせておくと、かえって環境負荷が高くなるという皮肉な事態が生ずる。そうなれば、エコカー減税や補助金で環境負荷を高めているという本末転倒の政策ないし税金の無駄遣いといえるだろう。所有者や製造者・販売者の自己満足にすぎなくなってしまう。

プリウスのあの形状は、燃費向上のために空気抵抗を少なくするように設計されているのだと思うが、後部座席の乗り心地はいかにも悪そうである。1人2人で乗車するにはよいかもしれないが、そうすると乗車効率が悪くなる。中途半端な自動車だということだろう。

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2010年1月10日 (日曜日)

天才は地元で輝けるか

サッカー:小野 清水と仮契約!背番「28」で再出発 (ウェブ魚拓)

天才ブレーヤーも30歳。サッカー選手としては晩年を迎えたと言ってよい。近頃はあまり話題に上らなくなっていた。海外の中堅チームであまり出番もないとなればそれもいたしかたない。

シルバーコレクターの川崎ほどではないが、清水はここのところ続けてタイトルにもう少しのところで逃がしているから、2010年シーズンは何とかタイトルをというチームの思いと、小野の意向が合致したということだろう。現状ではかなり実現困難だと思うが、現役プレーヤーである以上、小野自身は過去3回経験したW杯の代表入りの意欲もあるに違いない。

それにしても、移籍話が話題に上ってからかなり時間が経過して、ようやく正式契約だ。年俸が契約の障害と言われていたが、1億円ブラス出来高か。今の小野はそれほど価値のある選手なのか疑問だが、オレがフロントの責任者ではないから、まあそれはいいだろう(笑)。

怪我さえなければ間違いなく超一流のブレーヤーとして日本サッカー史に名前を刻んだことだろうが、いかんせん「ガラスの足」(カラスの足跡ぢゃないよ)である。たくさんいる一流プレーヤーの1人という域を恐らく出ないで終わることだろう。もっともそれでも彼がチームにフィットして清水がタイトルを獲得するようなことがあれば、その立役者として脚光を浴びることもあるだろう。地元で最後の一花割かせることができるか、今季のJリーグで注目のプレーヤーの1人であることは間違いない。

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変態新聞の醜態(単なる誤字だけどw)

首都高:中央環状新宿線の新宿-渋谷間、3月28日開通 /東京ウェブ魚拓

ニュース自体はよい知らせである。ようやくつながるか、といったところ。
これでまた都心部の渋滞が緩和される。

突っ込みどころは記事中の「所用時間」という間違い。
「所要時間」が正しい。

つか、普通に「しょようじかん」で変換キー叩いたら所要時間と出るはずだ。
チェック機能が働いてないのか、チェックする奴がバカなのか。いずれにしても、わざわざ間違えているところが変態新聞の面目躍如である。

ちなみに手元にある昨日の朝刊を確認したところ(昨日はこの記事を見てなかった(^_^;))、ネット配信だけでなく、紙面も同じ間違いをしている。

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2010年1月 9日 (土曜日)

年寄りの冷や水だが(笑)

今年の干支は、という質問にたいていの人は寅と答えるだろう。それは間違いではないが、正確性に欠ける。前にも干支を題材にエントリー作成したことがあるが、干支は文字通り本来十干十二支であるから、今年の干支は庚寅(かのえとら)というのが正しい。

ここ何年も、元日の初詣は実家の近くの神社に行くことにしている。この神社は坂上田村麻呂が立ち寄ったとも伝えられる古い神社で、幼稚園の時の同級生の兄が宮司をしていて、私の本名の名付け親でもある。

この神社に行くと、その年の干支がわかるので重宝でもあるのだ。

今や十干は甲乙丙など契約書くらいしかみかけないが、庚申塚や甲子園など地名や施設名にその痕跡を多く残している。陰陽五行の考え方は日本人の精神に大きく影響しているので、単に古くさいものとして捨て去るには抵抗がある。これが年寄りの冷や水という所以ね(笑)。

十干は10進法なので年号の1の位の数字と対応しており、干支で呼ばれる歴史上の事件は、年号の1の位を忘れても大丈夫なのだ。乙は5なので乙巳の変(所謂大化の改新)は645年、戊は8なので戊辰戦争は1868年など。

最近は関西の風習と思われる恵方巻を節分に食べる習慣が東日本にも広がっているという、コンビニ業界あたりが始めたと思われる「売れれば何でもいいや」主義による消費現象が見られるが、恵方は十干に基づいて決められるとのこと。ならば、十干も知らないでアホヅラこいて太巻き食べるだけの奴に幸福は訪れないと思うよ。私は小さい頃こんな習慣がなかったので受け入れていない。

甲子園は甲子(かっし)の年の1924年にできたので甲子園なのである。もしもその年の干支が子だけだったら、甲子園は単なる子園であって、これは「ネズミ園」だからディズニーランドということになってしまうではないか。

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2010年1月 8日 (金曜日)

犯罪じゃねえか?

<公設派遣村>201人戻らず 2万円受け取り後ウェブ魚拓

報道内容が事実であるとの前提に立って。
これで本当に姿をくらましたら窃盗だろうよ。まさに盗人に追い銭だ。こんなやつらがまともな職に就けるわけがない。

公設派遣村なんてくだらないものはもう止めた方がよい。年末年始のお祭りや風物詩ではない。普段からきちんと就労相談や生活相談に乗ればいいだけのことだ。そういうことができないで、年末年始だけこういうところにやってくるのは乞食も同然だ。

よく、今の状況では誰でもいきなり職や家を失う可能性がある、と派遣村のような対応を肯定する向きもあるが、仮にそうだとしても最低限のルールが守れない、金に汚い、要求だけはする、ではどのみちまともな人生など遅れないだろう。そういう一部のどうしようもない屑どもとそれ以外の一般人をごっちゃにすべきでない。

どうしてもやる、というなら現金を渡すのではなく、小売店や交通機関と提携して使用場所と期間を限定した金券をその都度渡す方式にすべきだ。

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2010年1月 7日 (木曜日)

杜撰だ

自民党参議院の塚田一郎氏のブログ。

修正される前に魚拓を取った。
鳩山政権の財政出動の限界

よく見ていただきたい。民主党のスローガンを「人からコンクリートへ」と間違っている(笑)。こんな単純ミスをやるなんて信じがたい。「手抜き工事」だよ。間違いは誰にでもあるが、これは正反対だものな。

案外自民党の本音かもしれないが。

こんな調子じゃ、夏の参議院選挙もダメだろう。

それから、この言葉が出たので一言。あるコンクリートを扱っている会社の社長がブログで抗議していたが、コンクリート業界全体の売上げがゼネコン一社に満たないのだそうな。コンクリートを無駄な公共事業の代名詞のように扱われるのは、真面目に商売している立場からは非常にやる気を失わせる、とのこと。

確かにコンクリートは構造物の表面に存在するから目立つのだろうが、よく考えれば鉄の使われ方も半端ではない。民主党はコンクリートを扱う人は人と思っていないのだろうな。

公共事業で本当に無駄なのは、中間搾取や政治献金という名のピンハネである(賄賂も含むか)。小沢一郎だって、それで懐を潤しているのではないのかな。

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諸君、注目したまえ、生誕200周年だ

今年はドイツ・ロマン派の作曲家、ローベルト・アレキサンダー・シューマンの生誕200周年である。
小生のハンドルネームは、シューマンが評論家として文筆活動を行った際に使用したペンネームの一つを拝借している。本当のフロレスタンは200年前にこの世に生を受け、そして46歳で精神を病んで死んでいった。

彼の作品を聞いていると、独特の和音進行や対位法の使い方などに、ある種の精神の不健全さを感じることが多い。聞いているとそれが快感なのである。ピアノ三重奏曲第一番、ピアノ五重奏曲、交響曲第二番と第四番、ビアノ協奏曲、三重奏曲おとぎ話など。恐らく現代音楽にも通ずるところがあるのだろう。音楽史としては、マーラーからシェーンベルクあたりにつながっていく。もっとも彼に直接師事した後継者はヨハンネス・ブラームスだが。

彼はツヴィッカウ(Zwickau)という小さな街で生まれ、エンデニヒ(Endenich)という無名の街の精神病院で生涯を閉じる。
3番目の交響曲(Drittes Symphonie)は「ライン」(Rhein)という愛称がついているが、彼は死の2年前そのラインに身を投じて自殺を図り救出されている。最盛期にはドレスデンなどの主要都市でも活躍した。

その波乱に満ちた生涯を追いかけるように、彼の過ごした土地を巡る旅をしてみたいと思っているが、今年は時間的にも経済的にも無理だ。私が死ぬまでに実現できるだろうか。没後160年にあたる2016年は一つの目標だな。

その前に今年は、一年を通じて彼の音楽を今一度じっくりと味わってみることにしよう。

なお、ピアノの詩人フレデリック・ショパンも今年生誕200周年だが、シューマンは彼を(もちろん日本語訳だが)「諸君、注目したまえ、天才だ」と評している。

(追記)
ビアノ曲「トロイメライ」や合唱曲「流浪の民」などが通俗的には有名ですが、あまり聞いたことがない、という方もこれを機会に何か鑑賞してみて下さい。ハイネの詩に彼が曲をつけた歌曲「詩人の恋」あたりがとっかかりにはよいでしょう。作品番号1のビアノ曲「アペッグ変奏曲」は、若き日の作品ですが、シューマンの個性を感じ取れる代表作といえるでしょう。abeggという名のとおり、A-B-E-G-Gという音の進行をテーマにしています。スケールの大きな本格的なビアノ曲なら組曲謝肉祭。オーケストラ作品では前述のピアノ協奏曲(イ短調の一曲のみ存在)が聴き応えがあります。

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「日中友好」なる虚像

「古代中国の虚像と実像」(講談社現代新書・落合 淳思著)という本を読んだ。

我々がよく知っている古代シナの逸話はたいていが史実ではなく後世に作られたものだ、というのが全編を通してのこの書のテーマである。著者は物語は物語として、科学としての歴史をこの書で語りたい、というスタンスである。例えば秦の始皇帝の「焚書坑儒」は、焚書は本当のようだが坑儒は疑わしいという。儒学者だけが弾圧されたのではないらしい。三国志演義がずっと後の明代になって創作されたフィクションであり、本当の三国志とかけ離れていることは周知の事実だが(この本の最後は三国志の時代から司馬氏が魏から皇位を簒奪した晋の初期である)、そこまでいかなくとも古代シナの史書に書かれている多くの逸話は作り話であり、また実在と思われているが実は架空である人物も多いようだ。

司馬遷の史記は本格的な歴史書の嚆矢だが、漢代はともかく秦代は短すぎて史料が整わなかったために、伝聞に基づいた記述が多く、そのためにフィクションが多数含まれているとのことだ。

典型的な作り話のパターンは、秘密の会議の内容や敗者の最期の言葉が語られているものであるという。そんなものは残るはずがない、というのが根拠である。言われてみれば当たり前のことだが、あまりにできすぎた物語は、その面白さ故真実に思われてしまう。物語として楽しむのであればそれでいいのだが、問題は専門家である歴史学者までが簡単に騙されてしまう点だともいう。

それだけ古代シナ人は人を欺くのが巧みだったと言うことだろう。そしてそれは現代にもつながっているようにも思える。

この本を読んでいてつくづく感じたのは、白髪三千丈というシナの誇大妄想と、前王朝を徹底的に指弾する後継王朝による正史の凄まじさである。2000人生き埋めなどというのがあるが、これは南京大虐殺30万人に通ずるところがある。2000年後の歴史家が精緻に史料を分析すれば、南京大虐殺が虚構であるかシナ人による自作自演であることが明らかにされるだろう。現在これを主張すると日本で右翼認定される(笑)。

歴代王朝の初期の皇帝は概ね名君で、末期は概ね暗君・愚帝である。これはシナ正史の制作方式による宿命であることは言うまでもない。前王朝の末期を悪く言わねば、それを滅ぼした自らの正統性を否定することになるし、その裏返しで初期を褒めなければ、これまた自らが初期王朝であるためにその首を絞めることになる。

問題は現王朝の中華人民共和国である。今の胡皇帝は何代目だっけ。
通史では前王朝は中華民国ということになっているが、アングラの共産党も含めて実態は新三国志と言ってもよいだろう。国共合作なんてのは呉と蜀が連合して魏と対峙したように、現代の赤壁の戦いかもしれない。その一つの汪兆銘政権は日本の傀儡とされている。つまり日本は中華人民共和国から見れば断罪すべき前王朝の一部に見えるのだと思う。「日本鬼子」は事実上江沢民らによる中華人民共和国王朝によるシナ伝統の正史に位置づけられていると見て間違いないだろう。

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2010年1月 6日 (水曜日)

個人的藤末参議院議員考

藤末健三参議院議員(民主党)のブログ記事について、ネット上では様々な批判が飛び交っている。
公開会社法という法案である。

元記事はこれ。公開会社法 本格議論進む

「公開会社法」が日本を滅ぼす(池田信夫ブログ)
民主党は労働分配率を大きく引き上げてくれるでしょう(Joe's Labo)
藤井財務相の辞意表明と民主党内改革派の本性露呈で“勝手に”絶望(フリーライター宮島理のプチ論壇)
など。

現実を直視する、自分の頭で考える、マスメディアの情緒的な言説に惑わされない、といったことのできる知的な頭脳を持った人なら、鳩山総理の言うハネムーン100日の間に、日本を社会民主主義ないし国家社会主義にもっていこうとする時代錯誤でセンスのない政策に気がつき、政権交代は失敗だったことを改めて認識していることだろう。

実は、このブログで以前取り上げた仙台育英高校のマラソン大会にRVが突っ込んで新入生が犠牲になった事件の関連で、RVのカンガルーバンパーを規制できないか、との主張に藤末議員が反応してくれて、知り合いの地元の民主党支部長(現衆議院議員の渡辺浩一郎氏)を通じて直接面会して話す機会があった。

その時にはなかなか反応のよい人だな、と思ったのだが、一つだけ気になったことがあった。それは「自分は護憲派」だという発言である。その点では社民党と同類である。今から考えれば、彼は「弱者救済」に熱心なのだろうと思う。カンガルーバンパーにしても、犠牲になるのは交通弱者だからだ。

そして今回。労働者という一見すると社会的弱者に見える人たちを救済しようという考えなのかもしれない。しかし、その手段が上場企業の規制というのはどう考えても方向性が間違っている。これだけ企業が業績不振に苦しんでいるのにどうして更に規制しようという発想が出てくるのか理解に苦しむ、と言いたいところだか東大助教授から参議院議員という基本的に税金で食ってきた経歴からすると、民間人とは所詮発想の次元が異なるのだろう。

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2010年1月 5日 (火曜日)

ハネムーン期間は終わったぜ

個人的にはそんな100日間はもともと認めてないけれどね。

自民党の族議員というのは、大臣でも内閣の一員でもないのに、政策決定に口を挟み、いや、最終的な政策決定を事実上支配していた、という「二元政治」であり、これが利権の温床だった。その舞台は政務調査会。

これを解消しようとしたのが民主党連立政権の「政治主導」ということになっていて、民主党は政権奪取に伴って政務調査会を廃止し、陳情も幹事長に一本化した。

それで本当に内閣に統治力や政策決定力があればよかったのだろうが、人格的に問題があり金銭感覚もいかがわしくリーダーシップの欠如した人物が総理大臣になり、各人がバラバラなことを思いつきで言う(そのくせ全体としては整合性と財源の欠如したマニフェストには異様に拘泥する)大臣はじめ政務三役。

結果が小沢独裁である。

予算案決定のプロセスを見れば、二元政治が何も変わっていないのは明らかだ。1人の意見があたかも「全国民」の声であるかのように堂々と罷り通るくらいなら、まだ族議員が跋扈している方がましだ(決してこれを肯定するものではない。単なる相対的な比較)。今夏の参議院選挙の候補者選びも、選挙至上主義で有名人を集めており、これもかつての自民党のやり方と大差がないように見える。旧社会党系など切るべきなのに逆に輿石東なんてのを側近にして重用する始末。これは自社馴れ合いの国対政治が内部化されたものだ。

恐らく政治屋としての小沢には選挙対策や裏取引などの政治手法の面で1980年代くらいまでの古き自民党の「DNA」がしっかりと伝わっているのだろうが、そうして手に入れた権力が国家社会主義的な勢力と結びついて危険な臭いを漂わせている。

池田信夫ブログの先月の記事「ヒトラーの経済政策」を見るとわかるのだが、爆笑せざるを得ないくらい民主党の政策とナツィスの政策は酷似しているのだ。

小沢ガールズなんてのは、年齢以外は北朝鮮の喜び組のようなものだろう。

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お釜掘った列車

いささか品のないタイトルで恐縮ですが(^_^;)。

Helsingin rautatieasema(ヘルシンキ中央駅)で、乗客のいない4両編成の列車が駅ビルに突っ込み大破。乗務員が負傷し、駅ビルは倒壊の恐れがあるとして一時避難が実施されたとのニュースである。

この間は銃の乱射もあったし、フィンランドも以前よりも物騒になっているのだろうか。
25年前に新婚旅行で訪れた時は、駅前で若い女性が1人で昼寝していても安心な状況だったのに。
(もっとも、当時からアル中おっさんはそれなりに存在したし、実はそれほど変わっていないのかもしれないのだが)

このニュースに接して、似たような事故が高知県であったよな、と咄嗟に思ったのだが、正確なところを忘れていたので検索したら、2005年の3月の土佐くろしお鉄道の終着(始発)駅の宿毛だった。

頭端型のホームは、車止めがあって行き止まりになっているので、暴走すると必然的に駅舎に突っ込むことになる。日本では上野駅の地平ホームなどこの形式は少ない(ホームの一部を切り欠いてローカル線の始発などに利用している例はそこそこある)が、海外の主要都市のターミナル駅は、文字通りterminal(終着)なので、暴走すると危険だ。まさか、今回のヘルシンキの事故も運転士がアル中だったのではないだろうな。ATCあるいはATSは設置されていなかったのだろうか。

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2010年1月 1日 (金曜日)

あけましておめでとうございます

今実家から戻ってきました。といっても高速使えば車で1時間ちょっと。
北方の山並みの上空は、日本海側の大雪がわかるような雲模様でした。あと星がきれい。1月生まれのせいか、冬の大三角形はいつ見ても心が洗われるような気持ちになります。

本年もよろしくお願いします。

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