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2005年12月14日 (水曜日)

通り魔殺人未遂と集団テロを糾弾する

カテゴリーが「歴史」なのに仰々しいタイトルではある、今日のエントリー。
通り魔は浅野内匠頭、集団テロは赤穂浪士である。

新暦と旧暦の違いがあるので、厳密には討ち入りは今日ではない(新暦に修正すると1703年1月30日のようだ)が、一応世間では「その日」になっているので、普段考えていることを書き留めておこうと思う。

岳真也氏の「吉良上野介を弁護する」や同氏の「日本史『悪役達』の言い分」などの著書、あるいは最近では現在進行形で週刊ポストに連載の井沢元彦氏の「逆説の日本史」、あるいはテレビ番組「時空警察」などに触発されているが、もともと私はこの事件に疑問を持っていたので、こうした情報源に接することになったのだと思っている。

もちろん、私は歴史の専門家ではないし、一次史料にあたるような古文の力がない(笑)。よって、人様の研究結果を自分なりに解釈、判断し、そして推測するしかないのだが、読んだ方がどのように考えてくれるか、興味のあるところである。

さて、前置きが長くなった。

おそらく松の廊下の刃傷沙汰(これも井沢氏によると場所は松の廊下ではなかったという)だが、事実は精神障害者による通り魔傷害事件である。

浅野が後ろ向きの吉良にいきなり懐刀で斬りつけた、ということと4回刀をふるっても死に至らしめることが出来なかった、ということで、当時も殺すつもりならなぜ突かずに斬ろうとしたのか、という批判があったようだが、まあ平和時の地方の小藩のお殿様、武術の鍛錬をしてなかったのだろうね。外様だし下手にそんなことしたら謀反の疑いかけられるし、広島の浅野本家が止めただろう。

もっと重要なことは、浅野内匠頭は女好きの暗君と、赤穂事件以前に当時の大名の人名録みたいなのに書かれている。そして持病があったと言うことで、精神障害の可能性が大きい(というか間違いないとみてよい)。事件も乱心と周囲の多くは見ているようで、井沢氏も「バカ殿」と断定している。実際、浅野家の取り潰しが決まると、領民は歓喜したらしい。

吉良が後ろ向きだった、ということは、たまたまその場に居合わせただけだと実は私は考えている。
吉良が浅野をいじめた、というのは完全に虚構であるが、その虚構を見抜いた岳氏や井沢氏も、どうも吉良はねらい打ちされたと考えている節が文章読むと見られる。

もちろん、高家筆頭だから服装で判断は出来るかも知れないが、精神錯乱状態の浅野にそんなことが可能だったとは考えられない。浅野が勅使饗応役にストレスを感じていた可能性は多分にあるが、実際は何事もなく淡々と日程は消化され、そして浅野のストレスが極限に達して持病の発作が出たのが、刃傷当日、というに過ぎない。そしてたまたま居合わせたのが吉良だったので、浅野に背後から狙われた。誰でもよかったのだ。

「この間の遺恨覚えたるか」と行って斬りかかったのも虚構の可能性が大きい。当日の確かな証言や記録がない。このあたりはテレビの時空警察の描写が面白いのだが、乱心した浅野は単にへらへらと笑いながらいきなり歩み出て、吉良に斬りかかっているのである。そしてすぐに取り押さえられている。これが真実に近いと私は思っている。

吉良は何故浅野をいじめなかったか。これは岳氏や井沢氏も主張しているが、ちょっと冷静に考えればわかることである。そんなことをすれば、自らの立場が危うくなる。臨時の部下とも言うべき饗応役の大名が失態を演ずれば、上司の吉良に最終責任が及ぶ。さらに言えば、これはあまり知られていないのかも知れないが、浅野の勅使饗応役は2度目なのである。一度経験したことなのに、教わらないとできないのであれば、それこそ「バカ殿」であるし、できているなら吉良が教えてくれないと逆恨みする理由などどこにもない。

そして、通り魔殺人未遂で処刑された殿の「仇討ち」とばかりに、浪士達は集団で武装して、宴の後で寝入っている吉良屋敷に不意打ちでテロを仕掛けたのである。吉良屋敷はたしか上野介本人を含めて20人前後が亡くなっているはずである。これに対して浪士達は死者なし。当然の結果である。10代前半の茶坊主2人まで、かわいがってくれた殿の命を守ろうと盾になって、テロの犠牲となっている。

忠臣蔵では、吉良は炭小屋に逃げ込んで俵に隠れていたところを見つかって、命乞いもかなわず首をはねられた、ということになっているが、事実は刀をもって浪士達と相まみえ、落命したということのようだ。老いたりといえども足利一門、直参旗本、高家筆頭、そして名門上杉の藩主の実父という数々の誇りが、吉良の最期を武士らしく遂げさせたのである。

最後に一言。フィクションとしての忠臣蔵を楽しむのは日本文化の一つであり、史実(であろうこと)と違っていても、そこまで否定するつもりは全くない。

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コメント

私もおっさんの例に漏れず歴史ヲタなのですが、どうも忠臣蔵と新撰組はダメです。
ただ、この記事の推察は論理的ですね。
そして、吉良ですが、カルト社会日本(典型は江戸時代の武士階級)の場合、降伏や汚辱は死に直結しますから、反撃しただろうと私も思うのです。

投稿: takeyan | 2005年12月16日 (金曜日) 11時07分

>>takeyanさん

私も新撰組はダメです。
忠臣蔵と新撰組に共通するのは、どちらも「テロリスト」だということですね(^_^;)。

投稿: フロレスタン | 2005年12月16日 (金曜日) 23時52分

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