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2006年6月 7日 (水曜日)

繰り言ばかりで焦点がぼけた社説

毎日新聞6日付の社説は莫迦丸出しである。

秋田小1殺害事件 総力を挙げて子供を守ろう

通学路で幼児が襲われる事件が相次いだため、通り魔的な犯行を念頭に登下校時の安全をいかに守るかをめぐって進められていた論議も、肩透かしを食った感がある。「見知らぬ人に声を掛けられてもついて行くな」といった子供への注意も、親しい人に裏切られては役に立たない。今年2月、滋賀県長浜市で幼稚園児2人が別の園児の母親に殺された時も暗たんたる思いがしたが、安全を守るべき人が加害側に回るケースが続くと、いったい誰を信用すればよいのか分からなくなってしまう。

確かに通学路での犯行は複数あった。栃木の事件など犯人が検挙されないまま、過去の話になりつつあるようだ。しかし、マンションから突き落とされた事件もあったし、ことさら通学路だけを取り上げるのは過剰反応だし、焦点ボケだろう。

また、「暗澹たる思い」であるとか「誰を信用すればよいのか分からなく」など情緒的に過ぎる。

そして、莫迦さ加減が極まっているのが、「安全を守るべき人が加害側に回るケースが続く」などと書いているところである。加害者は最初から加害者だ。

要するに、顔見知りは「安全」「子供を守る側」、見知らぬ人は「危険」「子供に危害を与える側」という根拠のない二分法によって思考停止状態に陥っている訳だ。

顔見知りだろうが、そうでなかろうが、最初から危険な奴は危険な訳で、それをどう見分けるかがポイントではないのか。そしてそのためには、やはり子供に対して善悪をきちんと躾なければならない。それができる親が少なくなっているのが頭の痛いところだが。

人のものを盗ってはいけない、と教えるのは躾の基本の1つだ。そのことによって例えば万引きが犯罪であると子供は認識する。外のゴミは持ち帰って自分の家で処理すると躾る。ポイ捨てをしないためである。そして泥棒やポイ捨てをする人は「いけない人」であると子供は認識する。そういう外部との接触を経験しながら、成長とともに、洞察力・観察力が増せば、子供はもう少し本能的、直感的に自らに危険を及ぼしそうな人をかぎ分けられるようになるのではないかと思う。

個人的な経験で恐縮だが、幼稚園の頃、隣町の知り合いの家の上棟式に親に連れられていったことがある。餅や菓子などを上から投げるやつね(地方によってやり方の差はあるのだろうが)。私はとてもチビだった(小学校入学の時の健康診断での身長が100.1cmだったので、幼稚園の頃は当然1m未満^_^;)のだが、親が拾った餅を、ちょっとの間預かって服の裾でくるんでお腹の前で抱えていた。運悪く親がちょっと離れた時に、支えきれなくなって、餅が全部周囲に散らばってしまった。その後が修羅場である。周囲にいたオバタリアンどもは、形相を変えて、私の周囲に落ちた餅を我先に拾って自分のものにしてしまった。まさに鬼婆である(笑)。

その時私は、年端もいかない幼児を押しのけても、その子が落とした餅を拾って返してやらないで、盗んでいくような大人が自分の身近にいることを身を以て知った訳である。

親が子を愛したり、身をていして守って当たり前と考えていたら、大間違いだ。赤ちゃんを車に寝かせてパチンコに興じる夫婦もいる。続発する幼児虐待事件の加害者の多くは親たちだ。経済的理由などから子殺しを繰り返してきた暗い歴史も忘れてはならない。

この文章には本当に唖然とした。パチンコにうつつを抜かして子供をほったらかすような親は論外だが、それと歴史的に間引きがされてきたことを「暗い歴史」と同列に扱うのは、どうみても暗黒史観、進歩的史観による偏見だろう。さすが左翼である(笑)。殺したくなくても殺さざるを得なかった過去を、現代の視点で断罪してはならない。こんなことを書く新聞を信用しろ、という方が無理な相談ではないのかな。

子供を親の従属物と考えるような風潮も依然として残るし、自分の子を殺した親への判決の量刑が一般の殺人事件より軽いのも奇妙な話だ。子供の人権が未確立で、命が粗末にされている証拠だ。こうした状況は、安易に幼い命が奪われることと無縁でない。改めて命の大切さを皆でかみしめるところから始める必要を痛感する。

どさくさに紛れて子供の人権なんか持ち出すなよ。食わせてやっているうちは子供は親の従属物だぜ。
もっとも私は、そう思っているから大切にするけどね。変に子供の人権尊重して一人前に扱ったりする親に限って、躾の基本が出来ていないのではなかろうか。

そもそも子供の命をどうやって守るか、というテーマが、親による子殺しにすり替わってしまっている。試験問題の解答なら落第点だ。

そして、最後の部分は、結局解決策は見いだせなくて、地域社会の連帯だの警察による重点パトロールの強化なんてことを書いているが、まるで他人事みたいである。そもそも警察官の中にも犯罪者予備軍がいるんだぜ。これも警察官は信用できる、という思考停止によるものだろう。その癖、実際に警察官が事件を起こすと、鬼の首でも取ったように騒ぐのもマスゴミの特徴である。

母子家庭への物心両面の支援なんて書いているのは、今回の事件の犯人が母子家庭の莫迦母だからだろう。いやあ、上辺だけの優しさは相変わらずだねえ(笑)。それ、税金から支出されるのよ。そもそも母子家庭でも、人に頼らず立派に生きている家族はいる。たった1つの事件で母子家庭への支援が足りないから、こういう事件が起きたかのような書き方をするのは、高所から他人事みたいに世の中を見ているからなんだろうな。

ついでに、同じ毎日のコラム「余録」では鬼子母神まで持ち出しちゃっているけど、はっきり言って、こんな説話が通じる訳がない莫迦母は、昼間電車に乗れば掃いて捨てるほどいるぞ。

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コメント

この記事を書いた記者ってアホですかねえ。
結局自分の子は親自身が守ってやらないといけないし、
そのためには、24時間はりついてやれない以上、
子どもに危険回避、善悪を身をもって教えてやるのが親の責任だと思います。
警察だ、地域だと他人様を頼って安全確保しようとするのが
そもそもの間違いだと私は思います。
ついでにいうと、防犯ブザーや監視カメラで安心するのも
ナンセンス。
さらに、
「親が子を愛したり、身をていして守って当たり前と考えていたら、大間違いだ。」
の一文には大反対ですね。
当たり前なんです。
そうできないのは親ではない。一部に確かに存在しますが、鬼畜です。
そしてもう一つ、
「母子家庭への物心両面の支援」?
冗談じゃないですよ。
母子家庭になるにあたって、たいていの人はそれなりの覚悟で頑張ってますよね。
母子家庭だろうが両親そろっていようが、
自立して子育てを必死にやってる人はいくらでもいるし、
できないことではない。
それを今回の事件の背景のように論じるなんて、
愚の骨頂です。

投稿: 蓮花 | 2006年6月 7日 (水曜日) 20時43分

>>蓮花さん

コメントしてくれるのなら、間違いなくこういう内容だと思ってました(^_^)。

記事も記事、社説ですからねえ。ぺえぺえの記者ではなく論説委員あたりが書いているはずです。

生物学的には親であっても、子供を身を挺して守れないようなのは本当の意味での親ではありませんね。その点で、一部のホモ・サピエンス(畠山鈴香のようなのが一例)は最悪です。「下等動物」の方がよほどちゃんとしている(^_^;)。

新聞記者ってどうしてこうも空想の世界に浸れるのか、信じられません。

投稿: フロレスタン | 2006年6月 7日 (水曜日) 23時01分

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受信: 2006年6月 7日 (水曜日) 20時44分

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