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2009年12月15日 (火曜日)

オザーリン(小沢一郎)も日本国憲法をわかっていないのではないか

ああ、もちろん私も法学部出身でもないし、憲法学者でもないので、精通しているわけではない(^_^;)。
大学の教養の時に法学の授業取って、その中でちょっと学習したことはあるけれど…
常識的な目、つまり素人の目で憲法の条文を見てみたい。

それにしても、である。シナの副主席と天皇陛下との会談について、宮内庁の羽毛田長官の発言に対して、意見は二つに割れている。高度に政治的でしかも解釈が微妙な問題だから当然だ。あくまで一般論として言えば、(官僚が内閣の方針に政治レベルで異を唱えるな、という趣旨の)小沢一郎=独裁者オザーリンの言っていることが正論であると私は思う。

しかし、あくまで一般論としてであるから、今回のような個別ケースでは必ずしも賛同しかねる。

一官僚が出過ぎている、辞職せよ、と恫喝しているが、オザーリンは民主党という一政党の最高幹部ではあっても内閣の一員ではないから長官の首が切れない(鳩やその側近の能なし官房長官あたりを操ることはできるだろうが)。閣僚が批判し、与党幹部としてそれに賛同するというのならともかく、おまえは一体何様なのだ、と。

オザーリンの言うように、天皇の国事行為は内閣の助言と承認によるとなっているが(憲法第3条)、同第7条に規定される国事行為には、第9項に「外国の大使及び公使を接受すること」とあるのみで、「外国の元首またはこれに準ずる立場のものを接受すること」というのはない。最終第10項に「儀式を行ふこと」というのがあるが、いくらなんでもこれに当てはめたら拡大解釈が過ぎるだろう。何でも国事行為になってしまう。

なお、この第9項の原文(英文)は "Receiving foreign ambassadors and ministers. "となっている。
ministerには閣僚・大臣という意味と公使という意味がある。前者であると強弁して、シナの副主席もこれに該当するのだ、と解釈することもできるだろうが、ambassadors and ministersという配列を考えれば、訳文(日本語表記の日本国憲法)のとおり公使と解釈するのが順当だ。

つまり恫喝の台詞の根拠に疑義があると考えられるのだ。

それから、これは法律論から離れるが、羽毛田長官は官僚であると同時に、宮内庁という特殊な官庁に所属することから天皇家を守る、という意識が強いと思われる。女系天皇容認云々の問題はとりあえず横に置く。天皇や皇室を認めない社民党や共産党のような主張でない限り、日本人としてこういう情の部分を許容してもよいのではないか、と個人的には思う。あれ、鳩山政権の友愛ってのはそういうのも含まれるんじゃないのかな、違うのか?

憲法第20条では「信教の自由」が保証されている。オザーリンの過日の一神教批判はこれに抵触しないのか?ついでに一つ前の19条の「思想や良心の自由」に関しても、だ。もちろん直接的に弾圧しているわけではないが。

この条文は原文では "Freedom of religion is guaranteed to all. No religious organization shall receive any privileges from the State, nor exercise any political authority."とある。オザーリンの発言が日本仏教界の会長との会談でのことであることを考えると、やはり疑問である。

議員立法の禁止は、第41条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」に違反しないのだろうか。前から疑問でしょうがない。政治的には「高度な解釈」が存在するかもしれないが。

そして問題の第93条2項(外国人の地方参政権の問題絡み)。
「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」

「住民」という言葉の解釈の問題のようだが、前文からもわかるようにこの憲法は日本国民を対象としており、その条文なのであるから、住民というのはそれぞれの地方自治体に居住する日本国民(つまり日本国籍を有する者)と考えるのが自然だ。法学者がいくら理屈をこねくり回したところで、そんなものはためにする議論にすぎない。

この箇所の英文は "shall be elected by direct popular vote"という表現になっている。
direct popular voteは表面的に訳せば住民による直接選挙ということになろうが、popularという単語がラテン語のpopulusを語源としている以上、憲法のような文章であれば日本語に訳す時に、法律の専門教育を受けた人たちがどういうニュアンスを感じるかを考慮すべきである。そして諸外国に外国人に参政権を与えている例がほとんどない、ということはpopular voteというのは当該国の国籍を持つ人間の固有の権利であると考えるのが妥当なのだと思う。

それから、この条文の解釈以前の問題としては、民主党のマニフェストにはこれがなかったことだ。
八ツ場ダム問題ではマニフェストに書いてあるから中止だ、と一方的に原理主義的立場を取っている現政権だが、マニフェストになければ、やってもやらなくてもいい、ということではあるまい。それなら都合の悪いことは書かずに選挙を経れば政権党のやりたい放題になってしまう。

民主党はこの問題で党を批判した土屋都議を一方的に除名した。言論の自由も守らないのである。土屋都議は私の地元でもあり、私は一貫して支持して投票してきた。この点からも民主党の現政権の体質は容認できないのである。

いつものように長々と書いてしまったが(笑)、要するに「おまえに言われたくない」なのだ、ブーメラン政党の幹事長さん。

(追記)
憲法秩序に反しているのは宮内庁 ― 天皇の親善外交について憲法学から考えるというブログ記事では、法律論からはオザーリンが正しいと主張している。

1つは天皇が中国の副主席と会うことなどの親善外交は、憲法7条10号の「儀式を行うこと」に該当し(高橋p44)、これは天皇の国事行為であるところ、憲法3条は「天皇の国事行為に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」と定めているからという理由です。

もう1つは、天皇の親善外交は、象徴としての地位に基づく公的行為であり、公的行為についても、国事行為に準じて内閣の助言と承認というコントロールが及んでいる以上許容されるという考え方です(学説の多数説)。

ということだ。それ以上は元記事を参照されたい。

この人は「昔アメリカで政治学を専攻しました。現在は法務が専門です」とあるので法律の専門家のようだが、二点だけ私論を述べる。まず、学説の多数説が正しいとは限らない、ということである。これは別のテーマだが、最近ある大学法学部教授から聞いたことである。

それから仮に多数派学説を根拠にしたとしても、これは筆者も述べているように好き嫌いを超越した法律論であるが、日本国の天皇という存在は、純粋に法律論だけで語ってはいけないのだよ。アメリカで政治学を勉強したのではそういうところはわかるまい。内閣の助言と承認というコントロールが及んでいればいい、というが、その内閣が多くの国民感情を逆なでしていてもいいということにはなるまい。法律はそれ自体が自己目的ではないのだ。

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