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2006年8月14日 (月曜日)

日常と非日常の境界

ハレとケという言葉がある。包含する概念は単純な2区分でもないようなのだが、手っ取り早く言えば前者が非日常で後者が日常である。祭りなどはハレの例である。

夏休みも現代社会におけるハレの1つと言っていい。道路の渋滞や人であふれる電車などお父さんにとっては「どこが非日常なのだ」(笑)という場面もないではないが、普段仕事に忙殺されている大人が開放感を1番味わっているのかもしれない。

その夏休みもまさにピーク(らしい。私ゃあまり実感ないけどねw)。毎年のことだが、事故のニュースがこれでもか、これでもかと飛び込んでくる。ニュースのない世界はないものかね?それもハレの世界か。

よさこい祭り出場の北大生が川で行方不明に…高知
家族とはぐれた?2歳幼児、予讃線特急にはねられ死亡
ホールで転落、小1重体=伯父も重傷−扉施錠せず座席収納・大分

他にも水の事故や交通事故のニュースがころがってしまっている。
現代社会は様々な施設や道具が発達していて、日常と非日常の境界線が曖昧になってしまっているような気がする。いや、なくなってしまっている、と言ってもいいかもしれない。かつては祭りが男女の出会いの場、筆おろしの場でもあったわけだが、今では年がら年中セックスやりたい放題のやつらも少なくない。

両者の間に境界線が明確にあれば、非日常の世界に遊ぶ時には、本来身構えたものである。非日常が何となく日常の延長線上にあると、そういう意識が希薄になる。「ちょっとした気の緩み」「ついつい羽を伸ばして」という言葉だけで済ませる訳にはいくまい。ハレの世界には、ケの世界では通用しない掟がある。それを破った時に人生は暗転することもある訳だが、両者の境界線が曖昧だと、それすら意識されなくなっているのだろう。

北大生。君は普段札幌では川で泳いでいたのかな。
今治の幼児。これはもう何とも言いようがない。親はたまらないが、本人に物心がついてないのがせめてもの慰め。でもやはり小さな子から目を離したらいかん。二歳の男児と言えば一番手がつけられない。
大分の2人。これは施設にも大いに問題(運営の問題以前にホールの設計にも)があると思うが、何故そんなところに入って行ってしまったのか。

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