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2009年4月 6日 (月曜日)

新聞の役割

いささか冷たく感じられるようなことを書いてみる。
日頃から感じている疑問が集約されているような記事を産経で見つけた。たまたま産経なだけで、他の新聞も同様である。

「赤ひげ先生なぜ…」 評判の獣医家族 大阪火災4人死亡ウェブ魚拓
「赤ひげ先生なぜ…」 評判の獣医家族 大阪火災4人死亡(続き)ウェブ魚拓

はっきり言って、近所や知り合い以外にとってはこの獣医がどういう人物だったかはどうでもいいことである。これが冷たく感じられる、と最初にお断りした点である。

この記事のとおりなら、この獣医は立派な人物であり(純粋で真面目すぎて少々扱いにくい人物のような気もするが)、そういう人を不慮の事故で失うのは社会的にも痛手であることも間違いない。年齢的にも自分に近いし、この人の子供も自分の子供と同世代である。今死ぬべき存在でないことは明らかで、お悔やみ申し上げる。

しかし、我々が新聞に求めているのはこういう情緒的な記事なのか?
火災が起きたこと、そしてその結果はどうだったかがまず重要であり、その次に火災の原因が明らかになったらそれを報道することだ。この後者がどうもないがしろにされているような気がしてならないのである。忘れた頃に通り一遍の報道がなされることはあるが…

近所の64歳の男性が

「まさか自分が住む家の近所でこんな大惨事が起こるなんて」と驚いた。
とある箇所など、この手のコメントは常に掲載され辟易とする。ニュースとして全く意味がないからだ。大惨事はどこででも起きる可能性があり、起きてから驚くのでは危機管理ができていない。下手をすれば延焼・類焼で自分も命を落としかねないのだ。ああ、そういう「平和ボケはだめですよ」という警鐘としてなら皮肉としては意味があるかもしれないな。

取材して得たコメントを題材に記者自身の簡潔な文章でこの獣医の人柄を彷彿とさせるのであれば、それは歓迎であるし、紙の媒体にお金を払う価値もあるだろう。コメントの引用は一つでよい。その代わりその一つで全てを語れるような雄弁なコメントが望ましく、それを入手するのも取材力だろう。それができないならコメントなど不要だ。近所や知り合いの人のコメントをそのまま多数引用して冗長な文章を書くなら、さしたる努力はいらない。そんな記事ばかりなら、金を払ってまで新聞を購読しよう思う人は減って当然だ。

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