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2006年2月18日 (土曜日)

ここまでくると本当にメダルを期待せずに気楽に見られるな

マスゴミは相変わらず「今日もメダルなし」というスタンスである。私の中ではすでにトリノは第二のインスブルックである。冬季五輪開催地の中では、この2都市は距離的にも近いぞ。

男子フィギュアケート(中継は見ていない)の高橋大輔。ガラスの心臓、チキンハートは快勝されていなかった。本人は強化ガラスの心臓になった、とコーチに戯れ言を抜かしていたようだが、鋼の心臓と何故言い切れなかったか。所詮はガラスだったということだ(笑)。

ショートプログラムで5位になって、マスゴミはまたも大騒ぎしていた。フリーの滑走順は一番最後。これもプラス材料のように報道されていたな。しかし、実際は他のライバル達が高得点をあげて、重圧がかかったようだ。こうなるともう滑走順はマイナスに働く。

もともとその自分の精神面の弱さが原因で、(世界選手権15位と惨敗し)今回の男子フィギュアは日本選手の代表枠が1しかなくなったのだ。結果論だが(代表選考会での採点ミスに気がつかずに)織田を出していれば良かったかもしれないが、まあそれは言うまい。ただ、1人しか代表に送れないのに、精神面の強さを加味しなくていいのか、という課題は残ったはずである。今回は日本選手の精神面の弱さが問題になっていることもある。代表選考だけでなく、普段のトレーニング方法についても見直すべきだろうな。

スケート女子の団体追い抜き。転倒でメダルを逃したが、その前の準々決勝では逆に相手の転倒で勝利が転がり込んできたのだった。こういうのを日本では仏教用語由来で因果応報というのだ。

一所懸命戦った選手を非難するつもりは全くない。願わくば、アクシデントが全くない状態で戦った結果を与えてあげたかったと思う。その結果が準々決勝敗退だったとしても、選手達に悔いはなかっただろうと思う。

「棚ぼたのメダル」だったとしても、今回の成績だと日本中が沸き返ったことだろう。それで気持ちがよいかね、素直に喜べるかね。それは日本人の美徳に反するのではないかな。五輪ではないが、テニスでころんだ相手にスマッシュではなくロブを返した我が母校の大先輩清水善造さん、そして互いの健闘をたたえ合って銀メダルと銅メダルを2つに割ってくっつけた1936年ベルリン五輪の棒高跳びの西田修平・大江季雄の2人。マスゴミは若い世代にもっとこういう逸話を紹介せよ。

一方こんな報道もある。
<スケルトン>越、2回目はメダル射程内だったが…

スケルトンの越は前回のソルトレークシティでもマスゴミはメダルメダルと騒いでいた選手である。もちろん、本人に罪はない。それどころか、こういうマイナー競技で努力して世界の一線級で長く戦ってきた選手であるので、メダルとは関係なくもっと賞賛されてよい。

それよりも、

試合後、稲田は「僕も越さんも、何をやったら強くなるという明確なトレーニング法が分かっていない」と悲痛な言葉をもらした。この辺りに、歴史の浅い競技の限界がある。第一人者の越に頼りきりだった日本のスケルトンは今、大きな路線変更を迫られている。
いつまでこういう結果論を聞かされるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。マスゴミは事前にメダルメダルと莫迦騒ぎをするのではなく、こういう点をもっと常日頃指摘すべきではないのかな。

それとマイナー競技に対する強化費であるが、TOTOの失敗というのも指摘しておかなくてはならない。その失敗は、文部科学省という役所が利権絡みでひも付きにしてしまったことが原因と断定してよい。私も買わなくなっちゃったもんね(^_^;)。今年からその運営方式が改善されるので、どんな風になるのか注目しよう。

さて、イタリアでの冬季五輪である。
男子回転で佐々木か皆川が銀メダルを取って、しかもメダルはそれだけ、となったら、それこそ同じイタリアのコルティナ・ダンペッツォの猪谷千春以来40年ぶりということになる。そういう因縁くらいはささやかに期待しておくか。

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