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2009年3月29日 (日曜日)

いつになったらゴールに愛されるのか

「日本らしさが出ています。でもフィニッシュに課題が」(昨日のNHK BSのサッカーW杯アジア最終予選日本・バフライン戦の中継での解説・山本昌邦)

毎度毎度同じような台詞だ。きっと死ぬまで聞かされるのだろうな、この言葉(笑)。
選手達もわかっていて、昨日はちょっとゴールに向かう姿勢がこれまでとは異なっているように見えた。でも、ダメなのである。決定力不足という名の個人のスキルだけではなく、ゴール前のおいしい所ににいつの間にか顔を出すような「もう1人」がいないのだ。何日か前にイングランド・プレミアリーグの中継を見た後だったので、彼我の差を改めて感じた。

そして思ったのはWBCの日本代表(侍ジャパンってやつね、あまり好きな愛称ではない。やつらは刀の代わりにバットを持っていたと言うことなのかな。サッカーの日本代表のユニフォームの色もサムライブルーなんて勝手につけられていたが、莫迦の一つ覚えのように侍、侍というのは耳障りだ)。

画面に映し出される選手の目から、俺たちは勝ちたいんだ、勝つんだ、日本野球は世界一になるのだ、という意識の高さが伝わってくるようだった。昨日のサッカー日本代表の選手達も恐らくWBCに刺激を受けたに違いないことは、その動きから明らかだ。

これは歴史なのだろうな。プロスポーツとしての歴史の違いが出ているような気がしてならない。世界のサッカーにおける日本代表の位置づけは、ちょうど今回のWBCのオランダやイタリアのようなものだ。野球とサッカーで逆転していると考えればわかりやすい。

1980年代、メジャーリーグの野球をテレビ中継で見た時には衝撃的だった。まるで別のスポーツだと思った。スピードや球際が違う。外野手のダイビングキャッチなど魔法を見ているようだったし、日本の野球の間隔で単打だと思っていたのが二塁打になる。常に極限まで自らを追い込んでベストのプレーをしようとする。そのためには肉体の裏付けは必要だが、単にパワーの差だけでは語れない。実践しようという意識がなければ肉体は宝の持ち腐れだ。そこにあるのは歴史が積み重ねられてきた成熟のようなものだ。

人工芝の球場が多い、喫煙する選手が多いなどという問題は依然としてあるものの、その後の日本のプロ野球は球場も広くなり、アメリカ野球の情報も豊富に入ってくるようになり、人の交流も進み、かつてメジャーリーガーが見せていたようなスーパープレーを日本選手もするようになった。強肩イチローの「スーパービーム」はその典型だろう。

翻って、日本サッカーはまだ世界のサッカーのゴールに愛されていないのだ。愛されるまでにはもっとプロサッカーの歴史の積み重ねが必要なのだろうと思う。そのためには日本代表ももっと欧州や南米あたりでアウェーの試合を経験しないといけない。地理的ハンディは大きいけれどね。

今回のアジア予選のA組はオーストラリアとウズベキスタンがいる。それぞれもう1試合ずつ残しているが、これは「イングランドもどき」と「ロシアもどき」がいるようなものだ(笑)。昨日のバフラインにはナイジェリア出身者もいた。B組と比較すればアジア的な要素が相対的に少なく、よい経験が積めると考えるべきだ。

そして、恐らく昨日の勝利によって、6月の連戦で大チョンボをしなければ本戦出場は可能だろうから、その先の本戦までの期間に強豪国とアウェーで強化試合を重ねて欲しいものだ。そういう日程が組めないのであれば、日本サッカー協会は金を持っているだけの能なし集団に過ぎないし、南アフリカでもグループリーグを突破するのは困難だろう。

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