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2005年4月12日 (火曜日)

カルトと宗教(あるブログへのトラックバック)

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の4月12日付の「ナザレのイエスはなぜカルトではないのか」という記事に対するコメントです。
(このブログのコメントは500文字が上限で、それを超えたためTBにしています)

小生、クリスチャンでもないし、宗教や宗教史の専門家でもありませんが、だからこそ敢えて考察してみることにします。ちなみに小学5、6年の時にカトリック教会の土曜学校で英語を習っており、その時に多少キリスト教の教義や祈りの儀式に接してはいます。

まず、2000年前のユダヤ教徒から見れば、イエスの教えは間違いなくカルトに映ったことでしょう。キリスト教はイエスの生前あるいは死の直後から爆発的に広まった訳でありません。しかし、ユダヤ教徒から見てカルトに見えたからと言って、本質的にカルトであったかどうかは今となっては確かめようもありません。言えることは、少数ながら熱心な弟子がいて、数百年の後に信徒が増え始めたわけですから、いかがわしいだけの教義ではなかったのではないかと推測されます。

宗教というより哲学もいうべき仏教でも、釈迦の死後500年くらい経過して、ようやく宗教としての体裁が整って、布教活動が本格化しています。新しい宗教が広まるには、多くの人と幾多の歳月が必要で、現在の世界宗教の中でイスラームは例外でしょう(それでもユダヤ教徒キリスト教というベースが600年以上にわたって存在していたと考えれば例外ではない)。

ローマ皇帝の中に熱心な信者が出始めた、ということは、当時の独裁者にとって都合のよい内容(例えば唯一絶対神のヤハウェと支配者としての自分をダブらせるなど)を含んでいたのかもしれませんが、それだけで民衆の心をつかめるとも思えません。

医療活動に関しては、イエスになんらかの医学的知識があり、困っている人を本当に救ったのではないでしょうか。また、最近流行っている「心のケア」もやったのでしょうね。ただし、後世、イエスの業績を大きく見せるために、カルト的な治療行為(盲や聾を治療した)で脚色した、という可能性は多分にあります。聴力の落ちた老人に、耳元でいろんや話を優しくしてあげれば、それが聾を治療、という話につながる可能性が考えられます。ここが「空中浮揚」のようなありえない行動を信じ込ませた某カルト教祖との違いでしょう。

医学や科学が発達した現代では、迷信だけで多数の人を引きつけることは困難です。まあその割に血液型正確占いのようなカルトも流行ってますが、あれはそれほど実害はない(いじめの問題はあったにせよ)。それでも迷信がなくなったわけではないので、カルトのつけいる余地が残されていますが、それは2000年前とでは比較にならないレベルでしょう。

2000年の間に信徒が増えた、ということもあるでしょうが、様々な宗派が出てきて、様々な経典解釈がなされてきていますから、本当に信ずるに足る新しい宗教が出現できる余地も少なくなっていると思います。

金保は自分で自分のことを神の子と主張したのかもしれませんが、イエスはそうは言っていないはず。三位一体説が登場するのは遙か後の時代です。

少なくとも100年以上の歴史的評価と、多くの人の支持があってはじめて、初期にはカルトに思えた新興宗教が、カルトを脱していくのではないでしょうか。とすれば、例えば天理教あたりは既にカルトではないと言っても差し支えないかもしれませんが、創価学会は名誉会長氏の死後どうなるかで、カルトかどうかの真の評価が初めてできるのではないかと考えられます。

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先方(ameblo)のシステムにトラブルがあるようで、管理者への非難の書き込みもみられます。ちなみにこのamebloを運営しているのはサイバーエージェントという会社。社長は藤田晋氏で、女優の奥菜恵の旦那。ホリえもんとも友達だそうな。

投稿: フロレスタン | 2005年4月13日 (水曜日) 00時37分

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» ナザレのイエスはなぜカルトではないのか(2) [許さん。]
 フロレスタン氏からトラックバック代わりのエントリを頂いたので、こちらもさらに論を進めてみようと思います。  まずカルト論について一点はっきりさせておきます。「ある宗教はカルトである」という見方は、必ずその宗教外からしか発生しません。原理主義ならばそう自称することはあるかもしれません。でもカルトと原理主義は当然ながら別の尺度です。尤も、カルト宗教をビジネスでやっている幹部が自らをカ... [続きを読む]

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