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2008年10月28日 (火曜日)

闘将逝く、か

元広島監督、ルーツ氏死去ウェブ魚拓はこちら

もはや遠い過去のことなのだろうな。
広島カープが初優勝したのは1975年。引退した長嶋茂雄が監督に就任した読売ジャイアンツは最下位だった。私は高校3年生。

記事にもあるようにルーツが公式戦で采配をふるったのはごく僅か。審判への抗議シーンはテレビのスポーツニュースか何かで見て覚えておるよ。まさかあの時はすぐに辞めるとは思わなかった。しかし日本発の外国人監督が電撃退団し、後を継いだ古葉竹識の下で快進撃が始まった。それを象徴するのが有名なこの年のオールスター戦での山本浩二・衣笠祥雄の2打席連続アベックホームランである。

それまで最下位が指定席のような球団だった広島カープについて、完全試合を達成した外木場義郎や渋い打撃の山本一義といった選手は知っていたが(古葉の現役時代の「1番、セカンド、古葉」という場内アナウンスは記憶にある。彼は背番号も1だった。古葉の監督就任時の年齢は39歳である)、それ以外に私はほとんどこれといった印象を持っていなかった。

しかし、このアベックホームランは強烈な印象を残し、私は初優勝を目指すカープに声援を送ったものだった。とにもかくにも固定されたオーダーが強さの源泉だったろう。1番大下、2番三村、3番ホプキンス、4番山本浩二、5番衣笠、6番シェーン(衣笠とシェーンは時々入れ替わったが)、7番水谷、8番水沼。投手は外木場、池谷、佐伯と三本柱が揃い、中継ぎの三輪、渡辺、若生、そして宮本という抑え役も明確だった。野手の控えには苑田、木下、深沢、道原、佐野(シーズン途中に南海から移籍)らがいた。山本一義はこの年が現役最後。

昔話が長くなった。
ジョー・ルーツは間違いなく日本の野球に大きな影響を与えた1人だろう。
折しも日本人選手が所属するメジャー球団どうしでワールドシリーズが行われている。そのことを病床のルーツが認識していたかどうか知る由もないが、日本人選手がメジャーで活躍するようになって久しいので、自分が広島の監督をした頃と隔世の感であると感じたのではないだろうか。

日本の野球を面白くしてくれたルーツに感謝して、天国での幸福な生活を祈る。

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