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2004年9月21日 (火曜日)

市民参加というのは本当に「進歩的」なのか?

先日、スイス・ジュネーブに留学している知り合いの女性から、同国の地方自治の仕組みや実態などについて話を聞く機会があった。彼女が留学前に勤めていた会社が中心になってやっているサロンでのことである。

スイスといえば直接民主制。住民投票が日常茶飯事。
いやいや、市民参加が好きな人にはたまらない「先進事例」でしょうな。

でも、ちょっと待ってよ。
19世紀以降に確立した近代国家というのは、基本的に間接民主制のはず。大統領制や議院内閣制、あるいは立憲君主制(このあたりの記述は政治が専門ではないので、不正確かもしれないが)など、いろいろあっても、選挙で当選した国民の代表が、国会で国のあり方を決める仕組みである。

スイス連邦が現在の国家として成立したのは1848年というから、19世紀の国家ではある。
しかし、話を聞いていると、実態は1291年に3つの州(Canton=憲法を持つ一種の独立国家)が集まって自治を確立した時から、時計が止まっているようである。1848年は、その時の枠組みを23だったかの州に広げたに過ぎない。現在は26の州がある(自治権の制約から半州というのもあるそうだが)。

実際、スイス人は保守的で変化を嫌うようだし、社会の変化もとてもゆっくりしているのだそうだ。
あるいは本当に変化しているのか?

人口700万の国で26の州だから、一つの州は平均すると人口30万にも満たない。それで一つの「国家」なのである。実際、主要都市のジュネーブ、ベルン、チューリヒ、バーゼルといったあたりの人口は10数万人である。こりゃ、直接民主制も成立するわな。

しかも地政学的に言って、ヨーロッパの中央部に位置し、周囲の強大な勢力から狙われる。神聖ローマやこれを次いだハプスブルク家のドイツ、ブルボン家のフランス、メディチ家のイタリア、オスマントルコ。永世中立せざるを得ないのがわかる。日本人の多くは、スイスの永世中立を反戦平和主義と勘違いしておるよな。冷戦終焉後は有名無実化しているようだが、あちこちに核シェルターも存在している。

しかも、特定の権力者に権力が集中すると、これらの列強の一つの傀儡となって、独立が危うくなるから、権力まで分散させている。ジュネーブあたりでは市長は一年交替ですと。

投票率が半分以下のこともあるそうだ。これは機械的に住民投票の基準が定められているような時に起こる可能性がある。例えば学校を建設するという場合、だれが見てもそのことが必要で、反論の余地がないにもかかわらず、建設費が定められた基準を超えた場合、投票にかけることになる。ああ、なんたる形式主義。

ああ、まただらだらと書いてしまった。
自らの意志を反映できない議員しか選べなくなった「近代国家」の日本人は、実はトラックを何周も遅れて走っている(というよりはほとんど休んでいるに等しい)スイスを見て、自分よりも先を走っていると思ってしまったようだ。

別に私はスイスの直接民主制を全否定するつもりはない。「近代化」が常に正しいし進歩的だとは限らないからだ。ただ、天の邪鬼な私は、中世帰りしてまでポビュリズムの危険性のある直接民主制をあがめるようなこともしたくはない。胡散臭い「市民参加」もそこここに転がっている。

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コメント

今日はお彼岸で、文京区にあるお寺まで家族といき、帰りに、子供たちに母校の赤門から入り、散策して、とげ抜き地蔵も見てきました。

さて、以前、マイアミにいるユダヤ系のアメリカ人の実業家の知人が言っていました。アメリカでは政治に関わらないことは市民ではないと(政治の基本は自己の利益を社会に求めることでもあるわけですから)。今まで共和党だったが、イラク戦争でBushはやりすぎているとも、いっていましたが。

最近読んだもう一冊。「なぜ国家は衰亡するのか」中西輝政。
国家や法のでき方は、なんとなく理解できたので、今度は、衰亡についての興味からです。

50%の創造性と50%の歯車的生産性のある国より、10%の創造性と90%のマニュアル化された生産性のある国のほうが、成長する。しかし、転機にさしかかると後者は修正が効きづらい。日本がこの例。アメリカは20%の創造性と80%の自動化で、戦略的に90年代に再生した。 「自動化と創造性の矛盾」という考えかただそうです。要はバランスをどうするかが、政策の重要な課題ということです。

476年に西ローマ帝国がゲルマンに征服されて滅んだ後にも、15世紀まで1000年にわたりビザンチン帝国(東ローマ)は続いた。歴史上、稀有な長期帝国。

西ローマはキリスト教を皇帝に従えることができず、政教分離で、それが衰亡の原因となった。ビザンチン帝国は、皇帝の下にキリスト教を従えさせた。そのためには法典を変えずに、解釈を変えて宗教をコントロールしていき、オスマントルコに負けるまで1000年の支配を続けた。

ただし、西ローマの政教分離が近代ヨーロッパを生み出してゆく素地となった。
ビザンチンの領土であった現在の東欧、トルコ、西アジアは発展が遅れた。

更地文明のアメリカと中国、累積文明の日本とイギリスという見方も納得できました。中国でも皇帝が変わるとそれまでの支配者層は一掃された。いまでも韓国の大統領が政権を失うと、裁判などにかけらるのもその伝統みたいです。米国も政権交代で幹部公務員は総入れ替え。

政治とは、橋爪大三郎先生によると「みんなを拘束するあることを決めること」。 したがって、その決め方色々なバリエーションがでてくる。多数決は51:49でも決めたことは全員が従うのが建前。逆に全員一致のムラの決め方は、少数の人が反対するのは人間関係上、個人的に困難だから、決定がその場の空気に支配されてしまう弱点がある。

スイスの例が出てましたが、これからはインターネトで1億人でも直接投票が可能になりますね。。。こうした技術革新が政治制度に及ぼす影響についての話は、まだ、あまり聞きませんね。これからの仕事の種にどうでしょう?

投稿: 大郎 | 2004年9月23日 (木曜日) 18時34分

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