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2006年8月13日 (日曜日)

高校野球を感傷的に特別視する甘やかし記者

夏の高校野球が真っ盛りである。最近は、スポーツ生理学、医学、心理学などが発達したせいか、あるいは合理的な考え方が広まってきたからか、いろいろな理由はあるだろうが、以前と比較すると指導者にも選手にも精神論、根性論がなくなってきたようで、それは歓迎すべきことである。まだまだ「古典的」な指導者もいるようだが、淘汰されていくことだろう。

問題はテレビやラジオの中継、そして新聞の報道である。こちらはまだまだ精神主義が根強いように感じられる。メディア内部の人間はその方が視聴率がとれると思っているのかもしれない(押しつけの感傷は鬱陶しいだけなのだが)。解説で登場する人達も、精神論が幅をきかせていた時代の「アマチュア選手」が多いようで、プロの解説者ではないので、経験に寄りかかってしまうのはいたしかたのないところだろう。

でも、意地と意地のぶつかり合いです、とか、ここは気持ちで投げて欲しいものです、とか肘が痛いのは関係ないでしょう、といった言葉を聞くとやはりうんざりする。あとで談話を聞くと選手の方がよほど冷静にプレーしていて、決して意地や気持ちだけではないことがわかる。肘が痛いのに投げさせるのは論外である。

さて、実際の中継は見ていなかったのだが、昨日の香川西と日本文理の試合の最終回、2-1とリードされた日本文理が九回二死一塁で代打(中野選手)を出し、悪送球で走者三塁、カウントワンボール、ツーストライクになった場面で、代打の代打(笹島選手=凡退して試合終了)を出したことを、毎日新聞の今朝13日付のスポーツ欄ではわざわざ「波」というコラムで滝口隆司記者の署名記事で取り上げて、日本文理の大井監督を批判していた。

以下、コラムの後半部分を引用する。

 試合後「中野君の気持ちは考えたか」と日本文理の大井監督に聞いてみた。答えは「中野はタイミングが合っていなかった。カーブでも投げられたらクルっと回るでしょう。だから代えたんです」。中野はベンチで頭を抱え、声を上げて泣いていた。「絶対打たせてもらえる、という気持ちでした。僕が打てないばかりに……」。3年生。最後の夏に負った「心の傷」の深さに思いを巡らせずにはいられない。
 プロ野球なら「非常さい配」とでも書けば済む。しかし、これは高校野球だ。ただ勝てばいい、のではない。選手は監督の手駒ではないのだ。

お優しいことで(笑)。またお得意の、最近流行の「心の傷」ですか。

中野選手には酷な言い方だが、監督はタイミングが合っていないのを見て代打に出す選手を間違えた、と後悔したに違いない。相手のミスで走者一塁から三塁というチャンスになって、欲が出てもおかしくはない。いや、相手のミスに乗じるのは勝負なら常套手段である。状況に応じて最善を尽くす、という監督の判断を擁護する立場があってもいいだろう。

そもそも、高校野球はただ勝てばいいのではない、つまり教育の一環だということを言いたいのだろうが、であれば使えない奴は交替させられる、という厳しい現実を突きつけるのも教育である。追いつくために最善を尽くすぞ、というメッセージを他の選手達に送ることも教育である。もちろん、そのまま打たせて凡退したとして、中野選手が自分の力不足を認識してその後努力を重ねる、ということも考えられる。どちらか一方の選択だけが正しい、ということはあり得ない。であれば、やはりここは日常的に指導してきた監督の判断を尊重してもいいのではないかと思う。

少なくとも、今後も大井監督と中野選手は人間として向き合うことになるが、滝口記者は所詮は第三者である。

ルールにも違反しておらず、戦術として認められていることを自らが責任を負う前提で実行して、それを新聞記者から精神論にすり替えられたのでは、監督などやっていられない。そんなに中野選手が気の毒ならば、滝口記者は甲子園大会の内規として代打の代打は認めないことを定めるように高野連に働きかけたらどうなのだ?恐らくは一笑に付されることだろう。

番外
「大井監督に聞いてみた」の「聞いてみた」は本来「訊いてみた」が正しい表記であると思うが、表外字ということで新聞は使わないのだろう。でも、これ、違和感あるよな。「さい配」「ら致」「破たん」といった醜悪な仮名まじり表記も同根だが、常用漢字表と新聞社が漢字文化を破壊している。

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コメント

使えない新聞記者をキャップに据えるのが当たり前な会社では、そういうのが常識なのかもしれませんね(^^;。

投稿: JosephYoiko | 2006年8月13日 (日曜日) 15時48分

新聞記者の心ない記事や行為によって「心の傷」を負った人も少なくないと思うのですがねえ。そういうのに対する反省はないのが、マスゴミクオリティ。

投稿: フロレスタン | 2006年8月13日 (日曜日) 19時02分

こんばんは
記者やアナウンサーの方が頭が固いですね。
ストレートで攻めれば「強気のピッチング」
変化球で攻めれば「かわすピッチング」
いい加減、こういう馬鹿げた表現はやめてもらいたいですよ。

投稿: うだじむ | 2006年8月13日 (日曜日) 22時34分

>>うだじむさん

うんうん。確かにおっしゃるような型にはまった実況もありますね。ある程度知識があれば、実況や解説は五月蠅いだけです。

ところで、桐生一の二戦目はどうなるでしょうかね。現住所では帝京が地元なわけですが(笑)。

投稿: フロレスタン | 2006年8月14日 (月曜日) 02時45分

 間違ってますよ。手駒ですよ!。滝口記者が言い切れるのは何故ですか?
 心の傷とまでここで書く必要があるのか~~です。

https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_isono108/details.php

投稿: shinkai | 2007年12月29日 (土曜日) 21時52分

>>shinkaiさん

いささか古いエントリーへのコメント、ありがとうございます。

実社会に出ればこんなこと(代打の代打を出されるようなその時は辛い目に遭うこと)はいくらでもあるわけで、そういうのをきちんと教えてあげることこそ教育的だと思いますね。

高校野球は教育の一環だ、という新聞社の言い分が偽善であることがこういうところに現れています。

投稿: フロレスタン | 2007年12月31日 (月曜日) 02時39分

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