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2005年3月31日 (木曜日)

勝ち点3を拾ったが

昨晩の埼玉スタジアムでのサッカーW杯アジア最終予選の対バフライン(バーレーン)戦は、何とか勝ちを拾った。
勝ち点が全ての世界なので、何よりである。

が、FW陣よ。何とかしてくれ。鈴木はまだ故障が回復しきってないのか。
高原はドイツで絶好調だということだったが、対イラン戦も含めてはずしまくっていた。
ジュビロで得点王になった頃の決定力はどうしてしまったのだ。もちろん、中盤から後ろとの連携の問題はあるが。

6月上旬のアウェー2連戦で2勝するつもりでないと、なかなかしんどいと思うのだが、まあ最後まではらはらしながら楽しませてもらうことにしよう。

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2005年3月29日 (火曜日)

差別的CM

P&Gにレノアっていう消臭効果のある消臭剤がありますね。ファブリーズと共同開発とのこと。
で、この(動物アニメの)CMが「特に主人が」と、お父さん(の体臭)をコケにしている(笑)。

本当に日本人のおっさん(オレもその仲間)は寛大だ。ここまでコケにされても、不快だからCMやめろ、と文句言わないもんねえ。もっとも、タバコやら整髪料やら、本当に臭えから、文句言えねえのか(^_^;)。
でも、オレはタバコ吸わないし、整髪料も使わないし(無香料のヘアトニックと寝癖直しだけ)、そんなに臭くねえぞ。

さあ、世の中の体臭のきついお父さん達、立ち上がろう。
レノアのCMを放送中止にするためではない。せっかくこんな「いい商品」を開発してくれたのだから、積極的に使おうではないか。私は仕事場にファブリーズを置いている。しかたなくタバコの煙の中で過ごさざるを得なかった時、上着に吹きかけて臭いを消してます。

男はやはり懐が深くなくっちゃね(たとえ寂しくても(^_^;))。

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2005年3月26日 (土曜日)

負けてしまった

うーん、やはりアウェーの洗礼だなあ。
福西の同点ゴールで、守りの姿勢に入ってしまったかも。
だが、高原・玉田の2トップとヒデがあまり機能してなかったし、中盤の欧州組もマークがきつかった。

ダーイーばかり注目されていたけど、今日はハーシェミヤーンにやられた。
8月のホーム戦もハーシェミヤーンは要注意だな。

さあ、気分を一新して、5日後のホーム・バフライン(バーレーン)戦だ。

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2005年3月25日 (金曜日)

さて今日はアウェーのイーラーン戦だ

キックオフまであと20時間半くらいだな。

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2005年3月21日 (月曜日)

大河ドラマ「義経」考 その1

小生、歴史が好きなせいもあって、大河ドラマも好きである。幼い頃の記憶に残っているのは昭和41年の「源義経」である。尾上菊之助(現菊五郎)が主演で、緒形拳が弁慶を演じた。小学校2〜3年生だったので、全編見て記憶しているわけではないが、最後の弁慶の立往生のシーンが記憶に残っている。昨年の正月にレンタルビデオ店で総集編を収録したのを借りてきて見たのだが、藤原忠衡をまだ20代の田村正和が演じていて、さすがに若い、と思った。竜馬が行く(北大路欣也主演)の最後の暗殺シーンもなぜか記憶に残っている。オレは残酷なのか(笑)。ま、最終回というのはインパクトがあるのだ、ということにしておこう。

嵌ったのは、昭和44年の天と地と(石坂浩二主演)からである。小学校5〜6年生だったので、全部覚えている。緒形拳、北大路欣也、石坂浩二といった面々は、その後も大河ドラマで重きをなすことになるのは大河ファンなら周知のところだが、名優の資質というのは子供心にも訴えるものがあるということなのだろう。

この大河も21世紀に入ってから駄作が続く。惰性で見てしまったが、2001年の時宗(題材はよいと思ったが、いかんせん脚本がどうしようもなかった)、2002年の利家とまつ(戦国ホームドラマって何よ?)、2003年の武蔵Musashi(堤真一の演技が救いだった)ときて、昨年の新撰組はとうとう最初の3回くらい見て脱落した。そして今年の義経である。冒頭のように、記憶に残っている最初の大河が義経なのだ。日曜日の午後8時に習慣は復活した。

主演の滝沢秀明は、99年の元禄繚乱に吉良義周(きらよしちか、吉良義央の実の孫で養子)役で出演していた。その時の演技が稚拙だったので、今回どうなるかと思ったが、さすがに歳月は経過しており、周囲の配慮や本人の努力もあるようで、それほど悪いとは思わない。主役の演技がひどいと目も当てられないが、今回は一年通して見られそうである。

昨日は、鹿狩りで行方不明になった奥州藤原氏の4代目泰衡(渡辺いっけい)を、夜間に単騎救い出して、その武勇が奥州に鳴り響く、というのが前半の展開だったが、藤原秀衡(高橋英樹)から贈られた愛馬白童子を駆って斜面を駆け下りるシーンは、明らかに一ノ谷の合戦の前振りである。こういう見え見えの演出が臭く感じられるのが大河のいやらしいところでもあるのだが、まあそれはそれでいいだろう。それよりも、義経による泰衡救出シーンとこれに恩義を感じる泰衡の行動が、2人の悲劇的な関係と最期を知るものにとっては、長い伏線になるのが非常に重たい。

後半は平家の悲劇の序曲がテーマだが、それにしては鹿ヶ谷の陰謀がナレーションとわずかな映像だけですまされたのは、ちょっと軽すぎないか、と思った。軽すぎたせいか、一緒に見ていた娘が、何を言っているのかよくわからないと言っていた。平家のシーンは似たような名前の登場人物が多すぎて(笑)、いつもよくわからないようなのだが、ここいらあたりは、独眼流政宗の時に始まったアバンタイトルでの解説を充実させてくれたら、と思う。

来週は、平家嫡男(清盛長男)の重盛(勝村政信)が亡くなるようだ。優秀な跡継ぎを亡くしたことは清盛にとって、そして平家にとって痛手だったろう。勝村政信は97年の毛利元就で、元就家老の一人渡辺勝(わたなべすぐる、榎木孝明)の嫡子通(かよう)の役を演じて以来だが、あの時は、危機に瀕した主君の身代わりになって死ぬ役で、出演回数が少なかった。今回も決して出演回数は多くないが、出演者のクレジットを見ても重要な役まわりであることが明白であるし、利発な名門の嫡子の役を見事に演じている。小泉孝太郎と賀集利樹の2人がこの重盛の息子(資盛と維盛)を演じているが、これまでのところバカ息子のような扱いなので、その父親としての威厳もよく表現している。ドラマ序盤の礎石の一人だろう。

もう一人序盤の功労者をあげるなら、稲森いずみである。初回の常磐御前の演技は3人の幼児の母、夫を殺された未亡人、そして一人の女という三面が見事に調和していて絶品であった。トレンディドラマに時々出演する姉ちゃんくらいにしか彼女のことを見ていなかったが、完全に脱帽である。

それにしても、何故マツケン武蔵坊はあのようにいつもハイテンションなのだ?

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2005年3月20日 (日曜日)

中国語という幻想と日本語

「中国語」と何気なく言うけれど、実はこれは幻想である。

彼らの人工的な共通語である「普通話」(簡体字では書き方が違いますが)は、清朝の宮廷語であった「北京官話」をベースにした、中国共産党製の国内用語。北京官話は清朝の後継である中華民国の公用語でもあったので、台湾では今でも北京官話が標準語。でも、台湾語というのは福建語の変形だし、Native Taiwaneseはミクロネシア・ポリネシア系なので、彼らの言語は南方系の系統の異なる言語。
しかも、宮廷語といっても、皇帝一族が宦官達に対して命令する時の言語であり、皇帝一族の日常言語は満洲語だった。満洲語はしかし徐々に北京官話に浸食されていったわけだが。もちろん一般大衆はそれぞれの地方語を話していた。

我々はシナの人口の9割を占める「漢民族」と少数民族という創作に染まっているので、純粋な漢民族というのがいるように思っているが、実は彼らこそ雑種であり、系統や出自のはっきりしている「少数民族」の方が人種的には純度が高い。まあ少数民族といっても1000万人を超えるようなグループもいるわけだが。

で、シナに行くとどうなるかというと、いわゆる漢民族の人達は自らの母語を当然のように使う。書き言葉なら漢字が共通なので意思の疎通ができるが(というか漢字そのものが、いろいろな言語の仲立ちをするために存在しているわけで)、話し言葉になるともうお手上げである。北京語と広東語で通訳がいるのだ(実際に香港で目撃している)。ま、北京語は北方言語の影響が強くアルタイ語的な要素が大きいのに対して、広東や福建は南方系の言語だから、当然と言えば当然。

というわけで、もしも我々が観光目的くらいでシナの言語を学ぶのであれば「普通話」でいいと思う。学校教育を受けた「中国人民」はこの言葉を話せるから。でも、経済的に必要だからと言って、日本人皆がこの言葉をマスターする必要などないだろう。むしろ、外務省のチャイナスクールのように、言葉も話せるけど、魂も売ってしまっているようでは困るのである。日本の国益や自社の利益を守るという前提で、きちんと論争のできる人材を育てればそれでよいと思う。

そしてむしろ、香港や広州に行くなら広東語、重慶や成都に行くなら四川語、上海に行くなら上海語といった地域の固有の言語を学ぶべきだ。「普通話」のような人工言語では、異なる文化に接するような興奮も少ないし、心してかからないと中国共産党のプロパガンダに都合がいいだけだ。

英語が国際語というある意味真実だが、普遍的事実でもない(例えばEUの標準語は英語ではない)という状況は、米英あたりの言語戦略が成功しているからだ。日本ではそういう思想普及には成功したが、実際に英語のできる人材が少ないのは、彼らの教育法が基本的にはインド・ヨーロッパ語族の言語の話者が前提だからだろう。

そういう意味で、日本ももっと日本語を普及させる戦略をもつべきだ。アフリカのおばさんに、都合のよい解釈で一つの単語だけ広められるようなお粗末な事態は避ける必要がある。津波関連で、国際的な防災対策の先頭に立ち、ついでに日本語を広めてしまうくらいのしたたかさがあってよいはずだ。そういえば、のど元過ぎればなんとやらで、「公共性」というかけ声もむなしく、マスコミはもうスマトラ沖地震による津波被害のことも忘れ去られようとしているではないか(そしてライブドアの報道にばかりうつつを抜かしていおる)。

そして、またこういう土建国家的な援助外交とセットの日本語普及だけでなく、日本文化に関心を示す外国人が増えているのだから、いろいろな国で日本語と日本文化を広めるような施策に税金を使うべきだ。アジアだって、日本に反感を持っているのはせいぜい3カ国にすぎない。大半の国は親日的であるし、むしろ現憲法の制約でまともな国家の体をなしていない日本を歯がゆく思っている。

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2005年3月19日 (土曜日)

地下鉄サリン事件被害者への鎮魂歌

明日で地下鉄サリン事件から10年か。早いものである。

10年前、ジャン・シベリウス作曲の交響曲第6番を演奏するために結成された臨時のオーケストラがあり、第一バイオリンで練習に参加していた。小生、最近は楽器に手を触れていないが、実はバイオリンを弾く(^_^;)。
シベリウスはご存じの向きも多いだろうが、北欧フィンランドの巨匠で、フィンランディア序曲が有名である。
交響曲第6番というのは、非常にマイナーな曲なのだが、小生は大好きで、一度は弾きたいと思っていたので、10年前の機会は願ったりかなったりで、大半のメンバーが20代という中で、最年長の37歳で参加していたのである。

前置きが長くなった。

そして、その本番が3月21日で、前日の20日はゲネプロ(General Probe、ゲネラル・プローベの略、いわば本番前の通しのリハーサルである)の日。トランペット奏者が一人来ない。大切なパートである。実は彼が事件に巻き込まれた、ということが翌日わかった。幸い大事に至らなかったのだが、ガスを吸ったらしく体調は最悪。本番はなんとか乗り切ったが辛そうだった。

また、他にも一本電車が違っていたら、被害に遭っていたかも、という知り合いもいた。

シベリウスの交響曲第6番は楽曲の構成は非常に構造的なのだが、第1楽章が静かに始まり、第4楽章が静かに終わるという、交響曲としては珍しいものである。そして、ニ短調という表示が一般的になされるが、実はドリア旋法という古い教会音楽の調性で、独特の響きをもっている。思い入れたっぷり、主観全開だが、今から考えると、あれが犠牲者の方への鎮魂歌になっていたのかもしれない。改めて犠牲者の方のご冥福を祈るものである。

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北朝鮮化する?韓国

島根県の「竹島の日条例」問題で火を噴いた韓国の反日感情の悪化が新聞報道をにぎわしている。
はっきり言って、無視すればいいのに、と思う。これまでも、韓国は政権の支持率が落ちると、日本を標的にして国内の不満をそらすという政治手法が伝統的に見られた。これは小中華といわれる韓国が、本家の中華思想の国のマネをしていることでもある。

韓国政治の状況を見ずに、漁業関係者の不満を背景に安直に(実効性のない)条例制定を急いだ島根県の対応も問題ではあるが、それに飛びついて、だだっ子のように、自分たちの主張を全面的に受け入れることが「世界の常識」だ、などと迫る韓国政府は非常にナイーブである。

前大統領の金大中は、金正日と見せかけの握手をして、いかがわしいノーベル平和賞を受賞した。このことが何の意味もなかったことは、歴史の審判を持ち出すまでもなく、すぐに明らかになった。そして左翼色の強い盧現大統領である。韓国の学生の中には、北朝鮮にシンパシーを感じる者も少なくないと言うし、このまま行くと朝鮮半島は全体が「北化」するな。百済、新羅が高句麗に攻め滅ぼされるわけだ。うん、ちと違うか。

日本は韓国を「植民地」になどしていないし(当時の国際法に則って行われ、主要国の承認も得た「合邦」である)、個々に問題のある対応をした日本人もいたかもしれないが(しかし具体例は示されず、日本人の蛮行や略奪という抽象的な表現しかされていない)、そもそも日本統治時代は日本の「内地」からは財政持ち出しであるし、敗戦後資産は放棄した。なかんずく、これがなければ朝鮮半島はロシア化され、今頃ハングルはキリル文字に置き換えられていただろう。日本もロシア化されていた可能性がある。そうなっていれば、東アジアの今の発展などなかっただろう。

小生、韓国人の知り合いもいるし、こちらから喧嘩を売りたくはないが、我が国にも誇りや国益や歴史がある。
それをねじ曲げてまで、卑屈になる必要など全くないだろう。今の韓国は「ヨン様」の国ではなく、「オレ様」の国に成り下がっている。北隣は「将軍様」の国だぞ。

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2005年3月15日 (火曜日)

Webアクセシビリティ

Webアクセシビリティ

先日、日経BP社のWebアクセシビリティの有料の講習を受けた。もっとも、既に自分では学習を進めていたので、これは確認みたいなつもりで行ったのだが、講師の質も高くて(しゃべり方がIT業界っぽくなくてよい)、なかなか充実していた。

その時に、悪い見本の一つとして、朝日新聞のasahi.comが取り上げられたのだが(一応断っておくが、悪い見本には、大手企業のサイトがゾロゾロ出てきておりました)、そのasahi.comが「誰にでも使いやすいユニバーサルデザインのコンセプトを取り入れました。」ということなので、見てみた。

だめだ、こりゃ。
HTMLの構造化ができていない。外部スタイルシートを読み込んでいる意味があまりないのだ。
きちんと確認はしていないが、音声読み上げ対応となっているものの、意図した順序どおりに読まれない危険性がある。テーブルレイアウト使っているからな。構造化ができていないので、飛ばし読みなどもできないだろう。ナビゲーションが毎ページ繰り返して読まれるのではないか。

推奨ブラウザも話にならん。本当の意味でWebアクセシビリティに対応している(あくまで不十分ですが現状で、ということ)モダンブラウザが記載されていないのだ。

まあ、データ量にしてもページ数にしてもこれからだろうから、せいぜい頑張って下さい、といったところか。
朝日新聞にはウェブアクセシビリティ以前に、(思いこみや政治的意図たっぷり、あるいは反日国へのご注進などでない)まともな記事を書いてもらいたい、というのが本音だが(笑)。

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3月15日がさいご(315)

今年の確定申告の最終日はゴロあわせよく、3月15日、さ・い・ご、である。
尻に火がつかないと行動しない私(笑)は、例年最終日に税務署に駆け込む。仕事場と税務署が近いのも、この行動パターンに幸い、いや災いしているな(^_^;)。ということで、さっき書類は作成した。
最近は、国税庁のサイトで計算やってくれるので、その点は楽である。本格的な電子納税が待ち遠しい。

それにしても、ろくな収入じゃないのに(> <)、収入が分散しているから、確定申告は避けられない。
こんなことなら、戦時体制の名残であり、かつ官が民に労働力をタダでたかっている源泉徴収という制度をやめてほしい。これも構造改革の一つだよな。

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2005年3月12日 (土曜日)

ヒステリックなテロ

心ある人は、三重県の観光をボイコットしよう

またまたうんざりするような記事だ。

共同通信である。以下にネット配信の記事を全文引用する。
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三重県観光連盟は11日、2005年の観光キャンペーンポスターに書かれた文章の一部に「不快感を招く表現がある」との住民の指摘を受け、ポスターの全面回収を決めたと発表した。
 回収するのは、作家池波正太郎さんのエッセー「食卓の情景」の中にある三重県名産の松阪牛や伊賀牛についての記述を載せたポスター。
 文章は、それぞれの牛肉を若い女性や成熟した女性に例えた表現があり、2月下旬に県内の観光案内所内のポスターを見た10数人の女性から「不快に感じる」と指摘があったという。
 同連盟は「文章を採用する前に表現について検討したが、著名な作家の作品ということで採用した。配慮の無さから、住民の方々に不愉快な思いをさせて申し訳ない」と話している。
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なんだそうだ。
どうせ、過激なフェミニズム団体あたりがクレームをつけたんだろう。「住民」とあるが、素性は明確にされていない。マスコミのよくやる手だ。はっきり言ってこいつらは卑怯である。
女性に関連した表現で、女性が不快に感じる、とクレームをつけると、たいていの場合、官公庁も企業もイメージ低下を恐れて怯む。それがわかっているから、こういう行動に出るのだ。

非難の嵐を覚悟でもっと言ってしまおうか。こういう場合のクレームは、よほど思想的に嵌っていない限り、若い女性はしないものだ。オバタリアンという流行語もあったよな。自ら熟女は劣っている、と認めたようなものだ(笑)。そんなことはないよね。一般的に言って若い女性の肉体は魅力的(じゃないのもいる)だけど、ドキッとするような熟女もけっこういるものだ。

こんな抗議には断固として拒否すればいい。著名な作家の文章である。しかも今回の場合故人である。
文句があるなら、三重県観光連盟ではなく、このエッセーの版元に言えばいい。多分、版元は出版差し止めなどは拒絶することだろう。

不快に感じる人が全くいない表現などありえない。今回のような批判は表現や言論に対するテロである。それはマスコミがもっとも嫌うものの一つではないのか。配慮のなさ、などと三重県観光連盟は言っているが、テロに屈しただけのことだ。そして、池波正太郎氏本人と遺族、それに多くの池波ファンに対しても失礼だろう。

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2005年3月10日 (木曜日)

既存メディアは裸の王様

またまた、毎日新聞の批判である。
掲示板2005というコラムだが、ここの担当者はわざとボケをかましているのが、それとも本当に莫迦か鈍いのか、呆れるような記事を見かける。

3月8日付の記事もそれだ。ライブドアがらみなのだが、以下一部を引用。

堀江貴文社長は・・・・調査報道や不正の追及など、特に活字メディアが使命と考える部分に否定的でした★「ありのままの事実」に近づくためにどれほどの取材が必要なのか、そもそもパソコンを開けば「ありのままの事実」が手に入るものなのか、については語られていません。・・・・堀江社長的なメディア批評に同調する人が、特に若い層に少なくないことです。「なぜか」を知りたいところです。

とまあ、こんな調子である。私は全く若い層ではありませんが(笑)。

まずですね、お終いのあたりですが、ホリエモンのメディア批評に同調する若い人が、本当に多いのでしょうか。恐らくこれは印象だと思います。事実なら、例えば世論調査の結果などで裏付けをすべきです。こんな文章を載せるから「ありのままの事実」を伝えていないのだ、と受け取られても致し方のないところ。

それから、逆に「ありのままの事実」を突き抜けてしまうことがありますな。
毎日じゃないけど、朝日の本田記者の例の「安部氏、中川氏の政治的圧力」報道なんかがそれです。本人達が明確に日付など事実関係を否定しています。議員会館の記録などからもそれは明らかにされている。どれほどの取材をしても、思いこみや結論があったら、事実など伝えられません。ミニ朝日と言われる毎日の記事にも、こうした「思想の押し付け」のような印象を受ける記事を目にすることはしばしばあります。

取材に大変な苦労をしているような書き方をしています。そういう記事もあるでしょうし、秀逸な記事もあります。だから私自身は新聞というメディアを否定はしません。しかしです。記者クラブという既得権益に胡座をかき、当局の報道資料を垂れ流すだけの記事も少なくありません。自分たちだけが苦労しているのだ、自分たちだけが正しくて、「愚かな大衆」の知る権利を守っているのだ、という押しつけがましさが鼻につくのです。

他人に厳しく自分に甘く、とでも言ったらいいようなダブルスタンダードもあります。
例えば、これは知り合いの政治家(現職議員でなく浪人中の方ですが)のメルマガからの引用ですが、人権擁護法案について「報道機関の主張は次の通り。公権力による人権侵害は、人権侵害の救済機関を法務省の外局としてではなく、政府から独立して置くべきでとしている。しかし一方、マスメディアによる人権侵害は、救済機関を自分たちから独立したものでなく、自分たちの内部で処理したいとのこと」ということで、この方も、虫がいいと批判してらっしゃいます。こんなことはマスコミが当事者になるとしょっちゅうありますね。

ということで、最初に引用した記事を書いた荻野祥三さん、本当にわからないのなら教えてあげましょう。新聞ないし既存のメディアに批判的な人たちは、私も含めて、こういう胡散臭さを敏感に感じ取っているから、ホリエモンに同調するのですよ。あんたたちは「裸の王様」なんだよ。

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2005年3月 6日 (日曜日)

「二酸化炭素による地球温暖化」というマインドコントロールと「暗黒宗教の新世紀」

3月に入って、太平洋側の各地に雪が降り、気温も低い。
欧州でも、記録的寒波のため、交通機関が混乱しているという。

昨年の夏の猛暑、記録を更新する台風の日本列島への上陸、といった現象があると、地球温暖化のせいだ、温暖化は確実に進行している、という論調がメディアにあふれるが、今、寒冷化している、という論調はない。

いろいろな見方ができるだろう。しかし、思うに、地球温暖化(それも二酸化炭素が主犯)が既成事実になり、それに合致する現象は温暖化と結びつけて報道されるが、そうでないものは「単なる異常」として語られる、というのが現状である。それに対して、情報の受け手からも明確な反論はない。新聞の投書欄を見れば明らかである。少なくとも反論の投書はあっても掲載されないだろう。

こうして、大衆はマインドコントロールされていく。
そもそも、気候に固定化された「平年」などないのだ。平年とは過去30年の平均値にすぎない。

恐らく、いろいろな要因で気温は上昇しているのだろう。しかし、もっと長いタイムスパンで見れば、寒冷化の方向にある、という説もある。何度も主張しているように、資源の無駄遣いをなくすために、二酸化炭素の削減に努めることは必要なことである。

ヒステリックに騒ぎ立てることが問題なのである。ヒトラーに洗脳された第二次大戦の悪夢を忘れてはならない。
そして、今もう1つ、ヒステリックな「Mottainai」運動が始まろうとしている。
日本語の「もったいない」というのは、もっと個人の内面に基づいて、粛々と節約するニュアンスだと思う。ちょっと違うと違和感を感じるのは私だけか。

マインドコントロールの種はあちこちにある。21世紀は、環境をネタに必要上に恐怖を煽り、人心を揺する「暗黒宗教の新世紀」の危機怖を孕んでいる。その萌芽は20世紀末のダイオキシン、環境ホルモン騒ぎに既に見られたのだ。

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2005年3月 4日 (金曜日)

怒れ、ユーザー、マイクロソフトの「愚行」

今日、ネットで次のようなニュースに接した。
「海外CNET Networks発のニュースをCNET Japanが日本向けに編集したもの」ということで、見出しは「Windowsがなんと5割引--マイクロソフト、中国で新手の違法コピー対策」。

少々長くなるが、主要部分を引用しよう。
「Microsoftが違法コピー対策の取り組みを中国にも拡大した。同社はWindowsの違法コピー利用者に対して、入手経路を明らかにすることを条件に、正規版Windowsを定価の5割引きで提供している。
 Microsoftはこの2月から2カ月間の予定で、違法コピー対策のプロモーションを展開している。この取り組みを通して、同社は中国語版の Windows XP Home Editionを786元(95ドル)で、また同Professional Editionは1270元(153ドル)で提供している。Microsoftのウェブサイトによると、両製品の通常価格は199ドルおよび299ドルとなっているという。
 このプロモーションに申し込む場合、Windowsの違法コピーユーザーは、オンラインフォームに必要事項を記入し、コピーの入手経路を明らかにする必要がある。
 この申込用フォームでは、違法コピーの利用者に対し、WindowsのコピーはPCの販売業者がインストールしたものか(PCを購入した時点で Windowsのコピーは既にインストールされていたのか)、あるいは路上の密売者から自ら購入したのかなどを説明するよう求めている。フォームの入力を済ませると、入力者のもとには、割引券が電子メールで送られてくる。」

2004年11月に英国でも同様のことをやり、この時はなんと無料だったという。

正規ユーザーはコケにされておるね。大いに怒ろうではないか。
Officeユーザーは、オープンソースのOpenOfficeに乗り換えよう。あっ、でもそれだとまだOSはWindowsのままだ(笑)。まあ、いきなりLinuxに乗り換えられないだろうから、それはいいとして、何か声を上げないといけないと思い、とりあえずビール、ぢゃなくて、ブログ、という次第。

どうして、違法コピーを入手して使っているのが、正規ユーザーよりも安く入手できるんだっ。入手経路を「ゲロする」のと引き替えだから、その「報酬」なんだろうが、ウェブページのフォームなら、嘘はいくらでもつける。ここいらあたりに、マイクロソフトのずさんなセキュリティ感覚が滲み出ているではないか。

そもそも「あの国」の路上密売者なら、しっぽを掴まれるようなドジなことはしないだろう。末端の密売人を抹殺し(本当に殺すからな、あいつらだと)、幹部は温々としておるに違いない。なにやらテロ組織にも似ている。いや、実際IT業界と正規ユーザーに対するテロだ。

マイクロソフトに言おう。違法コピー対策は簡単だ。
「価格を大幅に下げろ」
それとも、オーブンソースにする?

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2005年3月 2日 (水曜日)

計算尺復刻だそうで

滋賀県職員の木村悟さんという方が、計算尺の愛好家にネットで復刻を呼びかけた、とのニュースである。毎日新聞のネット配信記事を見ているが、木村氏は43歳とのこと。恐らく計算尺をいじって知っている最後の世代だろう。記事中にも、「教育現場から姿を消して30年余。40代以上でなければ見たことのない計算機」とある。

小生、47歳。うーん、中学生の頃、計算尺を買ってもらって、テレビ講座(かつてはNHKはこんな番組もやっていた)を見ながら、一所懸命練習したなあ。

別にどうということはないのだけれど、そろばんがあまり好きでなかった小生は、細長い木製の板とプラスチックに赤線の入った「カーソル」(今じゃ、カーソルといえば、デフォルトでマウスカーソルのことだろう)を横に移動させるだけで、計算ができる優れものに魅入られたものだ。おかげで、A尺やB尺なんぞのついた高価な計算尺までねだって、親には余計な負担をかけてしまった。基本的なのはD尺、C尺とCI尺ってのが付いているんですね。

こいつのメリットは、指数や対数の学習に抵抗なく入っていけることと、有効数字の概念が自然に身に付くことだと思う。ゆとり教育の見直しにもよい教材かもしれませんね。一家に1本計算尺って。

ただし、加減算ができないのが「玉に瑕」です、計算尺。
そんなもの、筆算で充分だって(笑)。

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2005年3月 1日 (火曜日)

市町村合併に伴う市名考 その3

久々に市町村合併に伴う地名批判である。

衝撃の「南セントレア」市。住民投票の結果、合併そのものがおじゃんになってしまった。この衝撃の陰であまり目立たないが、千葉県でも「太平洋市」が批判を浴びて、名称の見直しが決まったという。

この種の命名に共通している病理は、自分で考えないことと、その裏腹の有名な地名や施設名に寄りかかっている、という点である。その意味では、前に批判した「白神市」もその1つだろう。そして、早い者勝ち、同一市名の重複は認めずという規則がこの傾向を加速していることは間違いない。

ひらがな市名は、優しい感じがする、などと逃げているが、結局は摩擦を避けようとする消極的な姿勢がその底流にあると見てよいだろう。

しかしである。冷静に考えてみると、こうした地名は今回初めて出てきたわけではない。ひらがな市名は、いわき市、えびの市、むつ市など以前からあったが、恐らくつくば市あたりからこうした流れができて、さいたま市で決定的になったと見てよいだろう。

どちらも国の機関が複数の市町村に移転して、国から合併への圧力があった。国は公式にはそうは認めないだろうが、両市の合併の経緯を見れば否定できないはずだ。

つくば市の場合、6町村にまたがっていたが(しかも、新治郡、筑波郡、稲敷郡の三郡にまたがっている)、当初は筑波郡筑波町と稲敷郡茎崎町を除いた四町村で合併し、筑波町、茎崎町と順次吸収していった。庁舎は今でも旧谷田部町のものである。いくら旧筑波町があるから(しかも、つくば市誕生時は合併していなかった)といっても、筑波市でどうしていけなかったのか、明確で論理的な理由はないだろう。

さいたま市の場合は、というと、当初は現在の旧3市による合併でなく、上尾市と伊奈町も含めた合併が模索され、旧浦和市と旧大宮市の主導権争いが展開された。結果的に浦和主導の3市合併となり、市庁舎は旧浦和市のものを使用している。この3市は埼玉郡ではなく北足立郡の区域であったため、埼玉の地名の発祥を自負する行田市あたりから「埼玉市」は使わないようにとの要請があった。行田市の言い分は歴史的、文化的に正当であるので拒否できなかったわけである。この度、埼玉郡に属していた岩槻市を合併することになるので、「埼玉市」でもよくなるのである。というより、もともと埼玉県という県名は、岩槻に県庁を置く予定であったためにつけられたという歴史的経緯があるので、百年以上経過して元の鞘に納まったと見ることができる。

つくば市で「調子づいた」茨城県には、ひたちなか市が誕生した。
そしてひらがな地名ではないものの、今回「小美玉市(おみたまし)」ができるという。小川、美野里、玉里から一文字ずつ取っての合成地名だが、これもよくあるパターンである。大田区や由布院町など、よくできすぎていて合成地名ときがつかないこともあるので、その分罪深いかもしれない。

わが故郷群馬県で「みどり市」という、これまた恥ずかしく、かつどこにあるのかわからない思考停止の市名が登場するらしい。新市建設計画のスローガンは「水と緑のみどり市」なんてことになるのかしらん。こういうのはきっとブラックジョークならぬグリーンジョークとでも言うのだろうな。ひらがなだけでも許し難いのに、色彩名という地名にそぐわない言葉をもってきているのだから度し難い。緑が多いというだけなら、日本全国ほぼどこでもそうだぞ。「みなかみ町」も水上町が周辺町村に気を遣ったらしいが、水上温泉の誇りも地に落ちたと言うべきか。

それでもって、太平洋市である。なんでも太平洋に8kmくらい面しているそうな。はあ、それでよくやるよ。県外からも批判が殺到するのは当然である。
だいたいこんな自己中心的な感覚では、日本海を「東海」と標記せよ、という韓国の無茶苦茶な主張にも抵抗できないではないか。

南セントレア市は、南アルプス市という「前例」があるからな。
これがどれくらいおかしいか。

東京都江戸川区→東京都西東京ディズニーリゾート区
横浜市神奈川区→横浜市北横浜ベイブリッジ区
千葉県木更津市→千葉県東東京湾アクアライン市
大阪市港区→大阪市南USJ市(これなんかもうアルファベット!)
長崎県長崎市→長崎県南ハウステンボス市

こんなもん、誰もつけないっつうの。

それに、セントレア市もないのに、わざわざ南セントレア市ね。
最初「せんとれあ」と入力したら「遷都レア」と誤変換されたが、これでは首都機能移転は絶望的だな、中部地方(笑)。

ここいらあたりも、東大阪市、東広島市、北広島市(こちらは北海道ね)、東大和市、東村山市、東松山市、とまあ東がついたのが多いわけだが、方角を冠した地名がぞろぞろとある。こちらも西東京市という石原都知事に批判された市名をきっかけに、方角をつけることにためらいがなくなってしまったのだろう。

合併特例法の期限もあってか、ここのところ合併件数も多く、そのために安直な地名が多く露出して、批判を浴びている、ということもあるだろう。こうなる前に「こっそりと」変な市名をつけちゃったところは、やれやれと胸をなで下ろしているに違いない。

まだ、日本人の中にも、歴史や伝統を重視し、こうした安直な地名に批判的な人が少なくないことには救われる思いがする。しかし、既についてしまった変な名称はこのまま固定化するのだろうか。人間、意外と慣れてくると、最初おかしいとおもったものもおかしく感じなくなるもので、その慣れが恐ろしい。

既につけられてしまった変な地名も、もう一度洗い出して検証・批判し、再度命名し直す必要があるだろう。小泉首相はそんなことに関心は、ないだろうな。でも、市町村合併により文化や歴史を無視して地名を破壊した総理大臣として、歴史にその名を刻むことになるぞ。

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ハードディスクがクラッシュ

週末に自宅で使っているAppleのiBookの内蔵HDDがおじゃんになってしまった。
ハードディスクのクラッシュは3年ぶり。前の時は、原稿の締め切りが迫っているのに死んでしまった。
今回はそこまで切迫してなかったが、自宅で企画書の原稿を書こうと思っていたら、全くダメだった。
マーフィーの法則だな。

10日くらい前から、異常な音が時々していたので、経験的におかしいと思い、外付けハードディスクやユーティリティソフトの調達などを考え、バックアップを取ろうとしていたら、取る暇もなく急速に衰えてしまった。実はきちんとバックアップを取っていなかった(^_^;)。もっとも、このマシン自体が仕事場のバックアップみたいなものなので、いくつかは消失したデータもあったものの、被害甚大というわけではなかった。

しかし、精神的なショックは残るもの。それに救出作戦にかけた時間と費用は戻ってこない (><)
それと、自宅での専用パソコンがなくなってしまった。子供たちがメインに使っているデスクトップはあるけど、占有するわけにもいかず、今は仕事場から重たいノートPCを持ち帰ってアクセスしている。

多少費用はかかるが、秋葉原あたりのショップでハードディスクを取り替えようと思う。
何でもiBookは一番分解が大変なのだそうだ。ねじが30本以上あるらしい。ショップに問い合わせたら、一番難物で時間がかかるとのこと。VAIOの時は自分でHDDの交換したのだが、今回は自力は断念。ネットで見ると、普通のねじ回しの他に、T8と呼ばれる2mmの六角レンチが必要だし、経験者の中に、蓋閉めたらねじが余った、なんて話も出ている。

こういう時は、Appleなんてやめようと思うのだが、使い勝手の良さやインターフェイスのデザインの良さ、それになんといってもOS Xの堅牢さは魅力である。お金があれば、iBookでなくPowerBookを買うんだけどなあ....

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